田中 新吾

人は情報だけでは満足せず、「あなた」の存在を感じさせてくれるメッセージを求めている。

タナカ シンゴ

クラブハウス」に触発され、ツイッターやフェイスブックが「音声」を使って利用者が交流できるサービスの提供開始に向け準備を進めている。

パラレル」という「国産の音声SNS」も、この記事を執筆している時点で、日本を含むアジア圏において100万ダウンロードを超え「Z世代」に人気だ。

音声配信アプリ「Voicy」については、クラブハウス登場以降3ヶ月で2.5倍のユーザー数を獲得しているという(*1)。

図らずも、リアルな人との交流が憚られる時代になった今、「音声配信の価値」に強くスポットライトが当たっていると言っていいだろう。

私は2018年2月から「ポッドキャスト」による音声配信をはじめたのだが、配信を続けていく中で一つ分かったことがある。

それは「ポッドキャスターは他のポッドキャストを良く聴いている」という事実だ。

つまり、リスナーは配信者でもあることが多い。

かく言う私自身も、他の配信者のポッドキャストをしょっちゅう聴いている。

最初の頃はベンチマークのリサーチを主目的に聴いていたのだが、今の目的はそれとは違う。

私は「音声配信」に「心地よさ」を感じており、それゆえに「心地よさを得る」というのが今専らの目的だ。

コロナ禍で、人と直接出会うことは激減した。

しかし、良質な音声配信者との出会いは逆に激増した。

思うに、こんな状況でも今の私が比較的ご機嫌な気持ちでいられるのも、こうした配信者の方々との出会いがかなり影響している。

本当に有難い限りである。

しかし、

なぜ私は音声配信に心地よさを感じるのか

については、長らく自分の中で納得の行く答えが出ていなかった。

ところが、最近読んだ一冊の本が、ようやく納得の行く答えを私に提示してくれた。

「あなた」の存在を感じさせてくれるメッセージとしての「音声配信」に価値を感じている

その本というのが、NASA、IBM、マイクロソフトなどを顧客に持つ、ビジネスシーンにおけるストーリーテリングの第一人者「アネット・シモンズ」が書いた「感動を売りなさい」というものだ。

今からもう10年以上も前に出版された本なのだが、読後、今の私にとっては遥かに大きな価値があったと感じた。

納得がいったのは以下の箇所である。

人は情報だけでは満足しません。

「あなた」の存在を感じさせてくれるメッセージを求めています。

「生身の人間」がこのメッセージを送っているのだということを示す、人間らしい何かを感じたいと思っています。

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これには個人的に思うところが結構あった。

最近、コンセプトの構築とネーミングの仕事を一件納品したばかりなのだが、依頼いただいたクライアントとのコミュニケーションが驚くほどに心地よかった。

この心地よさの正体が、人は情報だけでは満足せず、「あなた」の存在を感じさせてくれるメッセージを求めている、と説明されれば個人的にはかなり納得がいく。

いわゆる業務的な文面ではなく、思考や敬意が其処此処に滲み出ていて、テキストのみでも十分に「あなた」の存在を感じることができたのだ。

以前、「イケウチオーガニック」というタオルショップで、友人のプレゼント用にベビーブランケット購入したことがある。

その購入から約一週間後、自宅に届いた「一枚の手紙」から感じた「心地よさ」は今でも忘れない。

接客をしてくれたスタッフのひとから、「直筆」で購入した商品についての具合を伺うようなメッセージが書かれていたのだ。

ここで得た「心地よさ」というのも、人は情報だけでは満足せず、「あなた」の存在を感じさせてくれるメッセージを求めている、と考えれば納得がいく。

そして「音声配信」に対しての「心地よさ」についても同一だ。

要は、テキストよりも遥かに、「あなた」の存在を感じさせてくれるメッセージとしての「音声配信」に私は大きな価値を感じているという、ことである。

今まで私は、「人の印象」を形成する情報は、聴覚よりも視覚の方に優位性があると思っていた。

が、昨今の研究によれば、聴覚の方が人の印象を理解できると指摘されるようになってきているらしい(*2)。

聞こえてくる声のトーンやスピードから、その人が信頼できるかどうかを判断したり、納得感を得ることができるというのだ。

前述の引用した箇所は、本の中で決して強調されていたわけではない。

しかし、私にとっては見過ごすことのできない非常に価値のある知見だった。

あなたの存在を最も伝えられるのは「ストーリー」

そして、この本によれば「あなた」の存在を最も伝えられるのは「ストーリー」だという。

ストーリーの定義は沢山ある。

だが、ほとんどの定義が「学術的」だ。

つまり「正確」ではあるものの、あまり「実用的」ではない。

ところが、この本における定義は非常に実用的だと感じた。

「ストーリー」とは、

聞き手の想像力を刺激し、実際に体験しているような気にさせるだけの、充分なディティールと感情を盛り込んで語られる経験

つまり、

なんらかの経験を想像させて再体験」させるもの、ということだ。

例えば、ソフトウェアの「エンジニア」に、

クライアントの日常を体験させることができたら、クライアントがシステムのバグでどんなに苛立つかが実感できるだろう。

あるいは、スーパーマーケットのドライクリーニングに自分の服を撮りにいった経験さえない「政治家」に、

やんちゃ盛りの三人の子供を連れて、財布と相談しながら、スーパーで果物や野菜を買う低所得のシングルマザーの一日を体験させることができたら、その大変さが実感できるだろう。

こうした体験は知性が理解する以上に、「あなた」の存在を最も相手に伝えるメッセージとなり、深い理解をもたらす。

そして著者は、ストーリーの形でメッセージを伝えられると人は、

 「自分が人間としてみなされていること

生身の人間としての自分に情報が伝えられていること

自分が孤独ではないこと

を感じるのだという。

昨年末、patoさんというライターの方が書いた「Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。」という記事が大バズを起こしていたのはまだ記憶に新しい(*3)。

読後。私も漏れなくTwitterでシェアした。

「鬼滅の刃」が絶好調だ。

あえて説明する必要もないが、劇場版の興行収入がえらいことになっていたり、単行本の売り上げがドえらいことになっていたり、最終巻を求めて長蛇の列ができたり、めちゃくちゃ転売されたり、わけわからんコラボグッズが出たり、とんでもない状況だ。

見ると、町ゆく子どもたちのマスクまでどこかで見たような柄のものになっている。

これはもう社会現象と言っても過言ではないのだろう。

この「鬼滅の刃」はすごい。

たぶんどえらい作品だ。

そんなもの詳しくなくても分かる。

ただ、「たぶん」と表現しているのは、実はまだ観たことがないからだ。

そう、僕はこの作品に全く触れていないのだ。

原作も見てなければアニメも見ていない。もちろん劇場版も見るつもりはない。



(中略)

「ごめんね、ごめんね」

母はそう言って蓋を開け、一気にかっこむ。

よほど飲みたかったらしい。

「いいから、いいから」

そう言った瞬間だった。

ブホーーーーー!

母は、ちょっとノリの良いマーライオンみたいに口に入れたものを吐き出した。

グレートムタの毒霧のように吐き出した。

なんだなんだ、あいつら毒でも盛りやがったか。

そう思い、急いでビンのラベルを見る。

そこには衝撃的な文字列が並んでいた。

「めんつゆ」

酒ですらねえ。めんのつゆじゃねえか。

あいつらなに考えてるんだ。「めんつゆ」じゃねえか。

僕の記憶が確かならヤマキの「めんつゆ」だったと思う。

どうやらビールはダメだ、思ったよりアルコールが強いだとか、ああでもないこうでもないと議論するうちに迷走してしまい、最終的に「めんつゆ」になったようだった。

思うに、

ストーリーが、「あなた」の存在を相手に最も伝え、深い理解をもたらし、生身の人間としての自分に情報が伝えられていると感じる、ということについて、これほど「良質な参考書」はない。

そして、私が好んで聴いている「ポッドキャスト」の配信者にも、patoさんほど強烈なものではないにせよ、経験を最体験させる「ストーリー」があるのだ。

だから、ただでさえ音声配信が「あなた」の存在を感じさせてくれるにもかかわらず、更なる「心地よさ」を感じるのだろう。

映画「パラサイト 半地下の家族」でアカデミー賞を受賞した「ポンジュノ監督」は「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」だと言っていたが、今ならその意味も分かる。

「ストーリー」は「最も個人的なこと」にこそ宿っているからだ。

「ストーリーの形を取ることのできないメッセージ」であっても、「あなた」の存在を感じてもらいやすいメッセージにすることはできる

「サピエンス全史」を著した歴史学者の「ユヴァル・ノア・ハラリ」も

効力を持つ物語は人を集結させる

として「ストーリー」の力について語っている。

効力を持つような物語を語るのは楽ではない。

難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。

歴史の大半は、どうやって厖大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。

とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。

なぜなら、そのおかげで無数の見知らぬ人どうしが力を合わせ、共通の目的のために精を出すことが可能になるからだ。

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しかし。

自分が発する日々のメッセージのすべてを「ストーリー」の形で伝えられる人は恐らくいない。

なんらかの経験を想像させて再体験」させるものというのは、これまでの自分、なりたいと思う自分、自分がしてきたこと、感じてきたこと、夢見てきたことといったような、「あなた」の「人生」そのものだからである。

ゆえに、「ストーリーの形を取ることのできないメッセージ」でのやりとりの方が多くを占めるというのが一般的だろう。

だが個人的に思うに「ストーリーの形を取ることのできないメッセージ」であっても「あなた」の存在を感じてもらいやすいメッセージにすることはできる。

例えば。

テンプレートではなく、自分の気持ちや考えを交えたメールを返信する。

集合時間の5分前には必ずいる。

頼まれたことは100%クリアし、プラスアルファで相手が嬉しいと思うことを提供する。

出来るだけ綺麗な字を書く。

Twitterで単にニュースのシェアをするだけでなく、そのニュースの解釈やニュースから感じたことを添えてシェアする。

こんな具合に、「あなた」の存在は様々なメッセージの中で示すことが可能だ。

当然、前述の「音声」も一つの手になるだろう。

人は情報だけでは満足しない。

「あなた」の存在を感じさせてくれるメッセージを求めている。

経験則もふまえて思うに、これは一つの真理だ。

無味無臭で味気ないメッセージなど、この世の誰一人として求めていない。

つまり、どんなメッセージにおいても、「あなた」の存在を感じてもらいやすいように工夫していくことこそが、相手を満足させ、その結果として良好な人間関係を作っていく、ということである。

逆に、あなたの存在が感じられないメッセージに対しては、「自分の頭でもっと考えなさい」や「無関心」といったような反応が返ってきても仕方がないと考えるべきだろう。

やはり相手が求めていることを正確に知ると、何をすべきかは自然と分かってくるものだ。

いい本に出会えてよかったと思う。

*1 Clubhouse対抗続々と 音声SNS、Facebookも提供へ

*2 耳は、目よりも感情を汲みとる。活気を帯びる「音声メディア」の魅力と可能性

*3 Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。

Photo by Grzegorz Walczak on Unsplash

【著者プロフィール】

田中 新吾

今推しの漫画は、ジャンププラスで連載中の「ダンダダン」。「ターボババア」という現代妖怪に心とアソコを奪われそうです。

プロジェクトデザイナー/企業、自治体のプロジェクトサクセスを支援しています/ブログメディア(http://ranger.blog)の運営者/過去の知識、経験、価値観などが蓄積された考え方や、ある状況に対して考え方を使って辿りついた自分なりの答えを発信/個人のプロジェクトもNEWD(http://ranger.blog/newd/)で支援

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