子供の頃のベストな感覚を再び味わえるか!?~自分が自分に課した初めての夏休みの宿題~
今年も夏がやって来た。
「一番好きな季節は?」
と問われると私は今でも「夏だ!」と答える。
昔から寒いのが苦手で暑い方がいい。
最近ではその暑さをしんどく感じるようになってはきているが、それでもまだ”夏”が優位を保っている。
ジワジワと汗をかくのは気持ち良くはないが、どこか身体を使っているという感覚があって心地よいところがある。
忙しく動いた後にその汗だくな体を風呂で流す。
そして風呂上がりのさっぱりした状態で冷たいものをいただく。
忙しく動けば動くほどこのルーティンが格別なのである。
今年も暑気払い(単なる呑み会だが)のお誘いをいただいたので、十分に身体を動かした後の風呂あがりに参加する、という贅沢をしたいものだ。
そんな夏の思い出を、今度は過去に探しに行ってみるとそこに意外な発見があった。
夏休みの思い出
夏休みで真っ先に思い出すのは、子供の頃、家の前でひとり日光浴をしていたことだ。
夏休みの宿題も順調。
親は忙しいし、お金もないし、どこに行きたいというのもなくて、何もすることがない。
そんな自分が行きついたのは、上半身裸になって家のブランコのようなものでただ揺れている、ということだった。
ブランコがなぜあったのか?以前から使っていた遊具だったのかもしれないが、定かではない。
その時の自分の状態は、何も心配がなくて何も考えてない状態。
そしてその時の感覚は、身体が絶対的に健康体でエネルギーに満ちていて、その夏という季節の暑さとその健康体が完全に交じり合っていて夏に身を完全に浸らせていて、ただこれがずっと続くんだ、とだけ思っている感覚。
そんなような感覚が今でも鮮明に思い浮かぶ。
その快適さに私は思わずひとりニヤけてしまっていて、そのひとりニヤけを不思議に思いながら、同時に恥ずかしく思ったことまで覚えている。
お前は一体何か楽しいんだ!?
と自問自答して余計ニヤけることになった。
そう言えばこの時のことは過去にも何回か思い出している。
どうやらこの時が私の夏の快適な瞬間のベストではなかっただろうか?
恥ずかしながら何とも貧しく地味だ。汗笑。
何度も思い出すことと言えば、他にもこんなこともある。
お盆には、母の実家に遊びにいくことが恒例だった。
実家は周りに広大な田んぼが広がっているような田舎で、道中、肥料や稲の特有な臭いが強くなることで実家に近づいていることを感じたものだ。
母は6人兄弟。
毎年のお盆にその兄弟の家族が集まり、お昼過ぎには大人数の宴会が始まる。
最初の頃は、到着が14時を過ぎるもんなら母親は「遅い!」と叱られるくらいの勢いある時代だった。
そんなお盆の子供の一番の楽しみは夜宮に出ている露店。
最寄り駅の商店街(とは言っても毎年店が減って商店街とは呼びづらくなったのだが)に多い時で露店は30店くらい立ち並んだだろうか・・・。
一番人気の露店は、何か板のような菓子?を所定の形に削ると商品が貰えるというようなところで、たくさんの子供が集まって削っていた。
でも私はと言えば、上手く削れる自信がなくてやると損してしまいそうでやらず仕舞い。
わずかなお小遣いから悩んで悩んで、わたあめ、あるいはラムネ、小さい頃はヒーロー物のお面などを買ってもらって帰ったんだと思う。
今にして思うのは、夜宮の何がそんなに楽しかったんだろうか?
わたあめが美味しかった、という記憶、あるいはお面が買えて嬉しかった、というような記憶よりも、むしろ暗い夜道の両サイドにつながっている露店の光に集まっている浴衣の人々の期待に充ちた笑顔の方を鮮明に覚えている。
そして自分の中の感覚でいうと、わずかな小遣いだがこの露店に何か素晴らしい物を見つけることができるのではないか?という買い物をする前の期待感、そのワクワクが何よりも記憶に残っている。
記憶として残り続ける感覚
裸ブランコの時と夜宮の露店の時。
今でも残り続けていて何度も思い出すこの時の感覚。
この感覚が、何かをゲットした(買ってもらった)時よりも鮮明に残っているのはなぜなのだろうか?
季節と一体化して何の不安なく、安心しきっている感覚。
そして、(何かを得る前に)見えない何かの登場を期待している感覚。
ひょっとして、これらの方が人生の喜びとして大きいものなんではないだろうか?
そんな思いがふと湧いてくる。
日々感じる数々の喜びの中で、最も大切なものはこの記憶からなくならないこのような感覚にあるのではないか?
そして、この残り続ける喜びの感覚が多いほど人は幸せなのではないか?というところに思いがおよぶ。
今回の発見と言えばこんなところになる。
だとすると、単純にこのような感覚をこれからも味わえばいい。
この夏休みを皮切りに、子供の頃味わった最高の感覚を再び味わいたい、そんな貪欲で無謀な?思いが湧いてくるのだ。
最高の感覚を追い求める
そうは言うものの大人になったら、この感覚を持ち得ないのではないか?
大人になるといろいろなものを失う、とはよく聞くことだ。
子供の頃の感覚をもう一度今味わうなんてのは、それこそ子供が言い出すような無茶なことだろう?
大人というものは(少なくとも私は)、そもそもあちこちの関節痛を感じてしまって夏と一体化して浸ることに集中できなくなっているだろう?
そうそう、大人というものはいろいろなことを経験して世の中がわかってしまって、予想が上手くなるのだ。
だから何事に対しても想定内の期待しか持てないように落ち着いてしまった状態になってしまってるんだろ?
案の定、そんな私の常識が壁を作って抵抗してくる。
・・・
いやいや、突破口はあるはずだ!
何事も新しいことにチャレンジする場合、これまでの自分の常識に抗って常識を粉砕しないとならないのだ。
私の抵抗に私が抵抗する。
裸ブランコの感覚を味わうために抵抗となっているものは何だろうか?
考えて何とか上げてみる。
・暑さを避けてより快適を求めようとする前向きな思い
・将来に向けてもっとよい自分になろうとする前向きな思い
になるだろうか・・・。
いくら前向きだからといって受け入れてはいけない。
これらの前向きな思いを捨てて、不快な暑さを快適なものとして夏に浸り、今の自分に完全に満足すること。
これが夏にドップリと浸るために必要なのだ。
次に、夜宮の露店の感覚を味わうために抵抗になっていることは何だろうか?
・自分が世の中のことがわかったような気持ちになっているという自信。
になるだろうか・・・
確かに、長く生きていれば知っていることが増えるだろう。
本を読んでも必ずしも新しい発見が見つかるわけではない、といった感じが最近はある。
でも、世の中は見方によって見えるものが違ってくる、ということからすると、見方によって想定外のことが見えてくるわけで、見方を変えることで期待にワクワクできるはずなのだ。
にもかかわらず、何かわかっているように世の中を見るようになっていた自分に気づく。
大人というものは世の中のことをわかっていないとならない、という縛りによって、そして自分の見栄がそれを見事にアシストしてわかっているように自分を仕立ててしまっているのだ。
さて、ここまでを踏まえてこんな私をどうしてやろうか?
そうだ、折角の夏なので、これらの抵抗をはずす夏休みの宿題を自分に課してみるのはどうだろうか?
宿題とは、
①(不快だと認識する前に)暑い感覚の喜びに浸る。
→気温の定点観測にあおられるんじゃない、定番の「暑くてシンドイですね!」って挨拶するんじゃない、夏は暑くていいのだ!笑
②未来の想像を止めて、今の目の前のことに集中する。
→未来の計画を考え始めて、不安になりそうになったら、「大丈夫、大丈夫何とでもなる」と唱えてはぐらかすとか・・・。
③(物事に対して特に)出会った人とはこれまでとは異なる角度、ワクワク発見目的で接する。
→相手の話したいことの核心をとにかく引き出すのだ、そこに必ず自分にとって意外な発見がある、自分の話はどうでもいい。
※常識的表面的な話に終わって発見がないならば、私の人としての器の小ささゆえである、と言い聞かせる・・・。
そして、想定外のワクワクがしんどくなることのはそれを自分がすべて解決しないとならない、とできないことに反応するからなのだ、と自分の無責任を容認することで自分を奮い立たせる。
と、いくつか上げてはみたが、抽象的だし何とも拙い。
まあ、それでも意識することでなにがしか変化するはずだ。
・・・・・
さて、今年はどんな夏になるんだろうか?
いや、どんな夏にすることができるんだろうか?
控えめに言って、子供の頃の感覚にどこまで近づけるんだろうか?
夏休みの宿題ならば、せめてそこで得た感覚を日記に書いて後日提出せねばならないんだろう・・・。
流れのままに自分で首を締めるような面倒なことまで言い出してしまったが、この提出するという縛りがどこか懐かしい。
ともかく、この宿題は周りから強要されたこれまでとは違って、初めて自分が自分に課した夏休みの宿題なのだ。(←大げさな・・・笑。)
ならば、今年最高の夏になるに違いない。
今年の夏を子供のように楽しみたい。
・・・ハタから見れば、はしゃいでいる奇妙なおっさんにしか見えないだろうけど・・・汗。
UnsplashのMarvin Meyerが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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