”ツイテル”が重なるラッキーブリューワリーで「残り少ないから楽しもうと決めたんだ!」という言葉に背中を押される。
何につけ、私という者は”ツイテル”。
こんな風に自分に都合よく考えられるのが、私の唯一のとりえなのかもしれない。
そんなことをしみじみ感じられた日があった。
その日は、”ツイテル”ことばかりが重なる日だった。
周りからは、その程度のことを”ツイテル”と言うのか?
その程度のことならば、誰でもそうだよ。
そう言われてしまうくらい、些細な”ツイテル”ばかりなのかもしれないのだが、私の”ツイテル”が重なった日のことを書いてみたいと思う。
一番美味しいIPA
週末家を出て、いつものブリューワリー(ビール醸造所)にたちまちの内に到着する。
昨年の夏、美味しいビールを求めて近隣のブリューワリーを一通り廻った。
その結果、各ブリューワリーのIPA(インディア・ペールエール→私がもっとも好きなビールの種類)の中でもっとも美味しいのが、このブリューワリーだった。
どのブリューワリーのIPAも美味しいのだが、ここのが頭一つ抜けているようで、自然に足が向くようになった。
これまではビールを冬場に飲むことは少なかったのだが、今年はこのブリューワリーのおかげで冬場も継続して飲むように変わってしまったくらいで・・・。
そして、このブリューワリーが近隣のブリューワリーの中でもっとも家に近いときている。
一番好きなIPAの中で一番好きな味を造るブリューワリーが、もっとも家のほど近くにある!
こんなラッキーがそうそうあるものだろうか?
やはり私は”ツイテル”のだ。
・・・・
こんな程度が”私の”ツイテル”。失笑。
以前も、スチームサウナにハマった時、こちらも数キロ先の銭湯に無料で使えるスチームサウナを見つけたことがあった。
これが、いわゆる『引き寄せの法則』なのかもしれない?
欲すればやってくる!?
似ている先輩に出逢う
そんなラッキーブリューワリー?で、その日また引き寄せ?が起る。
カウンターでIPAを味わっていると、ひとりの年配男性が入店して私の隣に座った。
この男性は常連なのだろう。
以前もこの店で何回か見たことがあった。
キッカケは忘れたが、知らぬ間にその年配男性とボソボソと話し始める。
この先輩の話で印象的なものをかいつまむと、こんなような内容になる。
「(人の)話を聞いている時になぜその人がそのように感じてその言葉を選んで発したのか?そこには必ず背景があるわけで・・・。
それは家庭とか仕事とかによって、大切にしてきた価値観があって、それでもそのことを本人も特段意識していないこともよくあることだ。
その言葉にどんな背景があるんだろうか?そんなことを探りながら、人間というものの心理を学びながら、人と話をするのが私はとにかく楽しいんだ。
・・・
私くらいの歳になると歳の近い人と話すよりも、若い人との話しの方がよっぽど楽しい。笑
(このことの理由は、歳の近い人は、過剰にクヨクヨしたり、また逆に自分の武勇伝ばかりを話すから、ウンザリなのだ、といったニュアンスだったように記憶している)
周りに変に思われているかもしれないが、おごらずに正直のところを言う、そして失敗談なんかもバンバン話す。」
このような話を聞いて、私は驚きを隠せなかった。
この内容のどれもが私が共感するものであって・・・というよりは単なる共感を超えて、ここ数年間で私がこうするのが自分が楽しいのかも、などと試行錯誤してきている考え方をそのまま言葉にしているように感じたのだ。
(すごく似てる!)
その後の話も、
・人にはそれぞれ信念があって変わらないから、こうした方がいい、とは絶対に言わない。(相談されない限りは)
・親子でも、いやむしろ親子だからこそ距離感が必要。
・若い人は年上の人に対して、どこまでおごらずにどこまで見栄を張らずに、どこまで正直に話す人なのかを値踏みしている。
などなど上げればキリがないほど細部に至るまで、人との関係性について感じていることがイチイチ一緒で、少し怖くなるくらい。
しかも、その人の感覚を言葉として整理できていて話してくれる。
言葉にしてもらえるから感覚が似ていることがよ~くわかるわけだ。
こんな似ていると感じられる人にこれまで会ったことはもちろんない。
私もここ数年間で言葉にできるようになったのだから当然と言えば当然なのだろうけど。
そもそも私というものはかなりの変わり者。汗。
どうやら私も「人と話をして、その人の背景をいろいろ探ること、そんな普通は煩わしいと思われるようなことが、一銭にならなくても、その人に何かを言ってあげられなくても、自分で考えるだけで楽しい」
そんな人のようなのだ。
これだけ多様化する時代に、そんな変わり者に似た人に出会うとは!
一体これはどれくらいの確率なのだろうか?笑。
その先輩は最後に、
「残り少ないから楽しもうと決めたんだ!」
と言って帰って行った。
途中聞くところによると以前に大病を患って、そこから今は回復してビールを飲めるまでになったのだ、という。
病気の前はそうではなかったが、病気を経て人生を楽しむ方向に転換した。
その転換先が、先程の楽しむということ。
この先輩が、「それ(あなたの楽しむ)でいいんだよ!」と私を後押しをするために目の前に現れたような気がした。
「変わり者は孤独に耐える必要がある」
私はそんな風に腹を括っていたところがあったので、それに対してはどこか拍子抜けしつつ、何とも珍しい、不思議な出逢いを感じた。
まさにここはラッキーブリューワリー!笑
”ツイテル”は続く
先輩が帰るとカウンター越しの目の前に、このラッキーブリューワリーの店主が立っていることに気づく。
私のここ最近のちょっとした厄介事と言えば、スマホの不調。
店で見てもらって、一部直ったり、一部変わらずだったり、という状況。
4年ほど使ったのでサポートも切れているらしい。
このスマホをどうしたものか、満を持して目の前の店主に切り出そうとすると、店主は何やら難しい顔をして、スマホを忙しく触っている。
切り出すのを一瞬躊躇すると、その一瞬をつかれて、逆に店主から話しかけられてしまった。
「スマホを買い換えたら、アプリがどこにあるかわからなくて・・・」
恐るべしラッキーブリューワリー!なんとこれも、スマホつながりの引き寄せなのか?笑。
この計算でもされているかのような見事なタイミングに私は思わずニヤついてしまう。
これをキッカケに、私は店主に知りたかったことをいろいろと教えてもらうことになる。
前のを何年使ったのか?
何で買い換えようと思ったのか?
最新機種はどのくらい違うのか?
などなど。
そこにメカに詳しい自転車のお兄さんを始め、周りにいた常連さんが加わり、詳しいガチ勢?(笑)によるいろいろなアドバイスが飛び交う。
そして、「結論、買い換えた方がいい」と口を揃えて売り込まれてしまう始末。汗。笑。
欲すれば、やってくる!
ラッキーブリューワリー!
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実はその日はこれで終わらずにその後も”ツイテル”が続く。
まあ変わらず些細なことなのだが。
些細なことを”ツイテル”と思えるのが私のオメデタイところなのだが、これが『有り難い』(=めったにないことに感謝する)という言葉の意味なのだろう。
何に対しても感謝できれば”ツイテル”人生。
そして”ツイテル”があるだけで、人生十分に楽しい。
私の”ツイテル”は尽きないが、他人の”ツイテル”は長くはとても聞いてられないだろうから(汗)、もういい加減に終わることにする。
UnsplashのJosh Olaldeが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
欲すれば、やってくる!とは言うものの、実は一番好きなIPAも、似た感覚の持ち主も、私が目をギラギラさせて求めていたモノではありません。
そんな自分の思いも寄らない縁に導かれる、これが何とも面白いし”ツイテル”なあ!と思うのです。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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