RYO SASAKI

「ちゃんとする」を強要する安全強迫社会で、私はスラッキスト(slackist)という戦略をとる。

田中 新吾

冷蔵庫にある500mlの炭酸水をよく飲んでいる。

それを手に取ったとき、ふと思い出した。

ペットボトルに口をつけて飲むのは、体に良くないらしい。

一度口をつけると、口内の菌がペットボトルに付着し、時間とともに増えるという。

以前それを知ったとき、私はペットボトルに口をつけるのをやめ、その都度コップに注いで飲むようにした。

だが、三日も続かなかった。

私の親ならそんな自分にこう言っただろう。

「ちゃんとしなさい」と。

子供の頃に散々言われた言葉だ。

そんな時私がいつも思っていた疑問がある。

ペットボトルに口をつけて飲むことはどのくらい体に悪いのだろうか?

私はいつものように考え始める。

「ちゃんとする」ができないズボラな自分を正当化する方法はないだろうかと。

当の原因は別にある

菌が悪いのか、それとも体が弱っているせいなのか。

体が元気なら、同じ菌でも問題にならないはずだ。

そう考えると、気にすべきはペットボトルではなく、私の基礎体力かもしれない。

また、人には持って生まれた個体差がある。

個体差によって、口をつけて飲んでも問題ない人がいるはずなのだ。

こうして私は、「ちゃんとする」をひとつ疑う。

それを繰り返す生き方を、あとで「スラッキズム」と呼ぶことになる。

リスク対策が増殖する

掃除や入浴や自転車のヘルメット着用はどうだろうか?

果たしてこれらがどの程度まで必要なのだろうか?

昔は入浴の頻度が低かったが、現代は増えたのはなぜか?

菌を避けるため?それとも肉食に変わったことによる体臭の問題だろうか?

自転車のヘルメットは、努力義務になったが、どのくらい役立つだろうか?

世の中の「ちゃんとする」は、静かに膨れ上がっていくようだ。

研究が進むたびに、「やった方がいいこと」が一つずつ積み上がる。

「こうしたら危険だ、だからこうした方がよい」

を見つけては提案してくる。

安全もまた商品になるのだ。

リスクを減らすことがリスクになる

ペットボトルからヘルメットまで、

すべて「ちゃんとやる」べきことにされている。

私には、どんどん膨らむように見えるのだ。

ペットボトルに口をつけて体調を崩す確率は、どのくらいだろう?

1日掃除をしなかったり、風呂に入らなかった場合はどうだろう?

仮に、その確率が0.01%だとしたら、毎日注意して約27年かけてやっと1回起こるかどうかのレベルだ。

果たしてそこまで神経をすり減らす価値があるだろうか。

低確率のリスク対策を積み重ねているうちに、日々の生活は手間で埋め尽くされ、自由も減る。

さらにストレスが増え、睡眠も削られていく。

減らしたはずのリスクが、別のリスクを生む――終わりのないループだ。

安全強迫社会

そして人には、この「ちゃんとやる」を他人に強要してしまう傾向がある。

平均的なルール――まだ正式なルールではない――を、まるで正解のように他人に押し付ける。

一見するとリスクを管理しているように見えるが、実際は自分の不安を減らしたいだけ。

そのため、無意識に「ちゃんとやる」を他人にも強要してしまうのだ。

こうして、人や企業から「対策しないと危険」「やらないと損」と煽られる。  

その結果、やらないことに罪悪感を感じ始めるのだ。

もはやこの社会は、「安全強迫社会」と呼ぶのがふさわしいのではないだろうか。  

わずかな不安すら、見逃さない社会。

まあ私のズボラさは極端で、つい造語を作ってしまうほどだ(笑)

でもこうして敢えて極端にみることで、そこから抜け出す方法が見えてくるように思う。

スラッキスト(slackist)という戦略

毎日掃除して、ヘルメットを着け、ペットボトルも気をつけ…それでも寝不足。

もう、リスク対策に人生を奪われるのは嫌だ。

その時、ひとつの答えを思いついた。

ミニマリストならぬ、スラッキスト(slackist)

slack には「ゆるい」「張り詰めていない」「余白がある」という意味があり、

slack off には「怠ける」という意味がある。

スラッキストは怠け者ではない。

健康や自由、幸福を守るため、やらないことを意図的に選ぶ――その哲学をスラッキズム(slackism)と呼ぶ。

スラッキストでいること自体が、戦略なのだ。

「ちゃんとやる」人は、どこか窮屈そうに見える。

リスクを過剰に感じ、強迫に駆られているからだ。

私は必要以上にリスクを恐れず、やらないものを選ぶことでダメージを減らす。

後で調べたところ、ペットボトルから直接飲む時に、糖分のない飲み物はリスクがさらに少ないらしい。

これは糖分が菌の繁殖を加速させるためだ。(注)

私の場合は糖分のある飲み物をほとんど飲まないため、ペットボトルに口をつけてもほぼリスクはなかった。

自分のズボラさを押し通した結果、ひとつ「すべきこと」が減って自由になった。

自由には、ズボラさを貫く勇気が必要だ(笑)

安全強迫社会から脱却するには、「ちゃんとする」を一つずつ手放すしかない。

今日もペットボトルに口をつける――このなんてことのない行為こそが、私の戦略だ。

(注) : 内閣府・東京都の食品衛生ガイドラインによる発表

Unsplash21. Yüzyıl Lideriが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

「スラッキスト」「スラッキズム」「安全強迫社会」

言葉がなかったので作りました。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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