田中 新吾

「距離感」を変えれば「何か」が変わるという話。

タナカ シンゴ

今回は「距離感」を変えれば「何か」が変わる、という話を幾つかの例を示しながらしてみたい。

まずは3年以上前の話から。

「サッカー」への関心が薄い方には申し訳ないのだが、2020年1月13日(月)に行われた高校サッカー選手の試合「静岡学園vs青森山田」、時代が変わった令和初の決勝戦の話である。

私は高校サッカー選手権を観るのが好きで毎年必ずウォッチしているのだが、この年の決勝戦は間違いなく歴史に残る名勝負だった。

決勝戦前半の静岡学園にはほとんどいいところがなく、前年優勝の青森山田の強度のあるプレッシャーの前に、持ち前の攻撃スタイルをまったく示すことができていなかった。

得意のドリブルを仕掛けてもすぐに引っかけられ、縦パスを入れてもあっさりとカットされてしまう状況。

頼みの綱の(現)J1鹿島アントラーズの松村優太も青森山田の厳しいチェックを受けて完全に沈黙してしまっていた。

その上、警戒していたはずのセットプレーで早々に先制点を奪われ、ミスを突かれてPKを献上。

今大会決勝まで無失点を続けていたチームが成す術もなく2点も失点してしまったのだから、もはや誰もが静岡学園に勝ち目はないように思ったはずだった。

ところが、前半アディッショナルタイムに相手のクリアミスを逃さずに1点を返すと、これをキッカケにして静岡学園は後半、息を吹き返したように見違えるサッカーを展開する。

この1点がターニングポイントになったのは間違いないが、思うに、それ以上に効いていたのは「距離感の狂い」が修正されたことだ。

前半は最終ラインと中盤の距離が遠く、コンパクトな陣形を保てていなかった。

いい縦パスがなかなか通らなかったのは距離感の悪さが原因だったと思えてならない。

後半の静岡学園は、DFから中盤にいい形でボールが入る機会が増え、そこからドリブルやショートパスを織り交ぜながら青森山田陣内へと侵入していく。

仮にボールを失っても「良い距離感」が作れているので直ぐに奪い返すこともできる。

そうこうしていくうちにセカンドボールをマイボールにするシーンが増え、青森山田陣内にいることが劇的に増えていった。

この結果として、奇跡の逆転優勝(3–2)は起こった。(と私は思う)

「距離感」が変わると「何か」が変わるのだ。

カフェでのモヤモヤ、イライラについて

次は今から数ヶ月前にあった話だ。

私は現在、多くの仕事を自宅で行っているのだが、時折気分を変えるために「カフェ」に赴くことがある。

カフェの程よい雑音(ホワイトノイズ)が集中力を高めてくれるという話はどうやら本当のようで、カフェにいくと作業が捗ることは割と多い。

しかし一方で全く集中できないようなことも時にある。

先日早朝にカフェに行った時の話だ。

私がパソコン作業をしていた机の隣に、着席してから30分経ったくらいに50代〜60代くらいの夫婦がやってきた。

会話を聞いているとどうやら初めてきたカフェだったようで楽しげにメニューを選んでいた。

そして、旦那さんが運ばれてきた食べ物を食べはじめると、私の注意が一気に旦那さんに向いた。

原因は旦那さんの咀嚼音である。

本人からすれば普通に食事をしていて無意識なのかもしれないが「クチャクチャ」という咀嚼音がしっかりと鳴っていたのだ。

いわゆる「クチャラー」だ。

しかも、なかなかその音が大きいから私は大変驚いてしまった。

注文したメニューが多かったこともあり、なかなか収まる気配がなく、なんだかんだで30分くらいその音に私は悩まされることとなった。

その間まったく作業は捗らず、この時間を返してくれとさえ強く思った。

さらに不思議だったのは目の前にいた奥さんがそれについて何にも指摘しないことである。

「長い時間一緒に過ごしていてもうすっかり慣れてしまったのだろうか・・・」

そうこうしてモヤモヤとイライラが頂きに差し掛かろうとした時、ご夫婦は席を立ち、その店を去っていった。

すると、私の心に平穏が訪れた。

「距離感」が変わると「何か」が変わるのだ。

眩しい光はちょうど良い距離で浴びるのが良い

そしてつい最近も、私のタイムラインに流れてきたツイートに触れて思うことがあった。

思うに「比較」は、進化の過程で人間が身につけてきた社会を生きるための重要な機能だ。

たとえば、自分の身体能力がどれくらいか知りたければ、スポーツテストの結果を見たり、走ったときのタイムを比べたりすればいい。

一般的な学力ならばテストのスコアや順位を見ればすぐ分かる。

これらを比較なしに割り出そうとすると膨大な情報を処理しなければならない。

そして、人間というのはベースがめんどうくさがりで、よく言えば効率主義なので、より省エネで判断するために社会的比較を行う生き物だと私は解釈している。

ところが前出のツイートにあるように、自分たちを生きやすくするため備えた機能によって、生きづらくなるという現象が現代においてはまま起きている状況。

比較は自分の意思に反してほとんどオートで起こりうる。

では、そんな生きづらさを回避するためにはどうすればいいだろうか?

重要なのはツイートにもあるとおり、自分の意思で調整可能な「距離感」を変えることなのだろう。

眩しすぎる太陽はちょっと離れて見るくらいが丁度いいのだ。

あるいは、ナシーム・ニコラス・タレブが著書「身銭を切れ」の中で述べているように、垣根(ブロック)を作ることでいい隣人になれることだってあるだろう。

複雑系について研究する物理学者のヤニア・バーヤムは、「よい垣根がよい隣人を作る」ことをきわめて説得力のある形で証明した。

「距離感」が変わると「何か」が変わるのだ。

「距離感を変える」は「多様性」と上手く付き合うスキル

ここまで、幾つか視点を切り替えながら「距離感」が変わると「何か」が変わることについて個人的に思うところを書いてきた。

皆さんにおかれては何か思うところはあっただろうか?

ちなみに、この「距離感を変える、調整する」というスキルは、今や当たり前の価値観となった「多様性」と上手く付き合うための手段であるとも個人的には思う。

私たちの社会にとっては可能性を広げるための多様性は必要。

しかし、多様性は必ずしも個人単位での幸せと直結するわけではない。

だからこそ、タレブの「垣根を作る」ではないが、場合によっては「存在は認めるけど近寄らない」といった姿勢がとれると随分生きやすくなるのではないだろうか。

少なくとも今の私はそう思う。

人間は、ほとんど自ずと他者と比べてしまうのは既に述べたとおりだが、他者への称賛や感謝も、ちょうど良い距離感が形成されれば自ずと生まれたりもする。

経営コンサルタントとして有名な大前研一さんは以下のような言葉を残していて有名だ。

ーーー

人間が変わる方法は3つしかない。

1番目は時間配分を変える。

2番目は住む場所を変える。

3番目はつきあう人を変える。  

この3つの要素でしか人間は変わらない。

最も無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。

ーーー

これも「そうだよなあ」と納得がいくのは、いずれも現在直面している対象との距離感を変える行為とも言えるから。

「距離感」が変わると「何か」が変わる。

個人的な経験則を言語化したもので、一般化するにはまだ早い話だが何かの参考になれば嬉しい。

UnsplashMargarida CSilvaが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車

「富士山も遠くから見るから美しい」という話もまさに「距離感」ですよね。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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