田中 新吾

人見知りじゃない奴は面白くない。

タナカ シンゴ

今回は人見知りのひと向けの記事を書きます。

先日こんなツイートをしました。

いくつか反応もあったのでこのツイートに補足をしておきます。

人見知りの僕はタモリさんの言葉に救われた

私は基本的に人見知りです。

会ったことのあるひとからは「人見知りしないよね!」と言われますが、断言します。

私は人見知りです。

中学、高校時代は特にそれがはっきり出ていたのかなと。

人見知りであることにあんまりいい印象がなかったのでコミュニケーションもそこまで得意な方ではなかったと思います。

人見知りしない友達をみて羨ましくも思っていました。

大学に入ったころでしょうか。

そんな自分に嫌気がさしたのか、逆説的な考えを持つようになりました。

人は分からないものに対して好奇心を働かせる節があるよなと。

当然恐怖を感じたりすることもあるけど。

てことは、人見知りをしない分かりやすいひとよりも、人見知りをしてしまう分かりにくいひとの方が逆に面白いんじゃないかな?って感じに仮説を立てました。

それから、人見知りに対して抱いていた負の感情がだんだんと薄まっていきました。

こうした発想の転換をしてから、コミュニケーションをするのが楽しくなりました。

そうこうして、大学を卒業し、会社に入り仕事をはじめた時、無性に有名人の名言を調べる時期がありました。

当時から普遍性のあるものを探していたんだなと懐かしく思います。

その時に、タモリさんのこの言葉に出会いました。

人見知りじゃない奴は面白くない

これにより自分の仮説はさらに強化されたのをよく覚えています。

タモリさんに救われました。

タモリさんの思考を考えた

タモリさんがどういう思考でこの言葉を発したのかを考えたこともあります。

その中で考えたことは二つ。

  • 自分がそうだから正当化しようとしたのではないか
  • 人見知りをじゃないひとの軽薄さを知ったのではないか

一つ目は単純に、タモリさんがそういう人間だから、同じような人間を正当化させるためにこう発言した、のではないかということです。

タモリさんの他の発言からも見てとれます。

二つめは、人見知りのひとと、そうじゃないひとをたくさん見てきて、人見知りじゃなかったひとの軽薄さを知ったのではないか、ということです。

熟成したお肉やワインが一味もふた味も違う様に、コミュニケーションは、相手がどういう人間か、場がどういう状況なのかを熟考することで、その場に合った適切な調和が生まれるものです。

このような考えのもと、人見知りじゃない奴は、塾考する時間を設けられない人間とでも思ったのではないかでしょうか。

以上のことは、あくまで私が勝手に考えたことであって本当にそうかどうかは本人にしか分かりません。

でも、一つの事実として、あのタモリさんが人見知りじゃない奴は面白くないと言っているんです。

コミュニケーションが上手なひとほど実は人見知り

人見知りじゃない奴は面白くない。

私は今まさに、この仮説をもって普段のコミュニケーションをしているわけですが、そんな中で、コミュニケーションが上手なひとほど実は人見知りであるという新しい仮説を持つようになりました。

コミュニケーションがあまりにも上手なので「人見知りしないですよね!」と言うと、「いや実は人見知りなんですよ」と返ってきた経験が複数回あります。

理由に関して深く聞いたことはないですが。

最近、面白い記事を読みました。

新R25で起業家のけんすうさんのインタビュー記事です。

初対面では相手の名前を連呼。起業家けんすうの「人見知りのためのビジネスTips」

人見知りという自覚がちゃんとあるからこそ、色々工夫されていることが分かります。

コミュニケーションが上手なひとほど実は人見知りである。

この仮説検証には随分役に立った記事でした。

だとしても、まだ断言するには早いと思うので引き続きじっくり考えていきたいと思います。

さいごに

「私、人見知りなんだよねえ」と自分のことを卑下するひとには、人見知りじゃない奴は面白くない というタモリさんの名言をお伝えするようにしています。

それをもってどう捉えるかはそのひと次第なのですが、少なくとも僕は人見知りであることを悪いことではないと思っているし、今はむしろその方が面白いと思って日々を過ごしています。

さいごのさいごにどうでもいい話ですが、私はタモリさんの思考にだいぶ傾倒している節があり、タモリさんが番組をよく見ます。

好きなのは、ブラタモリ、タモリ倶楽部です。

タモリ倶楽部は、なんでも楽しめる価値観を醸成させるには非常にいい教材とも思っています。

それでは今回はこの辺で。

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