田中 新吾

「待つ」という状況に対しての、考え方と対応について。

タナカ シンゴ

先日「待てない人が増えているのでは?」という話で、知り合いのポッドキャスターさんと意見交換をする機会がありました。

言わんとしていることに納得がいったのは、なんだかんだ自分も「待つ」について考えたり向き合ったりをしてきたからなのかなと。

当然ながら、その時間で私の考えていることを全て共有するには無理があったため、折角なのでここで今時点の考えをまとめておこうという思いです。

この記事で言いたいことはざっくり以下のようなものになります。

・人間をはじめとした動物という生き物は「待つ」ことが嫌い

・待つことが嫌いな人間が作る社会が人間社会なのだから、この社会は待たなくて済む方向にどんどん進んでいる

・しかし、それでも待つことを強いられる場合あるので、そんな時は ①自助努力で回避できる「待つ」は全力で回避する ②「他のことをやる」&「自分も待たせることがあるからお互い様」という状況を排除しない、という方針で対応している

・「待つ」が状況を良くしてくれることがある

・「待てない人」になってしまうとそれはそれで不幸なのではないかなというのが個人的に思うところなので、待つことを人生から完全に排除せずバランスを取れるような人でありたい

言いたいことはほぼ言ってしまったのですが、以降でそれぞれを補足してみます。

動物は待つことが嫌いという大前提

大前提として私は人間をはじめとした動物という生き物は「待つ」ことが嫌い、という認識をしています。

昔、何かの本で読んだのですが(出典は本当に忘れました・・・)、動物は「待つことのできる動物」と「待つことのできない動物」に分類できるそうです。

例えば、ネコやネズミは「おあずけ」することができません。

でも、イヌの場合は簡単な訓練で20秒は待つことができます。

サルは一分間は待つことができるし、チンパンジーならば五分待つことができる。

我々人間の待つは様々です。

「動物は待つことが嫌い」という大前提の上で、それぞれの動物はどれだけの時間待つことができるのか?そういう分類なのだと思います。

動物にとって「待つ」という行為は「高等な精神活動である」といった内容も、たしかその本の中には書かれていました。

待つことが嫌い。

私自身も思い当たるところは多々ありますのでそういう自覚を強く持っています。

私たちの社会は待たなくて済む方向にどんどん進んでいる

そして、待つことが嫌いな人間が作る社会が人間社会ですから、この社会は待たなくて済む方向にどんどん進んでいっています。

例えば、2000年に導入された東京ディズニーリゾートの「ファストパス」は大変画期的でした。

現在このファストパスは廃止になり、有料の「プレミアムアクセス」というチケットに変わっているそうですが、待つことが嫌いな私たちへのサービスは形を変えて続いています。

2001年からはじまり、今や普通のことになった高速道路のETCサービスも「待つことが嫌いな人間」が考えた代表的な仕組みと言えるでしょう。

近年の話でいけば、マクドナルドやスターバックスが提供している「モバイルオーダー」や動画や音声配信の「倍速視聴機能」がそうです。

インターネットでは「Speed is King」という言葉が標語のように使われていますが、表示速度が遅くユーザーを待たせるサイトは評価されません。

個人的な体験でも最近驚いたことを一つ挙げます。

今年のGWに私は久々に旅行に行きました。

参照:「長期休暇のどんなところが好きですか?」と質問されたら、どう答えるかという話。

ANAを使ったのですが、本当にビックリしたのが「手荷物検査場」をまったく待つことなく通過できたことです。

というのは、PC、電子機器、飲み物などをバッグから出さずに通過できるようになっていたのが大きいのかなと。

今までいちいちバッグから出してきたものを出さなくてよくなり、そのおかげでスムーズに通過できるあの体験は間違いなく手荷物検査場に私が求めていたものでした。

空港はGWで混み合っていたのにノンストレス。

あの体験はなかなかに凄かったです。

ただ、かなり高額の検査機らしくまだ一部のレーンのみの運用のようですが。

参照:羽田空港(国内線)A・B検査場のスマートレーンのご案内

前出したとおりですが、私には「待つことが嫌い」という自覚がしっかりあるため、このように待たなくて済むようなサービスはできる限り享受したいと思っている派です。

なぜなら、そうした方が自分にストレスがかからずご機嫌でいられるから。

待つことを強いられる場合の対応について

このように私たちの社会は待たなくて済む方向に日々進んで行っているわけですが、それでも待つことを強いられる状況はまだまだあります。

例えば、ラーメン屋の行列、高速道路の渋滞、メールやチャットの返信、試験や検査の結果、お客さんへの提案の結果などです。

そして、これらの「待つ」という状況をどう過ごすかは「QOL(人生の質)」に結構効いてくるんじゃないかという考えを数年前から持つようになりました。

この考えに基づき以下の二つの方針でこのような類の「待つ」に対応している状況です。

①自助努力で回避できる「待つ」は全力で回避する

②「他のことをやる」&「自分も待たせることがあるからお互い様」という状況を排除しない

以下はそれぞれの補足です。

まず、

自助努力で回避できる待つは全力で回避する

について。

私はラーメン屋の行列、高速道路の渋滞は自助努力で回避することができるので、わざわざ待たなければいけない状況に自分の身を持っていくようなことはほぼしません。

ラーメン屋であれば混む時間に行かなければいいわけですし、高速道路も渋滞が発生しやすい時期や時間に通過するようなことをしなければいいわけです。

考え方はとてもシンプル。

お店に並んでいる時間はスマホを触ったり本を読んだりしていれば待つことはできます。

なのですが、それでも個人的には「待たないで済む」という状況の方がご機嫌でいられるので、全力で回避しているといった具合です。

そして、高速道路の渋滞は大大大大大嫌いなので、そんな意識からかここ4〜5年はイライラしてしまうような大掛かりな渋滞に引っかかったことは記憶の限りありません。

朝早くに出てしまう、夜遅くに移動するなどで渋滞にハマらない時間を全力で選んで高速道路を利用している状況です。

こういう取り組みは自分の機嫌をよくしておく上で本当に大事なことだと日々痛感しています。

そして、二つ目の

「他のことをやる」&「自分も待たせることがあるからお互い様」という状況を排除しない

についてです。

メールやチャットの返信にしても、試験や検査の結果にしても、提案の結果にしても、これらは「相手」がいる以上、リターンが来るまでには必ず時間が生じます。

相手が「即レス主義」であれば直ぐに返ってくる場合もありますが、そうでないことを前提として、即レスが来たらラッキー、まぐれくらいに思っていた方がイライラしたり余計なことを考えずに済むという実感です。

思うに人間関係の中で生じる「待つ」は「リスク」と同じようにどこまでいっても完璧に排除することはできません。

ではそんな私はどうしているのか??

「待つ」が生じている間は「別のことをやる」というのが基本的な行動指針です。

別のことをやっているうちは「待つ」を忘れることができるため、何か余計なことやネガティブな感情が生まれることもありません。

そしてさらに重要だと思うのが「自分も誰かを待たせることがある」という状況を作っておくことです。

個人的には即レス主義をあんまりいいものだとは思っていません。

たしかに前出のとおり人間は待つことが嫌いなので即レスは相手からは歓迎される行為だと思います。

それによって信頼を得ることもきっとあるでしょう。

ですが、やり過ぎて「自分は誰も待たせない」という状況を自分の中に強固に作り上げてしまうと、逆に「誰かに待たせられる状況に対して不寛容になってしまうのではないか?」という考えが強くあるのです。

なので、自分の中に「自分も誰かを待たせることがある」という状況を作っておくのはご機嫌でいる上で結構重要なことかなと思っています。

例えば私は、1日のうちにメールやメッセージを返信する時間をスケジュールに入れており、何か不足の事態が発生した場合を除いて、基本的にその時間の中でしか返信をしていません。

なので相手を待たせることはよくある状況です。

ですが、とんでもなく待たせることはありません。

人間関係の中で発生する「待つ」について以上のような感じで対応をしてきているのですが、なかなかいい手応えがあるので引き続きこんな具合でやっていこうと思っている次第です。

「待つ」が状況を良くしてくれることがある

そして、最後にもう一つ。

「待つ」が状況を良くすることがあることも忘れてはいけないことだと思っています。

これは「作りたてのカレーよりも2日目のカレーの方が美味しい」と言えば分かっていただけるのかもしれません。

この社会にはこういう現象が少なからずあります。

私の習慣となっている白湯(さゆ)も、水が沸騰してから10分〜15分くらい待つことで白湯ができ上がるのですが、ここでも「待つ」というプロセスが欠かせません。

ですので、待つのが嫌いな生き物だからといって、待つという状況をとにかく何でもかんでも除いていけばいいとは思わないのです。

これは以前ご紹介した「不便益」にも通じるものだと思います。

参照:「不便でよかったこと」はないだろうか?

大事なことは、目の前に生じている「待つ」に対して、自分はどのように対応すればQOLが向上するのか、ご機嫌でいられるのか、相手にとっていいことなのか等を良く考えて行動に移し、データを集めて分析していくことだと思っています。

冒頭の「待てない人が増えているのでは?」という話に戻りますが、世の中全体が待たなくて済む方向に日に日に進んでいるので必然的な現象と言っていいと私は思います。

しかし、この流れに飲まれて「何も待てない人」になってしまうとそれはそれで不幸なのではないかなというのが個人的に思うところです。

私としてはここまで書いたような指針で、待つことを人生から完全に排除せずバランスを取れるような人でありたいなと思っている次第であります。

UnsplashZach Rowlandsonが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車

「サーフィン」をやるようになると、人は待てるようになるのかもなあなんて思ったりも時々します。サーフィンやったことないんですが・・・

●X(旧Twitter)田中新吾

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