RYO SASAKI

変わらぬ性分の素晴らしさと手放しにできない性分の取り扱いについて。

タナカ シンゴ

大学のテニスサークルの同期会があった。

十数年ぶりになるだろうか・・・。

当時の同期はかなりの人数だったが、同期会に参加する者は限られていて、今回も集まったのもほとんどが常連組の7名だった。

この常連組に関しては、社会人になって数回しか会っていないにもかかわらず、それぞれの性分(あくまでも一部だろうけど)がよりわかるようになった。

学生時代は、自分と違う性分に物事がうまく運ばず(同じでないとうまく運べないと思っていた)、そこにある種の嫌悪感と嫉妬だけがあったように思う。

今になって少しは、違う性分を客観的にみることができて、その性分の素晴らしさを言葉にすることができるようになった。

同期会で感じているのは、それぞれの性分は形状記憶のように変わらない、ということだ。

何回もそう感じてきてはいるのだが、今回はより強く感じた。

それでこの機会に、それぞれの性分を一度言葉にしてみたいと思ったのだ。

同期会の話

それぞれの近況報告を手短に終えた同期会は、いつも通り思い出話になった。

我々の学生の頃(昭和)は、今よりもハチャメチャな時代で大らかな時代であった。

その時代に安心しきってドップリと浸った我々のサークルは、とにかくハチャメチャで、テニスボール缶(ボール4個が入る)にウィスキーをストレートで注がれて一気させられるなんてことがよくあった。

他にも、もはや時効だとしても外には出せない話がたくさんある。

この都合よく忘れていた黒歴史をそれぞれが話し出して、ハチャメチャだったことを思い出すハメになってしまうのがいつものことなのだ。

ひとつだけ恥を忍んで紹介する。

コンパ終了後、酔った勢いで繁華街のアーケードの屋根の上を大人数で鬼ごっこしてしまったことがある。

その最中、一人が屋根を踏んだ時に屋根が割れてしまって、その割った穴に自分がはまってしまった。

あがいているが、あがいてもあがいてもひとりでは脱出不可能。

もし、翌日までそのままにしてしまうと、下の商店街から下半身だけがぶら下がっているように見えることになる。

それを想像するとあまりにも滑稽で笑いが止まらずに、穴から引き上げようとした私は全く力が入らなかったことを今でも鮮明に覚えている。

笑い過ぎて力が入らなかったのは、後にも先にも他に記憶がない。

ちなみにサークルの先輩からは、このアーケードの上から立小便して警察に見つかって、一晩警察署に監禁されたことがある、という逸話を聞いたことがある。

「その時代にSNSがなくてホント良かったあ・・・」とひとりがシミジミつぶやいた。

今ならばSNSで悪事を拡散されて、炎上必至だっただろうと。

同期の中には議員をやっている者もいるのだが、こんな思い出話ばかりではとても参加できまい。笑。

ここから、同期の性分の話。

最近転職して大学に勤務する山田という男。

国が推進するあるプロジェクト(国家予算がついている)に関わっているのだという。

今はまだ全く忙しくないのだが、給料をもらっている。

そのことを「みなさまの税金からもらっている」と自分に都合が悪いように自虐的に話した。

そうそう、これが彼の学生時代から変わらぬ性分で、周りがツッコむより早く自分を自虐する茶目っ気ぶり。

私は、今ならばこの茶目っ気のねらい、効能、素晴らしさを原稿用紙数枚にまとめることができる。笑。

それでいて彼は、「仕事をしてないのにお金をもらえる、というのは心がどこか痛いものだよ。」

という誠実な本音も覗かせる。

「それはしようがないから心を痛める必要なんてないよ。」

とむしろ周りが逆にフォローに回るというやりとりになる。

このことに対して、そんな風にお金をもらうことに心を痛めることがない男が三澤だ。

学生時代にある企業の返済不要の奨学金を見つけて来てくれて、私を誘ってくれた。

一回企業訪問しただけで、私の大学生活が結構潤った・・・。

最初にホントにそんないい話があるのか?と怪訝に思っていた私に、彼は「利益が出過ぎた会社なのでお金の消費先として必要なんだよ。」と計算されつくした言葉で納得させてくれたものだった。

田舎者で(←ホントだ。)純粋な(←ホントか?)私に比べて、彼は大人びている、とにかくそんな印象だった。

「お金というものはルールにしたがって配分されているから、あるところにはチャンとあって与えられるものならばいただくんでいいんだ。」

そう言わんばかり(彼は言ってないですが)に、私には感じられるのだった。

このある種の計算高さ?は支出についても同様。

お子さんふたりを某有名私立大学に入学させたことに、周りは学費や寄付が高くて大変だろう、と反応したのだが、

「寄付には一切応じないし、他の塾なんかにお金がかからない分、そんなに高くないんだよね。」

などとそこにも盤石の計算があったようだ。

この計算高さが今の商売にも生きているようで、ずーっと健在のように感じられた。

岡崎という男は、遅刻、欠席、人への迷惑をあまり考えない自由で天真爛漫な男だった。

自分の自由を大切にしているから、人に迷惑をかけたことをあまり反省しなかった印象が強いし、外からはわがままに見える。

そんな彼の思い出話は、空港までドライブに行った時のことだった。

ヤンキーに絡まれて蹴られ、同期の白石が肋骨を骨折してしまう。

その責任は、車の窓を締めるのが遅れた自分にある、(窓から引っ張り出されてしまったから)と今でも深く悔やんでいた。

そうだった、学生時代も異様に思えるくらい反省している彼を何度か見てきた。

自由な彼は何に対しても悪びれることも反省することもないという印象だっただけに、数回の反省が私には印象的だったことを思い出した。

彼は、もともとチャンと反省する男なのだ。

その反省たるや、私の反省よりも深くて真摯に思える。

彼が反省する、しないの基準、その深さが私と異なっていただけでなのだ。

今思うのは、私は世間体を重んじて何でも反省し、彼は自分の自由を大切にしつつ、世間体とは関係なく自分の反省基準を持っていたのだと理解するようになった。

自由を大切にする彼にとって、企業の枠にはまるのは苦痛だったのだろう。

就職した企業から早々に転職して独自の道を歩んでいった。

一方の私は長らく企業の枠にベッタリとこびりついてきた男だ。

これだけ異なる彼と私なのだが、共通することがあるように思う。

双方とも偉くなることに興味がない、ということだ。

偉さよりも自由でありたい。

その性分も変わっていないように思う。

私はその性分でありながら、企業で長らく我慢してきたのだ。

さて・・・こうしてそれぞれの性分を言葉にしてみると、今度はそれが遺伝によるものなのか、あるいは幼少期の環境によるものなのか・・・知りたくなるのではあるが・・・それは別の機会にして・・・。

いずれにしてもそれぞれの性分は、自分には直観的にスッと浮かんではこないものばかりで、そうだからこそその違和感(自分と違うという意味合いで)が記憶にずーっと残って、今私にとって光輝いて見えるのだった。

※名前はすべて仮名です。

私の性分

私のことを山田が話し出した。

山田の結婚式の披露宴に出席した時のこと。

私は届いた招待状から、なぜだか会費制のガーデンパーティー形式だと勘違いして、連絡なしのまま満面の笑みで会場に訪れたのだった。

その”出席します”の返信ハガキを送ることなしにやってきた私に山田はドン引き。

偶然にも、山田の会社の同僚のひとりが熱を出して急遽欠席になったため、会社の同僚のテーブルに席を用意していただくことができた。

山田の勤務する会社は超大手企業で、テーブルでは連絡なしでやってくる私に白い目が向けられ、いろいろ話かけるも話は終始単発に終わった。

今思えば、招待状を一瞬にして情報処理した私は、当日まで迷うこともなく自信満々で会場を訪れたのだ。

仕事が忙しい時期で、簡単なこと(簡単だと思い込んでいること)はすべて一瞬にして判断していた時期だった。

イヤ、それはずいぶん装飾していて、忙しくて頭が常に朦朧としていた、という方が正しい、今はむしろそう思う。

この頃が、私の拙速がMAXに達した頃だったろうか?

先ほどは自分のことを世間体を重んじて反省する人間だ、と言ったもののこれを見るとかなり怪しいものだ。汗。

初めて救急車に乗る

この同期会から数日経った昨日のこと。

私は人生で初めて救急車に乗った。

便意があるが、便が堅くて全く出る気配がない。

腹が張り裂けそうに痛くなって、朝から家で1時間超もがく。

こんな苦しさは、生まれてから経験したことがあっただろうか?というくらいの苦しさで、脂汗が滲む。

どうしようもなくて、ウォシュレットのあるコンビニのトイレに駆け込み、そこで更に1時間もがく。

とうとう耐えきれなくなって、コンビニの店員さんに救急車を呼んでもらうようお願いしてしまった。

運良く救急車はわずか10分程度で到着、15分後近くの病院で診てもらうことができた。

とりあえず浣腸をしてもらうも、なかなか便は出ず、余計に苦しくなって唸りながら、またトイレで約1時間の格闘の末、やっと排出することができた。

その後、レントゲン結果にも便にも異常は見つからず、帰宅することになった。

私はこれまで便秘することはほとんどなかったから、便秘の苦しさにとにかく驚いた。

こんなんだったら、緩い方が全然ましだ。

なぜ急にこんなことになってしまったのか?

その原因を考えてみると、ひとつ思い当たるものが浮かんだ。

私は昨日からグルタミンを飲み始めていた。

グルタミンとは、必須アミノ酸のひとつで腸を調整したり、風邪をひかないなどの効能があるという。

それをYouTube動画で見て良いことばかりだったので、一瞬で情報処理をしてアマゾンでポチっとしたのだ。

後からよく調べてみると、グルタミンの禁忌事項として便秘の人は飲まないように、というものがあった。

どうやら、グルタミンに水分を吸収する性質があるらしく、その性質がお腹の弱い、便がユルユル気味の人に効くという面があるのだ。

その性質が私には強烈に作用してしまった。

グルタミンを摂るのを止めて、コーヒーも止めて普通に過ごすと今日になって、便通は普通に戻った。

更に調べてみると、私が好きなコーヒーとアルコールの両方に利尿作用というものがある。

利尿作用とは、体にある水分をオシッコに回してしまう作用のことで、それによって便からも水分を奪うことにもなって便を固くする。

コーヒーとアルコールは便秘になりやすくなる性質がある。(当然ながら個体差があるが)

そこにグルタミンが入って、輪をかけて水分が奪われたのだ。

一応、また後日診察を受けようと思うものの、大方グルタミンが悪さをしたものだと思っている。

私の一瞬の情報処理、この私の拙速さによっておおごとに発展してしまった。

私のこの拙速な性分は、披露宴から長い年月を経ても、残念ながら変わっていなかったのだ。

光輝く同期の性分、私にだって光り輝く性分があるんだ!と思いたいのだが、私のこの性分は時に禍をもたらすものだった。

中国の兵法書「孫子」に、「拙速(せっそく)は巧遅(こうち)に勝る」という格言がある。

私は、完璧でなくとも「仕事が早い」にこしたことはないし、直感的に動くことは素晴らしい、などと言ってきたのだが、これがすべてにあてはまるわけではない。

今回はそれを気づかせてくれる試練だったとしよう。

これからは、人の性分、自分の性分を探索してすることは今までどおりに続けつつ、自分の性分を手放しにせずに慎重に付き合っていこうと自分をあらためるのだった。

性分とは形状記憶のようなものだから、またその形に戻りやすい。

取り扱いに注意だ。

少し前に、大した病気でもないのに救急車を呼ぶ人がいる、という話を聞いたことがあった。

今回はそれを自分がしてしまったようで反省している。

拙速にポチっとしたことで税金が無駄になってしまったことを大いに後悔している。

それと同時に「大した病気ではない」というのは、どう自分が判断していたんだろうか?

それを、わかったようになっていたところも反省している。

私の性分とは私らしくあるためのものなのだから「尊重したい」などともっともらしいことを言ってきたことも反省している。

尊重するにも限度というものがある。

当たり前のことだが・・・。

とにかく、拙速によってこれだけ苦しむのはもう勘弁だ。

UnsplashFey Marinが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:RYO SASAKI

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

腹痛があると、カーラジオの音さえ苦痛になるもので、思わず切ってしまいました。

こんなことがあると健康が一番!だとホントに思います。

健康のためにとグルタミンを飲んだんですけどね・・・。トホホ。

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