田中 新吾

私がブログをオワコンと思わない理由。

タナカ シンゴ

先日、株式会社Waseiの鳥井さんが書かれているブログでこんな記事を読みました。

関連記事:ブログはもうオワコンなのか?

テキストコンテンツよりも、Instagramのような写真コンテンツや、YouTubeのような動画コンテンツのほうが圧倒的にリーチしやすいということは火を見るよりも明らかです。

ただ、そういった「届ける」ための手段ではなく、「自分自身と向き合う」ため、「考える時間」を確保するためには、やっぱりまだまだブログが群を抜いて優れていると思っています。

ブログを書くものとして、ここに書かれていることは頷くものばかりで共感の嵐でした。

やっぱり私がブログを書くのも「自分と向き合う」ためであり「考える」ため。

何かを届けることを重視しているのであれば、Youtubeなどきっと別のもの使っています。

ちなみに、Twitterも同じような位置付けです。

noteはまた少し違う独自の捉え方。

すこし前置きが長くなりましたが、なので今回は「ブログをオワコンと思わない理由」を自分なりに現時点の考えとして記しておこうかと思うんです。

突然「コンテンツって何?」と聞かれたらあなたは何と答えますか?

ブログがオワコンかどうか判断する前に、これについてまずは考えるべきではないかと個人的には思うんです。

コンテンツとは何か

私が考えるコンテンツとは、「情報とあなたの体験」を全て結合させてしまう、それくらい強力なものです。

つまり、それはテキストや動画だけのことを指すわけではありません。

言葉で読める情報は人の認識の浅い部分で展開しますが、コンテンツは深い部分で動くと感情を揺さぶったり、認識や体験を変えてしまう。

これをマーケティング的にいえば、態度変容を促すようなことと言えるでしょう。

あるいは、ライフスタイルを変えてしまう力があるもの。もっというと、コミュニティを組成してしまうような力を持っているものもあると思っています。

これが僕がとらえている「コンテンツ」です。

つまり、強い接着剤みたいなもの。

ブログはコンテンツであり、コンテンツではない

ブログに情報と体験を強く結びつける力があるかというとそうは思いません。

あったとしてもそれはほんの一握りでしょう。ブログはあくまで人の認識の浅い部分で展開するもの。

だからコンテンツであるという側面もあるけれど、限りなくコンテンツとは呼べないものがブログだと思っています。

インターネットが出てきた当時は伝えたり・届けたりする手段が今のように豊富ではなかったので、その時はコンテンツと言えるほどの力があったのかもしれませんが、今はもうそうは呼ぶには相応しくないと思っています。

だから「ブログはオワコン」と言われても全然ピンとこない。

そもそもブログをコンテンツと思っていないから当然のことなのかと。

ブログはコンテンツではなくツール

「じゃあコンテンツじゃないなら、なんなんだよ」って話が聞こえてきますが、これはとてもシンプルで、ブログはツールなんですよツール。

ひとは自分の中で考えたことがあることしか話すことができないので、「面白い話ができるようになりたい」と思うのであればやっぱり考えるしか方法はないと思います。

参考記事:思考力ではなく「思考量」が大事だと思う理由。

当然、話ながら考えることもできるけれど、それでは深みや奥行きはでません。

というか「自分しか理解できない」を「他者にも理解できる」に変える過程こそが、考えるという行為につながっていくわけでなので、話ながらこれを行うのは非常に難しいことだと思うんです。

だからやっぱり「書く」のが一番なんですよね。

そのためのツールがブログ。

さいごに

これは本当に極論ですが、話が面白ければ死なないと思います。

今はそういう時代。

それに、やっぱり面白いことをしていきたいし、面白い話ができるようになりたい。だからたくさん色んなことを考えたいんです。

そのために時間をきっちり確保したい。

誰がブログをオワコンと言おうが言わまいが私には関係ありません。

考えるためにこれからも淡々と書き続けていくだけだと思います。

それでは今日はこの辺で。

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