田中 新吾

意識高い系への苦手意識がある時点で、プロにはなれない。

タナカ シンゴ

唐突ですが、あなたが「このひとはプロだなあ」と思うそのひとって、言葉であらわすとどんな風に言えるでしょうか。

プロとは「それによってご飯を食べることができているひと」だと思うので、こんな風に答えるかもしれません。

しかし、ぼくはこれだけではプロとは思いません。

ここに「意識の高さ」が加わっていてはじめてプロだと思えます。

今日はこのことについて少し書いてみたいと思います。

意識の高さがプロをつくる

「それによってご飯を食べることができているひと」というのは、現在の結果です。

そして、この結果をもたらしているのは、間違いなく「意識の高さ」だと思います。

意識の高さとは、もっと成長したいという意欲的な気持ちや、自己実現、成果や結果に対する執着心や責任といったものが高いことです。

先日放送された「情熱大陸」はサッカー日本代表の「堂安律」選手でしたが、

番組内で堂安選手が語っていたエピソードからはまさに意識の高さを感じました。

「小4になってセレッソ大阪を落ちました。そこが転機になって一層練習するようになった。そこから3年の目標はセレッソ大阪からオファーされて1秒で断ること」

「そして、中学生の時にセレッソ大阪からのオファーを受けて断りました」

小4でこの意識の高さ。おそるべし。

普通に生きているとなかなか考えにくいと思いますが、やっぱりプロになるひとというのは、他のひととは比べものにならないくらい意識が圧倒的に高いのだと思います。

僕よりも若い世代には、プロ無職という肩書きや、プロ奢られ屋など、今まではなかった新たなジャンルのプロも出てきていますが、きっと彼らも普通のひとが持たないような高さの意識をもっているはずです。

意識高い系への苦手意識がある時点で、プロにはなれない

というように、プロになるためには意識が高くなければいけない、と僕は思います。

でも、不思議なことに世の中はそれを是としていないように思うんです。

どういうことかというと、意識高い系は社会で評価されにくいということです。

どこか毛嫌いされがち。

たぶんこれ以上の説明は必要なく、伝わることなんじゃないでしょうか。

世の中がこういう空気に包まれているから、プロになるために必要なはずの高い意識をもちにくい状態にあるのだと思うんです。

そして終いには「私は意識は高い系が苦手です」となってしまう。

こうなってしまったら、もうその人は一生意識を高く持つことはなく、結果はもちろん何かのプロになることはできないと思います。

これは、何もスポーツの世界に限ったことではありません。「働く」にかかわるひとすべてに当てはまることだと思います。

だから、もしも何かのプロになりたいと思うならば、意識高い系への苦手意識を取り除き、意識を高く持って取り組んでみるのがいいのかもしれません。

僕も意識高めに、頑張りたいと思います。

さいごに

そういえば以前、牧野さん(@MAKINO1121)がこんなツイートをされていました。

意識深い系とはなるほどなと思いましたし、こうしたタイプのひとが僕も好きだなあと思いました。

意識高い系も意識深い系も、そういう人たちがうまく働ける世の中はきっと、今では想像できないようなすごいプロがたくさん現れるのではないでしょうか。

そう思うと、とてもワクワクしてくるので、僕もそういう世の中づくりに貢献をしていきたいと思っている次第です。

それでは今日はこの辺で!

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって、何かしらの参考になったら幸いです。

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