「相手が大切にしていることを大切にする」が「倫理観」だったことに気づき、そこから得た大きな発見。
漫画「チ。」の中に出てくる「迷って。きっと迷いの中に倫理がある。」という力強い言葉に触れて以降、私にとって「倫理」が一つの大きな関心事項になっている。
倫理について、あらためて考える時間が増えたのだ。
以前に考える時間が多かった時期は2016年あたりだったと記憶している。
あらためて考えるために「ここは今から倫理です。」という以前NHKで放映されたドラマを視聴したり、倫理について言及されている文献や記事に日々当たったりしているといった具合だ。
しかし、そもそも倫理とはなんなのか?
広辞苑によれば、
①人として踏み行うべき道。道徳。モラル。
「ーにもとる行為」
「政治ー」
②「倫理学」の略
とある。
「ここは今から倫理です。」では、
倫理は「どうすればより良く生きられるかを考える学問」という説明があった。
内田樹さんは本の中で以下のように倫理について述べている。
「倫理」というのは別段それほどややこしいものではない。
「倫」の原義は「なかま、ともがら」である。
だから「倫理」とは「他者とともに生きるための理法」のことである。
他者とともにあるときに、どういうルールに従えばいいのか。
別に難しい話ではない。「この世の人間たちみんなが自分のような人間であると自己利益が増大するかどうか」を自らに問えばよいのである。
(太線は筆者)
これらをふまえながらいささか乱暴かもしれないが、今の自分なりにフィットする言葉にしてみると以下のようになった。
倫理とは、他者と共によく生きるためのことを考えること。
そして、このような思考過程を経た時、「相手が大切にしていることを大切にする」という、私が人間関係において以前から大事している考え方は「倫理観」の一つと言ってもいいのだろう、と考えるようになった。
高校生の頃「倫理の授業はクソつまらない」と思っていた私が、今このタイミングで強い興味関心を持ち始めているこの状況がなんとも不思議で面白い。
諸行無常とはまさにこのことだ。
相手が大切にしていることを大切にするとは一体どういうことか?
随分前に「相手の立場に立って考える」は、「相手の関心に関心を持つ」ことで実践できる、という記事を書いたことがあった。
関連記事:「相手の立場に立って考える」は、「相手の関心に関心を持つ」ことで実践できる、という話。
「相手が大切にしていることを大切にする」は、この考え方を土台にして、より今の自分の考え方にフィットする言葉にブラッシュアップをかけたものになる。
もしも私が「人間関係構築において何が大切だと思いますか?」という質問を誰かから受けた場合の回答でもある。
思うに「相手が大切にしていること」というのは人それぞれあり複数存在する。
家族、ペット、会社、仕事、同僚、恋人、趣味、アイドル、食事、旅行、健康、推し。
もっと抽象的な、信念、哲学、幻想、物語なようなものだってあり得るだろう。
したがって根本的には、個別の応対の中から丁寧に把握していくしかない。
しかし多くの人にとって「共通」で大切だと思われているものもある。
代表的なものは「時間」「お金」「注意」という「希少資源」だ。
経験則だが、相手のこれらを大切にしない人との人間関係はハッキリ言って長続きしない。
時間を奪う人、お金を奪う人、注意を奪う人。
一度なら許容できる人もいるかもしれないが、奪われる行為が続くようなものなら誰もがたまったものではない。
さらに言うと、希少資源以前に多くの人が共通に大切にしていると思われるものがある。
「尊厳」だ。
これは言い方を変えれば「一人の人間として尊敬されている」ということ。
一人の人間として尊敬されている状態は人間にとって何よりも大事。
だからこそ、それが踏みにじられれば怒り、反乱を起こすのは至極当然だ。
この思考は以前記事にした「相思相敬」という座右の銘にも反映されているものである。
関連記事:「相思相愛」から「相思相敬」に座右の銘がアップデートされた話。
以上のように、相手が大切にしていることを把握するように努め、それを奪わない。
むしろより大切にしたいと相手が思えるようにサポートをする。
でも時には、今大切にしたいと思っていることは本当に大切にしたいこと何でしたっけ?と問いかけたりすることもする。
今大切にしているものを放棄した時、より大切にしたいと思えるものが得られる場合が人生にはあるからだ。
これが私が考えて実践に移してきた「相手が大切にしていることを大切にする」の大まかな内容である。
「Self as We」という自己の考え方
そんな私は、先日視聴したNHKの番組「シリーズ ウェルビーイング(1)LIFE SHIFT にっぽん リンダ・グラットンが見た北陸の幸せ」の中で偶然にも大変素晴らしいと思える考え方に出会った。
「Self as We(周りの人も含めてそれは自分と捉える考え方)」という考え方である。
番組は、世界的なベストセラー「LIFE SHIFT」の著者、リンダ・グラットンさんが2022年の秋に来日したという話で、富山、金沢と北陸地方の「老後」の取り組みに注目して訪ねていくものだった。
富山では高齢者が「推し活」によって元気になっている。
金沢では「高齢者も子供も障害があるなしにかかわらず暮らせる街」が紹介されていた。
そして、番組の途中、リンダさんと予防医学研究者の石川善樹さんが対談をする場面があり、「Self as We」は石川さんの口から出た言葉だった。
日本人には個人を「Self」と捉えるのではなく「Self as We(周りの人も含めてそれは自分と捉える考え方)」として捉えているところがある。
これが意味していること、それは「関係性」が人生で最も重要ということ。
だから人生100年時代を幸せに生きるためには関係性が物凄く大事。
以上のようなことを石川さんはおっしゃっていた。
ここで初めて私は「Self as We」という考え方を知り、関心を持ち調べていくとそこには遥かに大きな発見があった。
どうやら「Self as We」は、哲学者で京都大学大学院文学研究科教授の出口康夫さんという方が提唱しているものらしく、以下の記事に詳しいことは示されている。
Withコロナ時代の個人と社会の在り方を捉える性格特性尺度を創出 -東洋的自己の哲学に基づくコロナ禍における「わたし」と「われわれ」の関係性の探究-
かいつまんで言えば、「Self as We」とは、西洋の近代哲学においては「自己」は個人的な行為の主体を「わたし」として捉える場合が多いところを、考え方を変えて「自己」の主体を「われわれ」という新しい見方で捉え直す、というものである。
例えば、「わたし」が自転車を乗る時、意識としての「わたし」以外の「身体」や「自転車」も含めてシステム全体で「われわれ」として自己を捉える。
これは身体や道具に限らず「他人」にも適応される。
人が人生を生きる、そこには「わたし」だけでなく「わたし」や「他者や死者」までを含む「われわれ」である、と捉えるのだ。
出口さんは、このように考えることで、行動が「わたし」の中で完結した独りよがりなものから、対話を基軸としてそこから行為を選択するスタイルへ変化すると述べる。
そのほうが人はより深く考え、他者に配慮することができるのではないかということだった。
私はこの考え方に物凄く腹落ちしたというか大きく感銘を受けてしまった。
この考え方を前提とすると例えば、私が得意なプロジェクトデザインやネーミングなどの個人に属すると思われがちなスキルも「相手との関係性の中に宿るもの」という意識になり、相手への有り難みが著しく増す。
思うに、前出した「相手が大切にしていることを大切にする」は「Self as We」として自己を捉える「意識」になるからこそ、より「行動」にまで移しやすくなるのではないだろうか。
相手も自己の一部。
そう思えば、相手を大切にしないことは自己にとってはデメリットしかない。
「Self as We」は人間の協調的行動や倫理的規範といった「社会の問題」。
さらには孤独感といった「心の問題」を解決していく上で大きなブレイクスルーになる可能性を秘めている。
組織やコミュニティの心理的安全性を考えるための枠組みとしても機能しそうだ。
この先も「倫理」を考え続けていくための一つの考え方として、この不意に受け取ったタスキをもって全力で日々を走っていきたい。
今そんな風に強く思う。
関連記事:「先人たちの素晴らしい知恵や技術や考え方を社会や後世につなげていく流れの中にいる」という確信を得た話。
Unsplashのjesse orricoが撮影した写真
【著者プロフィールと一言】
著者:田中 新吾
プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスクと時間を同時に管理するメソッド)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車。
●X(旧Twitter)田中新吾
●note 田中新吾
「ここは今から倫理です。」の中で、「悪は陳腐、悪は月並み。誰もが当たり前のように簡単に悪に染まっていくそれがこの世界の真理」というセリフがあったのですが、これは本当に共感するものです。
人はふとしたキッカケで簡単に悪に染まる。だからこそ「考え続ける力」をつけたいと思います。
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