田中 新吾

「流れに注目すること」は、人生のあらゆる場面において大切で、間違いなく有用な考え方。

マーケティングとは「流れをよくする仕事」

7年勤めた前職マーケティングファームの仕事は、抽象的に言えば「流れを良くする仕事」だと私は解釈していた。

このような解釈が生まれたのは入社3年目の終わり頃になってからだったと思う。

コトラー&ケラーの著書にあるとおり、マーケティングとは「顧客のニーズに応えて利益を上げること」である。

その実務は、

「新商品開発のためのユーザーリサーチとコンサルティング」

「イベントやセミナーの企画運営」

「WebサイトやLPの構築と運用」

「コンセプトとネーミングの開発」

「顧客満足度調査(CS)」

など様々なものがあった。

そして、このいずれもが、

(1)「見込み客」を費用効果的に集める

(2)その見込み客を成約して「既存客」にする

(3)その既存客に繰り返し買ってもらい「固定客」にする

といったビジネスの基本的なプロセスの中で行われていくものであり、マーケティングにはこのプロセスを「一気通貫して流れるようにする」という役割があった。

このような役割を知り、納得した私はマーケティングとは(1)〜(3)の「流れを良くする仕事」というような解釈をするようになったのである。

どんなことでも「流れ」に注目することが大切なのかもしれない

そして、(1)〜(3)の流れが大切であることはもちろん、(1)(2)(3)それぞれで流れが大切であることも分かってきた。

例えば「見込み客」を集めることをしたければ、

集まってもらうために、見込み客になってくれそうな人々に向けて興味関心を抱いてくれるようなコミュニケーションを仕掛けなければならない。

また「既存客」にリピート購入してもらうためには、

「また買いたい」と思ってもらえるような商品やサービスの体験を構築したコミュニケーションを仕掛けていかなければならない。

要は(1)〜(3)のいずれも、企業と顧客のあいだにコミュニケーションを発生させ、コミュニケーションの流れを良くする必要があったのだ。

「良くする」とは、「伝える」ではなく「伝わる」に変える、とも言える。

実際に日常的なコミュニケーションにおいても「伝える」のは簡単だが「伝わる」を実現させるのは非常に難しい。

ハッキリ言うが「伝える」ことは誰でもできる。

これは非常に簡単だ。

なぜなら、話せばよいし、見せればよいし、聞かせればよい。

しかし、それでは人は動かず、人が動くのはその内容が「伝わった」ときのみである。

クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏は、

世の中にあるほとんどの問題は「コミュニケーション障害」によるものだと言った。

これは多くのところで、コミュニケーションが上手く流れていないことに問題意識を持っている、ということである。

可士和氏のそれを知ったのも私が入社3年目の終わり頃で、実際の経験と相まって高い納得感を得たのを今も覚えている。

そしてこの頃から、どんなことでも「流れ」に注目することが大切なのかもしれない、という仮説を持つようになった。

どんな流れに注目してきたのか?

では、仮説を立てた私は今までどんな流れに注目してきたのか?

卑近な例になるがいくつか挙げてみたい。

例えば、私は「交通渋滞がとことん嫌い」だ。

この性向はどうやら父親譲りという説がある。

渋滞にハマるとストレスを感じ、その時間が長ければ長いほど指数関数的にイライラしてきてしまうのである。

過去には、イライラしたせいで周囲に悪い影響を与えてしまったことも。

今だって時々、、、心当たるところはある。

こうなってしまう理由を落ち着いている時に考えてみたところ「流れが良くないところに身を置いているから」という考えに行き着いた。

要するに、流れに注目したのだ。

運転時、道路が順調に「流れている」ことは私にとって極めて大切で、流れているからこそご機嫌でいられる。

したがって、高速道路を使う場合は、必ず交通状況を見て、渋滞にハマらないようなルートとスケジュールで動く。

渋滞にハマらなくて済むのであれば、早起きは私には全く苦ではない。

私は今、誰かに仕事を依頼する場合には、その品質の水準をできる限り明確に示すようにしている。

明確にというのは、どのような形式で、どのような細かさで、どこまでの範囲のものを、などである。

これも依頼からはじまる仕事の流れに注目したためだ。

言うまでもないが、依頼とは、仕事の流れの最も上流部分にあたる。

上流部分が下流にも影響を与えるというのは誰でも想像するに容易いだろう。

経験則だが、依頼の仕方がマズいとロクな仕事にならない。

だからこそ依頼する時点でできる限り、自分が欲しい内容、すなわち品質の水準を明確にしておくのである。

こうするようになったのには当然理由がある。

若手だった頃、フワッとした抽象的な内容で依頼したものは、フワッとした抽象的なものでしか返ってこない、ということを度々経験することがあったためだ。

そしてその度にストレスを感じていた。

抽象的な質問には抽象的な回答しか返ってこない、というのも同一である。

今から2年半前の話になるが、その時から私は「血流」を強く意識するようになった。

血流とは文字通り、体内を巡る血の流れである。

そのきっかけは「サウナ」だった。

ある時、サウナ→水風呂→外気浴のフローを十分に繰り返したことで血流が良くなり、体にポジティブな変化を感じることができたのだ。

それから、運動や睡眠をはじめ、体の血流を良くすることを日常生活に多く取り入れるように変わった。

血流が悪くなる理由は以下の3つ。

(1)血が作れない

(2)血が足りない

(3)血が流れない

この3つには順番があり、1〜3の順で起こる。

つまり、血を作ることができないために血が足りなくなり、足りなくなるので血が流れなくなるというドミノ式になっているのだ。

したがって、そもそも「血が作れない人」が「血を流す」こと取り組んでもうまくいかないのは当たり前のこと。

これも(1)〜(3)の流れが大切ということである。

そして今や「血流がすべて解決する」は、私の一つの信念にもなった(*1)。

このようにして「どんなことでも「流れ」に注目することが大切なのかもしれない」といった私の仮説は、仕事や私生活での検証を通してその精度を高めていった。

「流れに注目する」ことは人生のあらゆる場面において大切で、間違いなく有用な考え方

そして、この仮説は熱力学の鬼才エイドリアン・ベジャンが導出した物理法則「コンストラクタル法則」に出会い、確信へ変わった。

コンストラクタル法則とは一体何か?

私がこの法則を知ったのは昨年のこと。

それは「流れとかたち」という本の中に示されていた。

有限大の流動系が時の流れの中で存続する(生きる)ためには、その系の配置は、中を通過する流れを良くするように進化しなくてはならない

この法則は簡単に言えば「あらゆるデザインは流動系で、中を通過する流れを効率良くするために進化していく」というものである。

著者によれば、河川の流域も高速道路網も人間の肺の血管も、知識や言語や文化のような社会的構成物、生物・無生物を問わず、あらゆるデザインが「流動系」で、そのいずれもが「コンストラクタル法則」によって支配されている、というのだ。

【流動系の補足】:樹木や泥のひび割れは、水分を大地から大気中へ移す流動系。大学や新聞や書物は、世界中に知識を広める流動系。

そして彼は「生きている」とは「流れ続けること、形を変え続けること」であるともいう。

「生きている」とはどういうことか

コンストラクタル法則が革命的なのは、それが物理法則であり、単に生物学や水文学、地質学、地球物理学、あるいは工学に限られた法則ではないからだ。

この法則は、いつであろうと、どこであろうと、どんな系をも支配し、無生物(河川や稲妻)、生物(樹木や動物)、工学技術で生み出された(科学技術の)事象、さらには、知識や言語や文化のような社会的構成物の、進化を続ける流れにも及ぶ。

あらゆるデザインが、この同一の法則に従って生成し、進化する。

この法則は、生きているということの意味について新たな理解を提示し、それによって、科学のさまざまな分野を隔ててきた壁を取り壊す。生命は動きであり、この動きのデザインをたえず変形させることだ。

生きているとはすなわち、流れ続けること、形を変え続けることなのだ。

系は流動と変形をやめれば死ぬ。

たとえば河川流域は、配置を変え続けながら、時の流れの中で生き永らえる。

そして、流動し形を変えることをやめたときには、干上がって川床をさらす。

(中略)

コンストラクタル法則は声高にこう叫ぶ。

流れるもの動くものはすべて、存在し続けるために(生きるために)進化するデザインを生み出す。

これは願望でも目標でもなく、自然の傾向、つまりは物理的現象なのだ。

(太線は筆者)

この節を読んだ時、私に走った衝撃は本当に凄まじいものだった。

思わず声を上げた。

「やっぱり流れ大切じゃん・・・!」と。

最近、クリエイティブな人たちの中では川の源流の流れの中で遊ぶ「川遊び」が流行っているという。(*2)

この事象に対しても、コンストラクタル法則を通して観るのと観ないのとでは解釈は大きく違う。

この法則を知らなければ「へーそうなんだ」という程度で終わるところが、知っていれば「遊びも本質的な感じるものに変わってきているのか」といった感想を持つこともあるだろう。

本質的なことを知ると、物事に対しての見方はガラリと変わり、質は上がる。

「流れに注目する」ことは人生のあらゆる場面において大切で、間違いなく有用な考え方だ。

*1.「やる気」があれば習慣を始められるかもしれないが、習慣を続けられるのは「自分のアイデンティティの一部」になった時だけ。

*2.なぜクリエイティブな人たちは、源流域の川で遊ぶのか?川と神経の知られざる関係

Photo by Martin Adams on Unsplash

【著者プロフィール】

田中 新吾

「いい交流」とはなんでしょうか?交流とはその字のとおり流れが交わること。流れとは結局、一箇所に留まることなく動き続けている状態。つまり、絶え間なく変化していることです。こういった状態の人同士が交わることが「いい交流」なのだと思います。

プロジェクトデザイナー/ブロガー/ポッドキャスター。ネーミングの力を使ってプロジェクトをゴールまで導くのが得意です。元マーケティング支援会社。複業実践中。詳しいプロフィールはHTML名刺をご覧ください。

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