田中 新吾

「先人たちの素晴らしい知恵や技術や考え方を社会や後世につなげていく流れの中にいる」という確信を得た話。

タナカ シンゴ

新しい年になってから昨年書き続けてきた「日記」をじっくりと読み返している。

日記は昨年試行した幾つかの個人的なプロジェクトのうちの一つだ。

関連記事:30代半ばになって偶然、自分にあった「日記の書き方」を見つけた、という話。

出張や業務が重なり途中サボってしまうこともあったが、達成率は概ね「80%」といったところ。

書き続けてきて今良かったと思えていることは、

日記というものは時間を異にした自分という他人との文通である、とかんがえておいたほうがよい

という人類学者梅棹忠夫先生の考え方への納得感がとても高まったことである。

梅棹先生は、

自分自身に向けて提出する毎日の業務報告として書けばいい、実はこういうつもりで書いた日記の方が本当は役に立つ

とも述べており、正直最初は半信半疑だったが「内面の記録」ではなく「毎日の業務報告」として記録をし続けてきた結果だんだんとこの意味も分かってきたように思う。

梅棹先生が著した「知的生産の技術」は去年読んだ本の中で特に自信をもって推せる。

この本を読み、日記を書くための動機に出会わなければ今の日記ライフはまず生まれていなかった。

思うに、今後出会う人で「日記を習慣化したい」とぼんやりとでも考えている人がいたらこれを読むことをきっとオススメするだろう。

不思議なのだが、毎日「日記」を付けていると、昨日の自分はもう他人、少し前の自分はもう他人、という実感が湧いてくる。

そして、他人になってしまった自分から学ぶことはとても多く、結局人は自分という他人をはじめとした関係外部からしか良い学びはないのだと自覚できるようにもなり、そんな関係外部に対しての有り難みはかなり増えた。

結果論ではあるが、やってみて本当に良かったと思えるプロジェクトの一つである。

「先人達のビジョン」が繋がれていく壮大な物語「チ。」

話は変わるが、時を同じくして大人気漫画「チ。ー地球の運動についてー」をちょうど読み終えた。

2022年内には一気読みをしようと思い積んでいたものなのだが、読みはじめたら止まらずにアッという間に全巻を読了してしまった。

詳しい話はネタバレになってしまうため避けつつも、「チ。」は異端者だと迫害を受けながらも、自分たちが美しいと感じる「地動説」を命がけで研究する登場人物達による「先人達のビジョンが繋がれていく壮大な物語」だった。

ラファウ、オクジー、バーデニ。

ヨレンタ、クラボフスキ。

シュミット、ドゥラカ。

といった具合に「地動説の研究」が登場人物達によって次々と受け継がれていく。

そして、その受け継がれていくストーリーの中で交差する人間模様が本当に心を揺さぶってくるのだ。

書き留めた「言葉」は両手では全く収まりきらない。

「今世紀の大傑作」と言われるのも納得がいった。

未読の方には是非手に取っていただきたい超オススメの漫画である。

マザーハウスの経営者である山口さんが

「経営者が代わってもデザイナーが代わっても時代が代わってもゆるがないものはビジョンしかない」

「ビジョンは大きいほど長続きする」

と述べていたことも「チ。」を読んで再び思い返すこととなった。

思うに、ビジョンというものは「VISION=視覚」であるから「映像としての輪郭が見えている」ものこそビジョンになり得る。

だからこそ「ビジョンの共有」はプロジェクトメンバーにもその映像の輪郭がハッキリと見えている状態を指す。

これができた時はじめて、各々がビジョンに向かうための行動を自分で考えはじめる。

ガウディで知られる「サグラダ・ファミリア」はまさに「ビジョンが共有されている」と呼んでいい代表格。

「チ。」は私にこんな考えも巡らせてくれた。

先人たちの素晴らしい知恵や技術や考え方を社会や後世につなげていく流れの中にいる

そして、日記を読み返し、「チ。」を読み終え、正月恒例の「箱根駅伝」を視聴した後のタイミングで、ふとある確信を私は得た。

本記事のタイトルにもなっている

先人たちの素晴らしい知恵や技術や考え方を社会や後世につなげていく流れの中にいる

というものである。

冒頭の日記について考えたことは、Twitterにもツリー投稿したものになるのだが、この投稿がまさに私を「流れの中の一人」にしている。

梅棹先生の日記の考え方に、私は実践することであらためて感銘を受けた。

その素晴らしい考え方を関係している社会や後世につなげていくことはできないか、という思いからTwitterに投稿。

すると偶然にも一人のフォロワーさんがそれを見て引用リツイートをしてくれたという流れ。

この私がとった行為は「チ。」の登場人物達と同じくらい命を賭けたものではない。

だからどれほど価値があるものなのかどうかは正直わからない。

しかし少なくとも、私に対してこういう流れの中にいる一人の人間であることは確信させた。

そして「こういう流れの中にいたい」という欲望をはっきりと自覚させた。

箱根駅伝における「託されたタスキを次の走者に繋ぐ」ようなイメージも抱いた。

先人たちの素晴らしい知恵や技術や考え方という「タスキ」を偶然にも託された私は、次の走者にタスキを繋ぐために走っていく。

ただ何も考えずに走ってタスキを繋げばいいのではなく、タスキを持った上で全力で走り繋ぐ(先人たちの素晴らしい知恵や技術や考え方を使って試行錯誤する)ことをしなければ次に繋がれる「良いタスキ」にはならない。

全力で走ることは、先人たちの素晴らしい知恵や技術や考え方に自らが「挑む」ことでもある。

そうして幾ばくか私なりの発見や視点が注がれたタスキが次の走者にとっての良いタスキとなるのだろう。

流れを認識し、流れの中に身を投じ、流れを良くしていく

本当に不思議なことなのだがこういう流れの中にいるという確信を得た時、ふつふつと「安心」という感情も湧き上がってきた。

方丈記の冒頭にこんなことが書かれている。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」

「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」

「世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 」

いついかなる時も同じ場所を流れている川。

その水は常に流れていて同じではない。

でもだからこそ「常に流れている」という状態に安心を感じることができる。

もしかすると「流れを認識し、流れの中に身を投じ、流れを良くしていく」ことは「安心」という感情を芽生させる最良の行動なのかもしれない。

以前「流れ」について考えていることを書いたことがあったが、ここで考えたことも土台となっている。

関連記事:「流れに注目すること」は、人生のあらゆる場面において大切で、間違いなく有用な考え方。

思うに、先人達の知恵や技術や考え方というタスキは、何も古(いにしえ)のものや故人のものだけに限らない。

現存する先人達によるそれらだって、社会や次世代に繋いでいくべき素晴らしいものだと自分が思うならそれはきっと繋ぐに相応しい。

人によってはそれがAIやDAOやNFTのような先人達がつくり出した新しいテクノロジーの場合だってもちろんあるだろう。

今回得た確信は、大袈裟に聞こえるかもしれないが私にとっては「コペルニクスが地動説を見出した」のと同じくらい大きな出来事だと感じている。

この確信が今後の自分の行動にどう影響してくるのか?

個人的に心から愉しめそうなテーマがまた一つ増えた。

UnsplashMindaugas Vitkusが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスクと時間を同時に管理するメソッド)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

ハグルマニの週報

「チ。」展にも足を運びまして「チ。」のことをより好きになってしまいました。制作はマッドハウスのアニメも今から本当に楽しみです。

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