田中 新吾

「目的意識を持ちなさい」と言わずに、人に「目的意識を持ちたい」と思わせるためにはどうすればいいのか。

タナカ シンゴ

「食事をする」には「食欲を満たす」

「寝る」には「睡眠欲を満たす」

「移動する」には「目的地に向かう」

すべての行動に、何かしらの「目的」がある。

その目的に対して明確に自覚することが「目的意識」だ。

ところが、人はすべての行動の目的を明確に自覚しているわけではない。

明確な自覚がないと「今とっている行動(手段)が目的である」という認識をしてしまう。

これがよく言われる「手段の目的化」だ。

「時短」は手段で、「時産」が目的

先日、偶然見かけた記事のタイトルが気になったので読んでみた。

参照:「時短」から「時産」へ。ジップロック®が提案する、働きながらゆとりを生む生活とは

読んだ結果、私はこの記事の内容を「目的と手段」の話だと解釈した。

しかし近年、働く女性のテーマとして、新たに注目を集めているのが、「時短」からさらに進化した「時産」だ

働く時間を短縮することが「時短」というなら、「時産」は文字通り「時間を産み出す」ということである。

なんのために「時短」に取り組むのか。

その目的は「時間をつくるため(時産)」であるはずだ。

時短はあくまで「手段」であって、時産が本当の「目的」。

ところが、実際は時短が目的になってしまっているケースが多いように思う。

だからこそ「時短から時産へ」には、目的に意識を向けさせるいいスローガンになると感じた。

しかし、なぜ人は手段を目的にしてしまうのか。

これは思うに、その人の中に「目的意識を持ちたい」と思う「欲求や感情」が育っていないからではないだろうか。

頭ではなく、欲求や感情レベルで「目的意識を持ちたい」と思っていれば、手段の目的化は自分で修正可能なはず。

少なくとも私はそう思う。

では人に「目的意識を持ちたい」と思わせるためには一体どうすればいいのか。

人に、言葉や論理で説いても「目的意識を持ちたい」とはなりにくい

「目的意識の大切さ」は、聞き飽きるほどあちこちで言われている。

例えば、

3人のレンガ職人」というイソップ童話はあまりに有名な話だ。

中世のとあるヨーロッパの町。

旅人がある町を歩いていると、

汗をたらたらと流しながら、重たいレンガを運んでは積み、

運んでは積みを繰り返している3人のレンガ職人に出会いました。

そこで旅人は「何をしているのですか?」と尋ねました。

すると、その3人のレンガ職人は次のように答えました。

1人目は、
「そんなこと見ればわかるだろう。親方の命令で“レンガ”を積んでいるんだよ。暑くて大変だからもういい加減こりごりだよ」と答えました。

2人目は、
レンガを積んで“壁”を作っているんだ。この仕事は大変だけど、金(カネ)が良いからやっているのさ」と。

3人目は、
レンガを積んで、後世に残る“大聖堂”を造っているんだ。こんな仕事に就けてとても光栄だよ」と。

3人のレンガ職人は、それぞれ「レンガを積んでいる」という仕事は同じ。

仕事の内容や役割が同じなので、賃金もほとんど変わらない。

しかし、「誰に仕事を頼みたいか?」と聞かれれば、答えは明白という話だ。

この童話は、仕事における「目的意識の大切さ」を私たちにおしえてくれている。

2017年。

フェイスブックの共同創設者のマーク・ザッカーバーグ氏が、

ハーバード大学で、J.F.ケネディ元大統領のエピソードを引用して「目的意識の大切さ」を語っていたスピーチはまだ記憶に新しい。

かつて、ケネディ大統領がNASA(アメリカ航空宇宙局)を訪問した際、
デッキブラシをかついだ掃除担当者に

あなたは何をしているのですか?

と聞いたところ、

担当者は、

大統領、私は人間を月に送り込む手伝いをしているのです

と答えたそうです。

目的意識とは、私たちが自分たちの存在よりも大きな何かに参加して、
そこで自分が必要とされていること、未来へ向けての何かに役に立っているということ、そういう感覚なのです。

同じ掃除でも、

「床を拭いている」と思うのか、

人間を月に送る手伝いをしている」と思うのか、目的意識ひとつで仕事の意味が大きく変わってくるという話である。

そして、ザッカーバーグ氏はこのスピーチで「目的は、本質的な幸福感をもたらします」と述べている。

インド独立の父ガンジーも「目的意識の大切さ」を説いている。

あなたの夢は何か、あなたが目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう。

目的を見つけよ。手段は後からついてくる。

こんな具合に、「目的意識の大切さ」はあらゆるところで語られている。

そして、どれも理解できる話だ。

したがって、目的意識が大切なことはみんな頭では分かっているはず。

しかし、「目的意識の大切さ」をいくら言葉や論理を使って渾々と説いたとしても、「目的意識を持ちたい」とはなりにくい。

なぜなら「論理」では「伝わらない」からである。

論理によって伝わることもあるかもしれないが、「稀」だと捉えるべきだろう。

情報や論理を優先したアプローチは、意欲、恐怖、希望、欲望など、私たち人間の中核にあるものを蔑ろにしている

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結局、人に最もよく伝わるのは、感情であったり、心の動きであったりする。

本当に伝えたいことがあるならば、説得しても無駄である。

今も昔も、人は論理ではなく「感覚の生き物」だからだ。

ましてや、「目的意識がないと感じる人」に向かって「目的意識を持ちなさい」とストレートに言うのは言語道断である。

なぜならば、「目的意識を持ちなさい」と言うことは、暗に「あなたには目的意識がない」と伝えることになるからだ。

これは相手をかなり傷づけてしまう(相手の尊厳を気付けるコミュニケーションはNG)。

じゃあどうすればいいのさ、という話なのだが、

これには「私の学生時代の経験」が役立ちそうだ。

あらゆる行動に「目的意識」を持っていた塾長の話

私は学生の頃、小さな個人塾で「先生」として働いていた。

賃金をもらっていた訳ではないのでアルバイトではない。

(稼ぎのためのアルバイトは別に二つしてた)

しかし、賃金をもらわなくても、塾長から「大切なこと」をおしえてもらっていたので働くことに不満はなかった。

実際、ここでの経験は今かなり活きている。

塾長とは、休日もよく一緒に出掛けていた。

黄色い「SAAB」というスウェーデン製のオープンカーが塾長の愛車で、よく隣に乗せてもらっていた。(2011年に破産したため今はないカーブランド)

一般的には、スウェーデン車といえば「ボルボ」をイメージするかもしれない。

ところが、私の頭の中では「SAAB」だ。ちなみに「SaaS」ではない。

自動車免許を取ったばかりだった私は、運転についても学ぶことが多かった。

例えば。

私 「今、センターライン超えて曲がってましたけどいいんですか??」

塾長 「対向車が来てなければ、この方がいいんだよ」

私 「そうなんですか?」

塾長 「なんでか分かるか?」

私 「・・・・全然わかりません」

塾長 「アウトインアウトって知ってるか?」

私 「何ですかそれ??」

塾長 「アウトインアウトってのは、カーブを外・内・外で走り抜けることで、モータースポーツのテクニックなわけ」

私 「それは、はじめて聞きました」

参照:アウト・イン・アウト

塾長 「カーブを曲がるとき、助手席や後部座席のひとをぐわんぐわん揺らすひとは運転が上手いと思うか?」

私 「上手いとは思いません!」

塾長 「運転が上手いひとはカーブであってもなるべく車体の変化を少なくして真っ直ぐになるよう心がけている。そうすることで、同乗者に負担をかけないようにしてるんだよ」

私 「言われてみれば、確かに塾長の運転は乗り心地がいいです。嫌じゃない」

塾長 「ただ、今みたいにラインをはみ出るとかは本当に対向車が来ていないと確信できるときだけだからな」

塾長 「基本的には線の範囲の中でアウト・イン・アウトを心がけること」

私 「了解しました。勉強になります!」

自動車教習所で「キープレフト」を原則として教え込まれた私にとって、目から鱗の出るような話だった。

他にも、

「赤信号で止まるときは、止まる50mくらい前からニュートラルに入れて、あとは惰力で進めば停止する時にガックンてなりにくいから、同乗者の負担になりにくい」

「夜の運転で、車通りも人通りも少ない道の場合、視界確保が一番大事だから、ハイビームはどんどん使う。ただ、対向車が向こうからくるのが見えたら素早くハイビームは切る。それを繰り返す。」

なども教わった。

私はしばしば、同乗者から「運転が上手だから乗ってて安心する」と言われるのだが、これは塾長の教えの賜物と言っていい。

授業にしても、テレビゲームにしても、「なんでそうしているんですか?」と塾長に聞くと、いつもその目的をおしえてくれた。

行動によっては「何にも考えずにやることが目的」とも言っていた。

要するに、塾長はあらゆる行動に「目的意識」を持っていたのだ。

そして、決して私には「目的意識を持ちなさい」という言葉は使わなかった。

目的意識を持つと「認識力」が上がる

目的意識を持つといいのは「認識力」が上がるからだ。

目的意識がもたらしてくれる「最大のメリット」と言っていい。

私は、塾長から様々な「行動の目的」をおしえてもらい、それを自分でも実践していくことでこのメリットを少しづつ理解していった。

この結果。

運転でいけば、「移動する」という目的以外に、「同乗者に負担をかけない」という目的が備わり、常に乗っている人を配慮する運転を心がけるようになった。

もし私の中に後者の目的がなければ、同乗者が「また一緒に乗りたい」とは思ってくれないだろう。

「同乗者に負担をかけない」という目的が、「運転時の私の認識力をあげてくれている」からこそ、今も一緒に乗ってくれる人は多いと考えている。

目的意識がもたらしてくれるメリットは、

経営コンサルタントの神田昌典さんも「目的志向型の読書」のメリットとして説明されている。

なぜ「目的意識がない」「目的があいまい」だと、たくさんの本を読んでも仕事の役に立たないのかと言うと、どの情報が必要なのか、脳が判別できないからだ

本に書かれている内容すべてが何かの役に立つ気がして、あれもこれもと散漫になってくる。

(中略)

目的を明確にすると、その効果がすぐに実感できる。

一つは大げさではなく必要な情報が目に飛び込んでくるようになることだ。

何かのきっかけで新しいキーワードを持ったとたん、新聞を読んでも、テレビを見ても、町を歩いていても、そのキーワードが無意識に飛び込んでくるようになった経験は皆さんもお持ちではないかと思う。

アンテナが上手に張れるようになるから、このようなことが起こるわけだけど、目的を明確にすることで同じような効果が得られる

つまり、必要な情報が向こうから飛び込んでくるようになるわけだ。

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ちなみにこの現象は、

人間はある目的を意識すると、その目的に関連する情報をそれまで以上に認識するようになる

と心理学でも明らかにされており、「カラーバス効果」と呼ばれている。

なぜ同じように一日を過ごしているのに、今日突然聞かれると赤いものの数を答えられず、事前に明日赤いものの数を聞かれるとわかっていたら答えられるのか。

同じ視力で世の中を見ているはずなのに、赤いものが目に入ってくるようになるのはなぜなのなのか。

この違いは「目的意識の有無」で説明がつけられるのだ。

私は実体験の中からこのメリットを実感し、「目的意識ってすげえ」となっているので、何事をするにも「目的意識を持ちたい」という欲求がある。

このメリットを人に実感させる時、「目的志向型の読書」や「カラーバス効果」で説明するのも一つの手だろう。

これだけでピンとくる人も中にはいる。

ところが、先に言ったように論理や言葉では伝わりにくい。

実際には、

塾長が私にしてくれたように、目的を与え、その目的のために行動してもらい

本人が自ら「目的意識を持つメリットを実感する」ことが、「目的意識を持ちたい」という感情や欲求に一番結びつく。

要するに、メリットを実感させ「感情を喚起させる」ということだ。

時代は「目的を与えられる人」を必要としている

「目的の与え方」は大きくいって二つある。

一つ目は「教える」ことだ。

つまり「何のためにそれをするのか」を都度伝えていく。

例えば、下のツイートのような具合である。

Bのように、「何のために」を逐一伝えていくことで、その人の意識を目的に向ける、ということだ。

これは決して「コピーをする」のような細かい仕事に限った話ではない。

「この仕事の意味」

「このプロジェクトの目的」

「会社やブランドの存在意義」

「会社としての姿勢」など

それぞれには、それぞれの目的や意味がある。

これらを日頃から伝えていくのも大切なことだ。

二つ目の方法は「質問する」こと。

人は質問をされると、その質問内容を考えてしまう性質がある。

したがって、何かを考えてほしければ「質問」をすればいいのだ。

つまり、

「この仕事は何のためにあると思う?」

「もし、このプロジェクトが成功したら、お客さまはどうなるかな?」

といったように「目的」を考えるように問いかけることで、

自然と「何のためにそれをするのか」を考えるようになるということだ。

そして、

これを「目的意識を持つメリットを実感し、目的意識を持ちたい」と思うまで、粘り強くやっていくのだ。

他人に持ってもらいたいなら、他人に対して。

自分自身に持たせたいなら、自分自身に対して、である。

一見、遠回りのように思えるが、実際は、これが一番の近道になる。

イチロー選手も「遠回りが一番の近道」と言っている。

今思えば、塾長はこの「目的の与え方」の取り扱いにとても長けていたのだ。

従来の公立校では考えられないような改革を、次々と実行している麹町中学校の工藤勇一校長は、

学校教育の現場を「目的思考が育たない環境」と指摘し、生徒達や職員に「目的を与える」ことに力を注いでいる。

子供の頃から、常に「何のため?」「誰のため?」を考える訓練をしていれば、社会に出たときの人材の価値も大きく高まっていると思うんです

今までの日本の教育は、「目的が分からなくてもまずは言うことを聞け」というような感じです。

そうやって育った人は、会社に入ってから「おかしい」と感じることがあっても、自分の力で改善しようとは思えないのではないでしょうか。

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思うに、時代は「目的を与えられる人」を必要としている。

人に目的を与えるためには、

目的をつくり出せなければいけないし、目的を見つけられなければいけない

要するに、目的を与えるというのは、とても「クリエイティブな行為」なのだ。

他人に対しても、自分自身に対しても、動かす目的を与えらえる人に出会ったとき、私がその人に対して自然と「敬意」を抱いてしまう理由はこれである。

すごいと思われる人は、「目的」で人を動かせる。

Photo by ThisisEngineering RAEng on Unsplash

【著者プロフィール】

田中 新吾

プロジェクトデザイナー/コミュニケーションデザイナー。法人や個人のマーケットを生み出すプロジェクト、マーケットを運営して広げるプロジェクトなどのお手伝いをしています。元マーケティングファーム ディレクター。Webメディア http://ranger.blog 管理人。

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