田中 新吾

「自分ではない他の人が一生懸命生み出したものに一生懸命ついていく」という世界を愉しむ術。

タナカ シンゴ

昨年末に「note」が上場を果たした。

ご存知、インターネット上でクリエイターの創作を支援してくれるプラットフォームとして個人にしても企業にしても今や当たり前となったサービスである。

私がnoteのアカウントを開設し投稿をはじめたのは今から遡ること2017年。

当時はまさか上場するとは考えもしなかったが、noteをきっかけに生まれた出会いや機会は間違いなくあり、その恩恵を受けている一人である。

noteにとって記念すべき日となった日に、note代表の加藤さんから以下のような記事が投稿された。

参照:上場しました。引き続き、がんばります。

この中にある「日経新聞用に書いた」という文章が本当に素晴らしく、読んで感動したのはきっと私だけではないはず。

note、上場します。

noteは創作するひとを応援するための会社として、2011年の末に生まれました。

創作というと、絵を描いたり、作曲をしたり、文章を書いたり、そんなことを想像するかもしれません。しかしそれだけではなく、日常の生活でひと工夫した料理を作ったり、ガーデニングをしたり、日曜大工をするのも立派な創作です。

あらゆる人にとって、この世界は自分用にはできていません。その世界を、自分用に少しずつ変えること。それによって、少しだけ自由になること。それが、創作をすることの価値だと、私たちは考えています。

だれもが創作をはじめて、続けられるようにするために、次のチャレンジをはじめます。

あらゆる人にとってこの世界は自分用にはできていない。

だからこそ、その世界を「創作」によって少しづつ自分用にしていく。

そのためのサポートをnoteはします、という意思表明なのだが、思うにこれ以上にないくらいわかりやすく「創作の価値」を言語化している。

私自身ブログやポッドキャストという活動を通してこの世界を自分用に少しづつアレンジしながら自由を感じてきたというのもあって、この言語化には遥かに大きな納得感を得た。

嘘じゃなく、何か本気で創作をすると今までは見えていなかった新たな世界が見えてくる。

創作は間違いなくこの世界を愉しむための術だ。

ところが。

ここ数年間の経験を振り返って今思うのは、それと同じくらい、あるいはそれ以上にこの世界を愉しむ術が存在するということ。

何かと言うと「自分ではない他の人が一生懸命生み出したもの」に一生懸命ついていくというものである。

例えば、誰かが一生懸命生み出した「本」という作品に読むという行為を通して一生懸命ついていく、あるいは、誰かが一生懸命生み出した「事業」の価値が高まるように自分の価値を提供しながら一生懸命ついていく、などが挙げられる。

そして、一生懸命になってついていくと、ついていく前の自分では決して見ることのできなかった新たな世界が見えてくるのだ。

こういう「世界を楽しむ術」があることをしっかり実感として得るまでは「自分で何かを生み出して愉しまないと・・・」というような焦燥感めいたものが強くあった。

しかし今となればこの感覚もだいぶ薄れている。

これは思うに「自分ではない他の人が一生懸命生み出したもの」に一生懸命ついていく世界を楽しむ術の味を占めてしまったから

食べ物でもそうなのだが、私は一度その味を占めるとずっと追い続けてしまうタイプのようなのだ。

名だたる作家や編集者から絶大な信頼を得ている校正者

話は変わるが「校正」という仕事に関心を寄せる人は今の時代に一体どれくらいいるのだろうか?

ご存知、校正とは、執筆者が書いた原稿を読み、誤字脱字などの「文字の誤り」や、用語の「不統一」などを指摘する仕事のことである。

誤解を恐れずに言うと、表に出ることがなく、日の当たらない地味で縁の下の仕事とも言える。

このような認識も手伝って、私にとってはこれまで全く関心を寄せるようなテーマではなかった。

しかし最近、そんな「校正」という仕事を行う一人のプロフェッショナルの「考え方」を知り、大きく感銘を受けてしまったのである。

今まで校正に対して大変失礼な認識をしてしまっていたと猛省もした。

校正者「大西寿男」。

この名を知ったのはNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」だった。

ここ1年くらいの間で観た同番組の中で、個人的には完全に上位に食い込んでくる内容。

以下でその内容に触れていきたい。

大西さんは、書籍や雑誌など、出版物に記されたことばを一言一句チェックし改善策を提案するフリーの校正者。

芥川賞作家の金原ひとみさん(代表作:蛇にピアス)、宇佐見りんさん(代表作:推し、燃ゆ)をはじめ、名だたる作家や編集者から絶大な信頼を得ており指名も絶えない。

とても柔らかな雰囲気の人柄でありながら、ひとたびゲラと向き合うとまばたきすることも忘れ、言葉の海に潜り込み、ひと文字ひと文字確認し、最善の表現を探していく。

今でこそ多くの話題作を支える大西さんにも悩める時代はあったという。

26歳でフリーランスになり10年後には担当した作品から数々のヒット作が生まれた。

がしかし、時には「才能は必要ない。単なる下請け。」などといわれたことも。

インターネットの台頭とともに深刻な出版不況が訪れ、校正料の削減や納期を短縮をしないと仕事が回ってこないことも多々発生。

この状況を受け、睡眠時間を削り必死に仕事をこなしていたが、ある時、一冊の本の校正を期限までに終わらせることができないという事態を招いてしまうことに。

大西さんは50歳の時、再び原点に立ち返ることを決意。

生活を切り詰めてでも無理な仕事は断り、一つ一つの仕事に丁寧に時間をかけるように自分を変えていった。

そしてこの時の決意が現在の仕事に繋がっている、というような話だった。

受け身であることを最大限強みにする「積極的受け身」

番組の中で大西さんが発していた言葉の多くが、私にとっては胸にくるものだった。

流石言葉を守り続けてきた方だと言わんばかりである。

いい悪いじゃないんですよね。

作者が、書き手が、本当に紡ぎたかった言葉はこれなのか。

大事なことはそこしかない。校正者の仕事っていうのは「言葉を力づける」みたいなことになるんですけど、書いた人が「自分は本当はこういう風に言いたかったんだ」みたいなことを最終的に納得できるところまでをしっかりサポートする。

今は言葉が泣いている。

自分の言葉に対してもうちょっと手間暇というかケアしてあげることができたら、もっともっと言葉も傷つかないし相手を傷つけることもないし逆に相手から自分が傷つけられることもないはず。

この様に番組を観ながら書き留めておいた言葉は数知れず。

そんな中、とりわけ感銘を受けたものが以下の言葉である。

自分じゃない他の人、作者が一生懸命生み出した言葉に一生懸命くっついていって、それって全く未知の世界ですよね。

でも、そこが面白いんですよね。

物語を紡ぐ人に比べれば自分は何も作らない。

そういう意味で言えば何から何まで受け身。

でも、相手が何か一生懸命何か表現しようと伝えているときに、受け身になることで理解したり発見したりすることもたくさんある。

その受け身であるってことを最大限強みにするのが積極的受け身。

それはそれですごく面白いというか、ワクワクするというか。

自分で選び取った受け身だからこそ、広がる世界がある。

「自分じゃない他の人、作者が一生懸命生み出した言葉に一生懸命くっついていくことは、まったく未知の世界だけどそこが面白い」

この話を聞いた私は、ここ数年の間で実感を重ねてきたものとどうしてもアナロジーを感じずにはいられなかった。

そしてその状況を「積極的受け身」と称するそのネーミングセンスにも驚嘆した。

「受け身では良くない」

そんな世間の固定観念に一石を投じる素晴らしい概念だとも感じた。

校正者・大西さんの番組を観たことは、私の人生にとって遥かに価値が大きく、きっと一生忘れることのない出来事になる。

自分でする創作だけが世界を愉しむ術じゃない

冒頭のとおり、この世界ははっきり言って自分用にはできていない。

だからこそ「創作」をすることによってそんな世界を自分用に少しづつ変えて愉しめばいい、というのは本当にその通りだと思う。

しかも、創作をするための優れたツール、技術を磨くための環境、創作したものを発表するためのプラットフォームも日進月歩で充実が進む。

最近ではAIを使った創作活動の勢いも本当に凄まじい。(これを本当の創作と言うかはさて置き)

こういう状況があるからこそ「何かしら創作しない手はない」と考えるひとは今後もきっと増えていくのだろう。

さらに言えば、社会全体に長らく「生産性」という通念がこびり着いていて、多産であることが良いとされ「何かを生み出さなければ」という思いが自然と生じ易くなっているのもある。

かくいう私自身、間違いなくこういう空気を吸い続けてきた人間の一人である。

そして、大学生の頃からブログを使って意見表明することをはじめ、現在もなおそれを続けているのはこの空気を吸いながら創作の味を占めてきたからに他ならない。

しかし、そんな私も歳の影響なのか校正者・大西さんのように、自分では無い他の誰かが一生懸命創作したものに、一生懸命ついていくという世界を愉しむ術の味を占めつつある。

どちらの愉しみ方が良いわけでもないし悪いわけでもない。

ただ、今の自分にとっては誰かが一生懸命生み出したものに一緒懸命ついていく、という世界を愉しみ術に今はできる限り時間を費やしていきたいという考えが強くある。

「他の人が一生懸命生み出したもの」というのは「本や映画」のようなものから「事業」だって該当する。

相手が考えていること」だってそうだ。

「目の前にいる相手はなぜそう考えたのか?」

こんな問いを起点に対話を通して、一生懸命になってついていくと自分には見えていなかった世界が見えてくる。

言い方を変えれば、私の蒙が啓かれるのだ。

一応お伝えしておくと「他の人が一生懸命生み出したもの」に興味関心が高いからといって、今まで続けてきた自分で記事を書いたりという創作を止めるわけではない。

言いたかったのは「自分でする創作だけが世界を愉しむ術じゃない」ということ。

「自分で何か創作をしなきゃ世界を愉しめない」と強く思い悩んでしまっている人にとって、何かを考えるための参考に少しでもなれば嬉しい。

UnsplashSeven Shooterが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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これからもRANGERをどうぞご贔屓に。

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