田中 新吾

「信用」を積み重ねない「アウトプット」を見ると愚かだなと思ってしまう。

タナカ シンゴ

東京五輪の現在のスタッフ募集状況が絶望的」という記事が話題になっていた。

オリンピック開催を巡る各関係者の発言に批判が集まるなど様々な心配が寄せられているオリンピックだが、今度は運営に関する「エンジニア募集」に関するものが注目を集めていたのだ。

「え?今からオリンピックの大会本部で使用するアプリの開発エンジニア募集すんの…?」

「は?なんで今ごろ??」

「こんなレベルの募集って数年前からやる話だろ」

「7月には始まるんだよね?w」

たしかに、開催予定時期を考えれば概ねの準備は整っていると考えるのが普通だろう。

したがっていずれも分からなくない反応だ。

しかし私は、オリンピック案件なのだから募集内容にはきっと「僕がやります!」「私がやります!」とこの納期・内容であれど手を挙げたくなるような「それ相応の条件」が記されているのだろうと思った。

が、現実は違った。

条件を見たら本当に「絶望的」だったのだ。

・要件に対して給料が安すぎる

・雇用期間がずっと試用期間

・7月以降は休日「0」もあり得る ?

いやはやなかなかの「ブラック」ではないか。

そして、オリンピックのことをやったら「お役御免」である。

正直言って「苦痛」だとしか思えない。

エンジニア以外の職種の募集においても求められる内容は違えど、提示されている条件は概ね同一である。

一体、この求人を見てどこの誰が「応募しよう」となるのだろうか?

少なくとも私には、この要件をこなせる「ハイスペックな人材」が今持っている仕事を辞めてまで応募するとは到底思えない。

今の所、政府をはじめ東京都はオリンピックに対して「強行姿勢」を取っているわけだが、私の中には開催に間に合うようなシステムの準備ができるのかどうか大いな疑問が生じている。

そして、組織委員会への不信感は増長した。

生きていると「信用」を積み重ねない、こういうアウトプットを時々見かける。

私は見るたびに思うのだ。

信用を積み重ねないアウトプットは愚かだな」と。

仕事にはスキルとか以前に、何よりも「信用があること」が大事

話は変わるが、私の身に「信用」の重要性が刻まれた昔話をしたいと思う。

私が東京のマーケティングファームに勤務していた時のこと。

入社してちょうど2年目を迎えたあたりの話だ。

その当時、営業(役割名はマーケティングディレクター)だった私は「新規顧客」を少しづつ獲得できるようになってきていた。

ある日、同じチームだった先輩が部署異動になり、先輩の「得意先」を私が引き継ぐことになった。

営業経験のある方なら説明するまでもないが、「顧客の作り方」としては主に下の4つに分類される。

1.テレアポなどを使い顧客をつくる

2.会社への問い合わせの担当になり顧客をつくる

3.社内外の紹介から顧客をつくる

4.引き継ぎから顧客をつくる

その当時、本配属されてから1年も満たない私には「1」以外の手段を戦略的に扱うことができなかったため、「1」をメインに据えた活動を淡々と行うほかなかった。

そんな私に意図せず「4」の話が入ってきたのだ。

引き継ぎすることになったのは、私たちの身近なところで大活躍のセキュリティツールをつくる「M」という会社だった。

国内のシェアはナンバー1だ。

先輩に聞くと、私が入社する以前に会社に問い合わせがあり、それからもう4年以上も取引きが続いているという。

「そんな大事なお客さんを僕が担当するんですか?」

私がそう言うと、先輩は

「お前なら大丈夫だよ。もうマネージャーとも話つけてあって業務引き継ぎの準備もできているから、今度担当者に紹介するから一緒に行こう」

と返してきた。

そして後日、先輩から担当者を紹介いただき私はM社を担当することになった。

先輩からもらったアドバイスは覚えている範囲で確かこんな感じだった。

・毎月定期で発生する案件があるからそこをミスなく漏れなくやる

・会社が近いので、訪問できそうなタイミングは逃さず訪問しよう

・最初は請求書を持っていくなどでもいい。でも、ただ請求書を持っていくだけじゃなく何か担当者が喜ぶような情報や提案もセットで持っていこう

・こういうことの積み重ねで「信用」してもらえるようになれば、別の仕事をもらうチャンスはきっと出てくる

そして「お前なら大丈夫」だと。

先輩が「築いてきた関係性」を壊すようなことだけはしたくないという一心で、私はとにかく言われたことを意識して動いた。

そのために、社内にいる先輩や上司もたくさん頼った。

結果、退職するまで担当していた6年間はM社との取引きが継続し、その中で新規で金額の大きな案件も依頼してもらえるようにもなった。

そして何より、微細なことでも「これはどう思いますか?」「こういうことはお願いできますか?」と担当者から相談してもらえるような関係性を構築できたことは私にとって遥かに大きな現場経験だった。

この一連の経験を通して私の身に刻まれていったことが「信用」の重要性だった。

思うに、「仕事」にはスキルとか以前に、何よりも「信用があること」が大事なのだ。

どんなに卓越したスキルや知見を持っていても、信用のおけない人に仕事を任せるわけにはいかない。

したがって、周囲から信用のおけない人にとってはそれらすべてが「宝の持ち腐れ」となってしまう。

こういうことを20代のうちに身に刻むことができたのは、今になっても本当に良かったと思うばかりである。

「パブロ・ピカソ」はネットワークを作るために「信用獲得」に努めた

現代で最も成功した芸術家の一人である「パブロ・ピカソ」の「本名」をご存知だろうか?

パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ

とても長い。

が、これが彼の本名だ(*1)。

これは様々な聖人や親戚、親友の名前を付け加えていったからだと言われている。

つまり、名前をつなげていくことでピカソは「縁者」と「協力者」を募り、様々なネットワークを広げ深めていったのだ。

そして、このネットワークを作るためにピカソは「信用」の獲得に努めている。

通常の画家は描いた絵を「画商」に託して、自らは創作活動を行う。

しかし、ピカソは違った。

絵を描き上げたら画商達を集めて、その絵を見せる前に一時間くらい絵の説明をしたのだという。

そこでピカソは、この絵にはこういう背景があり、こういう心象風景を描いたものだということを画商達に話す。

そして、最後におもむろにシートをまくりぱっと絵を見せたそうだ。

話を聞いた画商達は、絵に物語がついてきて、ただ絵を見たときよりもずっと価値を感じ、ピカソの絵を「信用」した画商達はそれを高い価格で売っていった。

中でも、「ローザンベール」という印象派の販売で、上得意の客筋を確保していた画商に対してはとりわけコミットしたという。

ピカソは、彼の画廊の隣に「移り住む」までして、ローザンベールとの関係性を築くことに努めた。

その結果、ローザンベールが各国で開催した大規模な展覧会により、今日のピカソの「評価の基礎」を築き上げたと言われている。

要するに、ピカソの成功の秘密とは、

19世紀後半に急成長した「画商」というビジネスの可能性を見抜き、自分の絵の市場価値の確立と向上にあたって、彼らが果たす役割というものを正確に知り抜いていたところにある。

そしてその上で、彼らの「信用」を獲得することに努め、ネットワークを地道に築き上げ成功を収めたのだ。

そんなピカソだが、亡くなる時には「7,500億円」もの莫大な資産を持っていたと言われれている。

このピカソにまつわるエピソードも、ビジネスにおいては何よりも「信用」があることが大事だということを私に教えてくれた。

<参考文献>

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「快楽」を覚えさえ「苦痛」を回避させてくれるアウトプットは「信用」を積み重ねる

そして「信用」は「アウトプット」によって作られる。

思うに、これ以外に方法はないと言っていいだろう。

「アウトプットすることは大事」

ビジネスパーソンであれば誰もが、一度は耳目にしたことがあるアドバイスだろう。

私も前職の時に先輩や上司からアドバイスをもらった記憶がある。

ただ、今になって思うのは、一般的に言われている「アウトプット」というのは物凄く狭義な意味で使われているということである。

一般的な「アウトプット」というのはその字面だけを捉えて、ブログやSNS、Youtubeによる動画配信といった「情報発信」をイメージすることが多い。

私も実際20代後半頃まではそうだと捉えていた。

しかし、今は違う。

「アウトプット」というのはもっと「広義な概念」として捉えた方が色々うまくいくことが分かってきたのだ。

つまり、情報発信以外に、

・服装や髪型

・掃除をすること

・よく相手の話を聞くこと

・整理された議事録を書く

・報連相を行うこと

・朝一番に会社に出勤する

・アマゾンのレビュー

といったような「人の目に入るものすべて」が今の私にとっての「アウトプット」の定義となっている。

最近「超アウトプット入門」という本を読んだ。

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これは「Books&Apps」という私が大好きなWebメディアの管理人であり執筆者でもある安達裕哉さんが書き下ろしたばかりの新刊である。

この本の前書きに、アウトプットとは

他者の目に見え、感じることのできる活動のすべて

と書かれていた。

この知見を見つけたとき私は、まさに「我が意を得たり」だと思った。

そして、

「ここまでまとめてくれてありがとう」

「いつも速くて助かるよ」

「こういうデータを探していたんだよ」

といったように、愛情、感謝、称賛、希望、物質的な報酬など、様々な刺激や出来事から得られる「快楽」、

または「ポジティブな感情」を覚える心にアプローチする「アウトプット」を心がければ、仕事というのは社内でも社外でも驚くほどスムーズにいく。

一方、肉体的や精神的に「苦痛」を覚える場合は、人間はそれを避けるようにできている。

18世紀の偉大な博識家「ジェレミイ・ベンサム」の著作「道徳および立法の諸原理序説」は次の有名な文章から始まる(*2)。

自然は人間を、苦痛と快楽という二人の王の支配の下に置いた。

彼ら苦痛と快楽だけが、われわれのすべきことを指示し、かつわれわれのすることを決定するのだ。

その玉座には、一方には正・不正の基準が結わえられ、もう一方には、原因と決定の鎖が結わえられている。

彼らは、われわれのすること、言うこと、考えること全てにおいて、われわれを支配している。

要するに、私たちが何をしても、何を言っても、何を考えても、

それは結局、「快楽」を求め、「苦痛」を避けようとするということだ。

私たちは常に「快楽」と「苦痛」に主権を握られている。

したがって思うに、

他者から評価を受けるアウトプット」というのは「快楽」を覚えさえ「苦痛」を回避させてくれるものとなる。

そして、こういうアウトプットこそが他者からの「信用」を積み重ねるのだ。

昔の私にはこういう言語化ができていなかったのだが、思い返してみると私が「M社」に対してとっていた「アウトプット」も概ねこのベクトルに乗っている。

先輩のアドバイス様様だ。

こういう考え方をもって見た時に、私はどうしてもオリンピックのスタッフ募集というアウトプットに対して「愚かさ」を感じてしまうのだ。

ただでさえ、今なぜこの時期に募集になっているのか明確な理由も分からない上に、「苦痛」ばかりを感じさせる内容だからである。

せめて、苦痛に耐えるに十分な「快楽(アメなど)」があればと思ったがそれも見当たらない。

これでは「信用」しようと思う気持ちは生まれず、人は動かない。

このスタッフ募集の件は一つの事象に過ぎない。

だが、政府や東京都のコロナウィルスへの対応など見ていても、残念ながら今の日本にはオリンピックを開催する能力はないように私は思ってしまう。

今後どうなっていくことやらである。

「信用」を積み重ねない「アウトプット」ではなく、「信用」を積み重ねる「アウトプット」を心がけていきたい。

こういう気持ちを新たにできたという意味では、今回の件は個人的には大変学びはあったのだが。

*1 ピカソの本名

*2 功利主義ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』を解読する

Photo by Filip Mishevski on Unsplash

【著者プロフィール】

田中 新吾

このゴールデンウィークの1日を使って「断捨離」をしました。その後「今日は重大な決断をした」とつぶやいたら気持ちがよかったです。

プロジェクトデザイナー/企業、自治体のプロジェクトサクセスを支援しています/ブログメディア(http://ranger.blog)の運営者/過去の知識、経験、価値観などが蓄積された考え方や、ある状況に対して考え方を使って辿りついた自分なりの答えを発信/個人のプロジェクトもNEWD(http://ranger.blog/newd/)で支援

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