田中 新吾

「追われる」仕事の時間を減らす努力は、「人生の質」を良くしていく、という話。

タナカ シンゴ

職場の鬱や過労自殺が社会問題となり、「長時間労働」の改善が叫ばれるようになって久しい。

これに関して、個人的には「長く働くこと」が「心の病」の原因だとは思っていない。

なぜなら、「嫌なこと」を際限なく、延々とやらされるから苦しいのであって、楽しいことや好きなことであれば、どんなに長時間働いてもまったく苦にならないからである。

例えば、Apple社の共同創設者であるスティーブ・ジョブズは、Macintoshのコンピューターを作るときに、労働は1日8時間、残業は週15時間まで、などと考えていただろうか。

思うに、ジョブズがガレージに寝泊りして夢中になって働いていたのは、それが楽しくて仕方なかったからに違いない。

私も働くようになりもう10年以上になる。

20代は毎日のように身を粉にして働いていたように思うが、幸いにも心が病んでしまうようなことはなかった。

それはやりがいを感じ、仕事が楽しかったからだ。

しかし、そんな私にも「嫌な仕事」というのはやはりあって、これだけ働いてみると、それがどんなものであるかも自分の中で分かってきた。

例えば、以下のようなものが「嫌な仕事」に該当する。

・人間関係がしんどい仕事

「不平不満ばかり言う同僚」が隣の机に座っている。

「今日もまた上司に怒られるのか」と思いながら会社に通う。

これらは苦痛以外のなにものでもなく、このような人間関係の中で仕事をするのはかなりしんどい。

・なんの意味があるのか分からない仕事

人は「意味」を感じない仕事には、いくら強制されても力は出ない。

これはまさに自分のなすべき仕事だ、自分たちにとってきわめて大切な事柄だと思えてはじめて、主体的に考え、自ら行動するもの。

なんの意味があるのか分からない仕事とは、昨今でいうところの「ブルシット・ジョブ」と同一である。

・自分の能力や経験を超越する仕事

プログラミングに関する知識はほぼゼロなのに、多数のプログラマーをまとめなければならない大規模なプロジェクトを任されたら、うつ病になってしまっても何らおかしな話ではない。

といった具合である。

いずれにしても「会社」や「チーム」といった環境が要因となる場合が多いため、本当に「嫌だ」と思うならば、心が病んでしまう前に思い切って環境を変えてみるのは一つの手だ。

実際、病みがちな人が環境を変えたら、イキイキと働きはじめたという事例は、私の身近なところだけでも複数ある。

しかし、環境を変えてもなかなか解消されず、ほとんどすべての人に発生している「嫌な仕事」も存在する。

それが「追われる仕事」だ。

そして、私の経験則には「追われる仕事」の時間を減らしていく努力は、人生の質を良くしていく、というものがある。

「追われる」のはみんな嫌。

借金取り、パパラッチ、ストーカー。

「追われる」状態というのは人間なら誰もがストレスを感じるものである。

チーターに全速力で追いかけられるシマウマだって、それを嫌だと思わないシマウマはいないだろう。

みんな「追われる」のは等しく嫌なのだ。

私に関して言えば「この感覚」の原体験は中学生の頃にまで遡る。

外でサッカーをして遊んでいた最中に、突然「知らない犬」に後ろから全速力で追いかけられたことがあり、その時から「何かに追われるのは嫌」という強い感覚を持つようになった。

そして、この感覚は働くようになってからも敏感に動いた。

例えば、私は「メール」が嫌いだ。

この理由は、メールが私を「追いかけてくる」からである。

いくらインボックスゼロにしても、数秒後数分後には別のメールが届く。

行動経済学者のアダム・オルターは著書「僕らはそれらに抵抗できない」の中で、「メールはまるでゾンビだ。いくら殺しても次々襲ってくる」という喩えをしているが、これは言い得て妙だ。

メールは「追われる仕事」の代表格なのではないだろうか。

他にも、「上から言われてやる仕事」も嫌いだ。

この理由も、上から与えられた仕事が私を「追いかけてくる」からである。

この状態でさらに、別の仕事を頼まれたりするようならもう、ストレスフルになり、仕事がどんどん楽しくなくなってしまう。

思うに、これもよく生まれがちな「追われる仕事」と言えるだろう。

このように何かに「追われる」のを嫌だと思うのは、「人間は選択を好むために、選ぶことを好む」という特性があるから。

なぜ私たちはコントロールを楽しむのか?

自分自身で選択した結果は、押しつけられたものより自分の好みやニーズに合っていることが多い。

だから私たちは、自分でコントロールできる環境の方が高い満足度をもたらすことを知っている。選ぶという行為はコントロールの一つの手段だ。

たとえば、あなたが観る映画と私が決めてあげるよりも、自分自身で決めた方が、自分が楽しめる映画を(たいていは)選ぶことができるだろう。

自由選択後の結果は好ましいという経験を繰り返すうちに、私たちの心の中では選択と報酬の関係が強固になり、選択そのものが報酬ー探し求め享受するものーになってしまったようだ。

ラトガーズ大学の神経学者マウリチオ・デルガード率いる研究チームは、実験から次のような結果を導き出した。

選択の機会が与えられることがわかると人は喜びを感じ、脳の報酬系である腹側線条体が活性化する。

人間は選択それ自体を報酬と捉え、選択肢を与えられたら、「選ぶこと」を選ぶのだ。

要するに、「追われる」と、私たちに備わっている「選ぶことを好む」というコントローラーが機能不全に陥ってしまうのだ。

だから私たちは「追われる」のを嫌だと感じる、ということである。

「追われる」仕事の時間を減らす努力は、「人生の質」を良くしていく。

何でもそうだが、自分が「嫌だ」と感じるものが無くなったり、減ったりしていくと、人生は楽しくなり、人生の質は良くなる。

追われる仕事」においても同一だ。

では「追われる仕事」を無くしたり、減らすためにはどうしたらいいのか。

この方法を考えていく上で、指針となりえるのは前述した「選ぶことを好む」という性質になるだろう。

これに従うと、自分から「獲りに行く」仕事をすればいい。という一つの結論が導かれる。

実際、私たちは「追われる」状態はストレスに感じるのに対して、昆虫採取でもジャガイモ掘りでも魚釣りでも「自分から探し求めていくもの」は少しも苦にならない。

「獲りに行く」のは「選ぶことを好む」を満たし、私たちの精神を充実させてくれるのだ。

私にも以下のような経験がある。

会議で「これ誰かやってくれる?」という話が出た場合、「私がやります」と言って引き受けた仕事にはストレスを感じない。

自分が営業して獲った仕事や、自分が企画した内容が採用されたプロジェクトは、例え時間に追われることになっても、むしろそれを充実しているとポジティブに考えられる。

同じ仕事でも、自発的に獲りに行くとその後の感じ方は全く異なるものになる。

選ぶことを好む」は、「メール」や「メッセージ」の処理においても適応可能である。

メールに「追われる」のが嫌だ、といってメールを全く見ない、メールを返さないものなら、私はとっくに仕事人として失格になっていただろう。

メールやメッセージに追われないようにするためには、見てよい時間を決めて、まとめて処理するようにすればいい。

例えば、私は、朝と昼と夕方の合計3回、メールやSlackやMessengerを見てまとめて処理をしている。

これはおそらくやっている人も多いはずだ。

そして、それ以外の時間は目の前の仕事しか見ないようにしている。

こうすることで「選ぶことを好む」は満たされていく。

ゆえに「即レス」は原則にしていない。

参照:「集中」という希少資源を上手く使うために、個人的に取り組んでいる10個のこと。

このような具合で、「追われる仕事」を無くしたり、減らしたりする努力をすることは、「人生の質」を良くしていくという手応えを私は着実に感じている。

自分にとって嫌なことが無くなったり減っていくのだから、当然と言えば当然のことなのだろう。

それに、「人生は仕事だ」という側面を考えれば、「仕事の変化が人生に変化を及ぼす」と考えるのも見当違いではないはずだ。

嫌なことをやめていけるのは、歳を取る良さなのかもしれない。

先日、還暦を迎えた「みうらじゅん」さんのインタビュー記事を読んだ。

参考:還暦を過ぎたからこその「ロック」な生き方。老いを前向きに捉える、みうらじゅんさんの人生哲学

みうら節全開の読み応えのある内容だった。

この方、具体的な解決策は提示していないのになぜかずっと心地がいい。

記事の中で、インタビュアーの「歳を取って「以前はできたことができなくなる」ことに寂しさを感じたりはしませんか?」という問いについて、みうらさんはこのように答えている。

以前は、無理していたんですよね。

いまは「好きだと思い込んでいたことが好きとは限らない」と分かってきました。

僕は、ずいぶんお酒を飲み倒している人だというイメージを持たれていて、いまだにお歳暮にお酒を送ってくれる人がいるんです。

でもコロナ禍で飲みにも行かなくなって、よくよく考えてみたら僕はお酒の味が苦手で、一番好きな味はカルピスだってことがようやく判明したんです。

徹夜も好きでやってたわけじゃなかったなと思いました。

今は夜10時半には寝て、朝6時半に起きているから仕事もスムーズなんです。

たいてい昼過ぎには書き物が終わっているし、飲まないから体の調子もいい。いいことずくめですよ。

これを聞いたインタビュアーは「嫌なことをやめていけるのは、歳を取る良さなのかもしれませんね」と続けて応答している。

たしかに、仕事経験を重ねるまでは私も「どんな仕事が嫌なのか」は考えもしなかったし、分かりもしなかった。

分かったからこそ減らそう、無くそうと努力をするように変わった。

だからこそ、これが歳を取る良さだと考えるのはとても腹に落ちる。

人生はまだ長い。仕事もこれからが本番だ。

嫌な仕事を無くしたり、減らしていくことは、これからさらに長い時間仕事をしていくために欠かすことのできない大事なスキルのように思う。

Photo by Tim Gouw on Unsplash

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車

この間、コロナ発生後、長らく行けていなかった「母屋」に三度目の緊急事態宣言発令前に行ったところすっかり忘れていた「定休日(日曜日)」でした。レバーとささみ、熱々の「鶏スープ」が早く飲みたいです。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

ハグルマニの週報

会員登録していただいた方に、毎週金曜日にメールマガジン(無料)をお届けしております。

「今週のコラム」など「メールマガジン限定のコンテンツ」もありますのでぜひご登録ください。

▶︎過去のコラム例

・週に1回の長距離走ではなく、毎日短い距離を走ることにある利点

・昔の時間の使い方を再利用できる場合、時間の質を大きく変えることができる

・医師・中村哲先生の命日に思い返した「座右の銘」について

メールマガジンの登録はコチラから。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

これからもRANGERをどうぞご贔屓に。

記事URLをコピーしました