田中 新吾

暇つぶしは自らの手で作る時代。

タナカ シンゴ

先日こんなつぶやきをしました。

今日はこれについて少し補足をしておこうかと思います。

暇つぶしという人生観

生きていると少ない人でも一度や二度は「人生とは?」と考えたことがあると思います。

価値観が人それぞれであるように人生観も人それぞれ。だから、基本的に僕はどのように人生を捉えようともその人の自由だと思っています。

例えば、RPGゲームの中に出てくる主人公のように「人生は冒険である」ととらえるひともいるだろうし、ゲーム内の街中で暮らす人のように「人生は暮らしである」と捉えている人もいると思う。

ここにどちらがいいとか悪いとかの線引きはなく、ただそう捉えている人がいるという事実があるだけだと思っています。

では、自分自身がどう捉えているかというと、僕は基本的に「人生は暇つぶしである」と考えています。これが僕の人生観のベースにあるものです。

暇つぶしは自らの手で作る時代

ただ、最近思うのは暇つぶしの中身が変わってきたということ。

2016年頃までは、食事や映画や本など、他の誰かがつくったコンテンツで暇を潰すことが多かったように思います。

ところが最近は誰かがつくったコンテンツで暇を潰すのが面白くないと思ってきたのか、自分で自分が欲する暇つぶしを作ることがかなり増えたと思います。

例えば、このブログを書くこともそうだし、近頃、ゴミタスというプロダクトを作ったのもそう。他にも、法人をつくってみたのもそうだし、Podcastを知人と始めたのもそう。

こんな感じで挙げたら結構色々と出てきます。

この後押ししているのは「一億総クリエイターといわれる時代」であることは間違いないと思う。でも、思い返してみれば社会人になりたての頃、同期の友達と二人でクラブイベントを企画したりしていたこともあったので、姿勢というか根本というかは何も変わっていないのかもしれません。

世の中を見渡すとそこら中にコンテンツが転がっています。でも、こんなにも世の中にコンテンツが溢れ返っているにもかかわらず、自分が欲しいと思う暇つぶしが存在しないんだったら、それは自らの手でつくるしかないと思うんです。

しかもそれが今の時代なら結構容易くできる。暇つぶしには、行動しない暇つぶしもあるし行動する暇つぶしもある中で、結局、自分にとっては何が最高の暇つぶしなのかという問いを生きている時間の中で、究明していくことこそが人生の醍醐味なのかと。

どうせ暇をつぶすならやっぱり面白い方がいい。こういう気持ちでこの先の人生も楽しんでいきたいと思う今日この頃です。

さいごに

最近「某広告会社のコピーライター友達から何か一緒に面白いことを企画しようよ」と声をかけられました。

ということで、また来年新しくて面白がれる暇つぶしが作れそうです。

参考記事:面白がるから面白い。

それでは今日はこの辺で!

ここまで読んでくださありありがとうございました。

この記事が何かしらの参考になれば幸いです。

記事URLをコピーしました