「自然、不自然の軸で物事を感じる」これを大切にしていきたい。
私は、引越ししたばかりの新居のベットに寝転びながら、ネット動画を見ている。
その動画は、ちょうど若い男が若い女に告白するシーンで、「ずいぶん下手くそな告白だ!」と思って見ていると、年配の男性の指導者が割って入ってきて、いろいろと指導をし始めた。
どうやら恋愛シミュレーションバラエティーのようで、私は柄にもなく告白とはそんなんじゃなくてこうだろうと、自分なりの告白をつぶやき始める。
すると、ベットの頭の方向から、「やってみろ!」という声が聞こえた。
私の新居のリビングはベッドの頭の方向が大きく広がっていて、そこはオフィスのようにデスクがズラリと並ぶ。
その奥のデスクに一人の男性が背を向けて座っている。
気が付くと周りを人に囲まれる。
その男性にもう一回「やってみろ!」と催促されて私は告白させられることになった。
嫌々ながら、やってみるとその男性からこんなダメ出しを言い渡される。
「(その告白は)不自然だ!」
よく見るとその男性は、動画に出ていた指導者で、周りの人たちも動画に出ていた若者たちだった。
・・・・・
実はこれは最近の私の夢の話。
新居のリビングが「恋愛シミュレーションオフィス?」につながっているという夢ならではの支離滅裂さだ。笑。
私は夢を頻繁に見ているようではあるのだが、これだけ鮮明に覚えているのは珍しい。
しかも今回はまた珍しく、夢にメッセージ性のあるという言葉が出てくる。
「不自然」
今回はこの神の啓示を受けて?(笑)「不自然」について考えてみたい。
種明かしをすると、ここ数日私は「不自然」と「自然」についていろいろ考えていたから、それがこんな風に夢に現れたのだろう。
残念ながら神の啓示でも何でもないのだが、この夢は「不自然」について書くことを後押しをしてくれた。
自然、不自然
日本で「自然」という言葉がNatureという意味で使われ始めたのは、明治の後半だったと言う。
それまでは、自然という概念がない。
すべてが自然であったからそんな概念を必要としなかったということなのだろう。
野山や海や川などの自然が人工物に浸食され始めたので、逆に大切だ!という意味合いで自然という概念が出来上がった。
大都会の精巧なビル群も美しいが、自然も美しく、やはり自然に身を置くと大都会では味わえない気持ちの良さがある。
キャンプなど自然の中で食べる飯は旨い。
その理由を人間本来に戻るからだ、ともいう。
この気持ちいい自然が失くなってしまうとしたら、とても健康ではいられないように思う。
森林破壊によって、生物の多様性が失われることも危惧されている。
人間が手を加えることで、自然破壊が進む。
だから人間はろくでもないもんだと言う人もいる。
私は、わかったようにそのことを書きながら、自然を削って整備された都会のマンションで快適に暮らしてしまっている。
まことに都合のいいもんだ。汗。
こんな話もある。
森林は、間伐をしないと元気にならない。
人間の手を入れることで自然が保たれる?、ということになる。
そうすると、人間が手を加えるのは自然破壊ばかりではない。
自然、不自然を食べ物の保存という点から見てみると・・・。
腸活ブームもあって、古くから恩恵をいただいている発酵というものが、食べ物を保存するための素晴らしい自然の恵みであるということを知ることになった。
余談だが、病気になった人の腸内細菌は多様性に乏しいという。
このことと地球上の生物の多様性を照らし合わせて語られることも多くなった。
1975年に普及率95%に到達した冷蔵庫。
冷蔵庫は、電気で動く精密品なんだからどうみても不自然なモノだ。
そんなことを言ったら炎上するくらいに生活に不可欠なものになった。
そして、どんどん増える保存料、防腐剤の入った加工品。
少し前にコンビニ弁当がいくら放っておいても腐らない、ということが話題になった。
保存料、防腐剤は発ガン性があることも言われてもいるが、腐らないということでグッと不自然度が上がった印象だ。
次はTシャツについて。
私の場合、Tシャツの肌触りは、ポリエステル混紡より綿100%の方がいい。
更には絹の方がいい。
でも絹は高価でヨレが早い。
人が気持ち良く感じる方が自然であるはずだ。
そういった思い込みがあるからか、ポリエステルの方を不自然だと感じる。
こんな風にしながら私は物事のすべてを、自然だ、不自然だ、と評価するようになった。
その評価は正しいものなのか、書いていると不安になってくるのではあるが・・・。
なぜ、不自然に感じるのか?
ポリエステルより、綿や絹の方が自然だと感じるのは何故だろうか?
工場などの機械でしか造れない加工度が高いモノを不自然と感じているのだろうか?
確かに、食品の超加工品が危険だと言われるように加工度の高いものは警戒すべきだという感覚はある。
それでもそれだけだろうか?
化学的に見れば、ポリエステルも綿も炭素、水素、他の原子の組み合わせであって、さほど変わらないではないか?
自分が無意識に別のことも考えていると気づいた。
(土に還るまでの時間)
6ヵ月:Tシャツなどの木綿衣料
10~20年:プラスチックの袋(1000年かかるものもあると主張する実験結果もある)
30~40年:ナイロン製品(ポリエステル他)、使い捨てオムツ
50年:缶、カップ麺などの発砲プラスチック製カップ、車のタイヤ、陶器類、皮革製品
200年:アルミ缶(500年かかる場合もある)
500年:ペットボトル(ただし、完全に土に還ることはない)
今の時代に不自然というのだから、そこにはサステナブルのことも含んでしまっていたのだ。
分解に比べて、製造能力が遥に高い社会。
どうやらそのアンバランスによって、ゴミ溜めの星になっていく地球を憂えているらしい。
そのことを不自然だと感じている。
(これは間違った言葉の使い方なのかもしれない。)
自分が、毎日ゴミに出しているビニール袋などの量の多さに驚く。
引っ越しも夢の中の話です。
願望が現れているものなのか?汗。笑。
好きなものを買っては捨てているにもかかわらず、その一方で、それを不自然だと憂えているわけだ。汗。
この憂いと行動の矛盾を抱えた私だから、地球のサステナブルについてはもはや何も言えまい。
自然と不自然を見分ける
自然なモノ、不自然なモノは生活に混在もしているし、もはや自然、不自然の切り分けすら怪しいものでもある。
そこに私の曖昧な感覚が上乗せされるのだから、なおさら信頼しづらい。
でも・・・それでもだ!
誰もが持ち合わせている、怪しいモノを不自然だとして警戒する感覚は、大切なものなのだと思う。
「何か変だ!」
「違和感がある。」
この感覚があることが、やはり人間の素晴らしさなのだと感じる。
むしろ頼れるのが、それしかないと言った方がいい。
人の言動に対しても同様。
作為的なようだとどうも不自然に感じられる。
泣いて謝罪する、代議士。
質問したことに答えない疑惑の人。
目が泳ぐ人。
急に猫なで声を出す上司。
・・・
不自然はそこら中に見つかる。笑。
自分も不自然なことをしていたなあ、という痛い記憶が蘇ってくる。
すべての不自然さには必ずそれなりの理由があって、その理由まで辿りつければ不自然さの危険に巻き込まれずに、事前に対処することが可能になるはずだ。
思い返すと、私の直感は、これまで、不自然なものに気づかなかったり、自然なものを不自然に感じたりと、いろいろな間違いを犯してきていて、それはいつも正しいわけではない。
それでも今回の「土に還るまでの時間」のようなものがその直感に折り畳まれていたりすることもある。
人は生きるためにセンサーをもらって産まれて来る。
社会の複雑さがあるから、大いに学習してそのセンサーを現代にアジャストさせる必要があるというだけなのだ。
不自然さを感じては、その不自然さの理由を考える。
可能なモノは答え合わせをして、まちがっていたならば修正する。
これを繰り返す。
こうした経験を重ねることで、以前より少しは不自然の理由にたどり着けるようになっていくんだろうと思う。
自然、不自然の軸に照らし合わせて、すべてのモノを感じ続ける。
多分このことも敢えて言い聞かせる必要もなく、自分が自然体であれば自分に嘘をつかなければ、自然に感じられるものだと思う。
自分や周りの自然と不自然をずーっと感じた上で、自分が選択できるモノなのであれば、身体に馴染むはずの自然寄りを選択する。
そして、自分なりの不自然を可能な限り避けて、そしてまた自分はできるだけ自然体で生きて行きたいと思う。
UnsplashのKeagan Henmanが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
夢の中で告白とは、なんてことをしてしまったんだ、と今、後悔してます。
夢の中で、私が不自然だったのは、演技が下手だったからです。
と釈明を加えさせてください。汗。笑。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
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