嫌いなものや怖いものも、観察して分析すれば理解に近づき、自ずと表現することができる。
今から5年以上前、2020年2月13日のこと。
岩手県盛岡市で行われていた「ジブリの大博覧会」での体験は、今の私の思考の根幹に刻まれています。
盛岡のジブリ展、想像以上の内容で心が震えた。格調、品格、風、飛翔、滑空、浮遊、観察、分析、理解、表現。持ち帰りたなるコンテンツしかなかった。
— タナカシンゴ (@tanashin115) February 13, 2020
糸井重里さんと鈴木敏夫さんの直筆でのやりとりには興奮しっぱなしでした。ラピュタのロボット兵の南部鉄器鉄玉も購入できて大満足。パンフ読も。 pic.twitter.com/BUatWArBP1
会場には実物大の「王蟲(オーム)」が展示されていました。

その圧倒的な質量と造形は、美しくもあり、同時に生理的な畏怖を呼び起こすような迫力がありました。
そこで目にした、造形作家・竹谷隆之さんの言葉が、今でも強烈に心に残っています。
「嫌いなものや怖いもの、理解し難いものも、観察して分析すれば理解に近づく」
さらに会場には、こんな言葉もありました。
「表現の世界全般にあるのが「観察」なのかもしれない。 観察、分析、理解の先に「表現」がある。」
この言葉に出会ってからもうすぐ6年。
私はこの「観察」という行為を意識的に続けてきました。
しかし、ここ最近になって、その「理解」の解像度が劇的に上がる体験をしたのです。
今回の記事では、この6年越しの伏線回収と、思考ツール(点・線・面・立体)を手に入れたことで見えてきた「理解と表現」の関係について書いてみたいと思います。
関連記事:人生の豊かさは「どれだけ伏線を回収できるか」で決まる、という話。
「感覚」の壁と、ツールの登場
2020年2月にこの言葉を知ってからも、私は意識していろいろな角度から情報を集めることをしていました。
仕事においても、人間関係においても、「なぜ?」「どうして?」と問いかけ、観察する日々。
確かに、以前よりも物事の輪郭が見えるようになった実感はありました。
しかし、今振り返れば、当時の私はまだ「感覚的」に行っていたように思います。
情報を集めてはいるものの、それらは頭の中で「点」として浮遊しているだけ。
なんとなく繋がっている気はするけれど、明確な構造としては見えていない。
「わかった気がする」
「なんとなく理解した」
この壁を突破できずにいたのです。
長らくそう思っていたところ、最近になって「点・線・面・立体」という思考のためのツールを手に入れました。
エンジニアで起業家の飯塚浩也さん主催の10X情報処理エキスパート講座というコースでの学習を通してです。

これにより、頭の中で行われていた情報処理が、「感覚」から「構造」へと明確にシフトしました。
点・線・面、そして立体へ
まず、観察によって得られる情報は「点」です。
これは事実の収集や定義を確認。
次に、その点と点を結ぶことで「線」が生まれます。
ここに関係性や文脈が見えてきます。
さらに線が増えると、それらが織りなす「面」が見えてくる。
そして最後に、できた面に対して、縦方向に抽象・具体を加えることで、理解は「立体」になります。
Obsidian上に、情報を配置し、繋ぎ、視点をぐるぐると回しながら多角的に捉える。
すると、あんなに平面的で単純に見えた事象が、実は複雑かつ精緻に組み上げられた「立体的な構造物」として浮かび上がってくる。
そして、この「立体」を作ることができると、自ずと自分の言葉で語ることができるようにもなる。
この状態こそが、真の意味で「理解した」と言える瞬間なのだと気づきました。
竹谷さんが言っていた「観察して分析すれば理解に近づく」という言葉の意味が、物理的な感覚として腹落ちした瞬間です。
具体的には、以下のような具合に、アイデアや問いに対して「立体」を作り、「理解」のフェーズまで持っていくのが一つの習慣になっています。

「感情」に対しても効果は覿面
また、この「点・線・面・立体」のプロセスは「感情」に対しても驚くほど効果を発揮します。
例えば、「不安」や「怒り」といったネガティブな感情。
これらは通常、制御不能なエネルギーとして私たちを襲います。
しかし、これらもまた「観察対象」としてマップの上に置いてみるのです。
「不安とは何か(点)」
「なぜ私は不安なのか、この不安と似ている過去の不安は何か、この不安は何を引き起こしそうか(線・面)」
「この不安は抽象化するとどういうことか(立体)」
自分の中に湧き上がる感情を、一度外に出し、解剖し、構造化していく。
すると不思議なことに、感情への理解が高まり、スッと鎮静化していくのを感じます。
思うに、幽霊が怖いのは、正体不明だから。
感情もこれと同じで、その構造(正体)さえ分かってしまえば、それはもう「恐怖」ではなく、単なる「情報」の一つになります。
嫌いなものや怖いものも、構造化して理解してしまえば、恐れる必要はなくなる。
そういえば、オードリーの若林さんは、こんな言葉を残していました。
ネガティブを潰すのは、ポジティブではなく没頭だ
「点・線・面・立体」のプロセスを通じて、私は観察と分析に没頭し、次第に目の前の事象や感情と向き合うことにまさに、没頭していきます。
没頭することで、ネガティブな感情そのものから一歩引いて、冷静に分解し、構造を捉え直すことができる。
このプロセスが進むほど、ただ嫌だ・嫌いと感じていた感情にも、その奥にある本質や背景が見えてきて、気づくと「理解」に近づいている。
それもあって、若林さんのおっしゃる、「没頭」こそが、ネガティブを潰すにリンクしました。
理解の先に、自ずと「表現」は溢れ出る
そして、冒頭の言葉の後半部分。
「観察、分析、理解の先に「表現」がある。」
2020年2月までの私は、オリジナリティのあるアウトプット(表現)とは、頭の中から頑張ってひねり出すものだと思っていました。
しかし、今は違います。
深い理解(立体的な構築)が完了すれば、オリジナリティのあるアウトプットは自ずと出てくるようになる。
なぜならば、「点・線・面・立体」の「理解のプロセス」には、必ず「私」というフィルターが介在しているからです。
私がどの「点」に着目したか。
どの「線」を重要視して繋ぎ、「面」を作ったか。
抽象・具体を加え、どのような「立体」を最終的に作ったか。
徹底的な観察と分析の果てに構築された「立体的な理解」には、どうしても消し去ることのできない「主観」が残ります。
これこそが「属人性」であり、その人にしか生み出せない「表現」の源泉になるのだと思います。
理解が浅い段階でのアウトプットは、誰かの受け売り(コピペ)になりがち。
しかし、「点・線・面・立体」という思考ツールを使って頭に汗をかき、構築した理解から発せられる言葉は、誰の真似でもない、紛れもない「自分の言葉」になります。
嫌いなものや怖いものも、観察して分析すれば理解に近づく。
2020年に出会ったこの本質的な事柄が、ツールを手に入れることでより具体的に実践できるようになりました。
「点・線・面・立体」を使い、観察し、分析し、理解し、表現する。
このサイクルを回し続けることは、単なるスキルアップだけでなく、人生を豊かに生きるための強力な指針になるはず。
今回の内容が、みなさんの視点やアウトプットにも、新たな気付きをもたらすきっかけになれば幸いです。
UnsplashのMatt Popovichが撮影した写真
【著者プロフィール】
著者:タナカ シンゴ
この記事を書きながら、2020年の自分と今の自分が一本の線で繋がった感覚がありました。 まさに伏線回収です。
これからも、理解し難いものに出会ったら、まずは「観察」のレンズを覗いてみたいと思います。 そこにはまだ見ぬ「表現」の種が眠っているはずですから。
◼︎ ハグルマニ(プロジェクトコンプリメンター)
◼︎ 命名創研(命名家)
◼︎ 栢の木まつり 実行委員会
◼︎ タスクシュート認定トレーナー

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