苦痛を我慢することで得られる幸せの高みを目指そう!
家でグズグズしていたのだが、外に出てみると想像以上に暖かくて、もっと早く動き出せば良かったと後悔する。
ジャンパーは暑いのですぐに脱いで目的地に向かっている途中、やたらと目に付くものがあった。
それは人の笑顔。
高齢のご夫婦(多分)が、歩きながら2人ともニヤニヤしながらじゃれ合っている。
旦那さんが奥さんをグリグリと腰で押して、私の方に寄ってきて危うくぶつかるところだった。
若いカップルも笑顔でいつも見ているより、腕の組み方がガッチリしているように感じられる。
子供は概ね短パンでいて、いつもよりにこやかで元気に感じられた。
なんとみんなご機嫌なことか!
東京はこんなにもご機嫌な場所だったのだろうか?
もっとみんな眉間に皺を寄せていなかったっけ?
そんな違和感を覚えた瞬間、そうか、今年も春が来たんだ!
そんな当たり前のことにやっと気づく。
暖かさが人をご機嫌にしているんだ。
いや、私が暖かさでご機嫌だから、周りの笑顔を見る余裕があっただけの話なのかもしれない。
子供ってのは、真冬だろうが短パンでご機嫌なのだろう、見ている私がご機嫌だから子供の短パンをご機嫌だと、勝手に感じているのかもしれない。
いずれにしても、この瞬間を幸せと言わずして何を幸せと言うのだろうか・・・。
とにかく長い冬を越えたのだ。
東京の冬なんてものは北国に比べると大したことはないのだが・・・。
それでも冬を越えたんだ。
青森のねぶた祭り
そんな時に思い出したのが、学生時代に友達と行った「青森のねぶた祭り」だった。
ハッピ姿に鈴をつけた跳人(はねと)が「ラッセラー、ラッセラー、ラッセーラッセー、ラッセラー」のかけ声とともに、片足ずつ跳ねて踊る。
今や大人気の夏祭りだ。
踊り疲れた人は、一旦外れて沿道からお酒を調達、喉を潤してまた踊りに戻る。
高校生らしき団体がいる。
彼らも大人と変わらぬそぶりでビールを飲んで踊りに戻っていった。
すぐそばにお巡りさんもいたのだが、この日だけは特別(当時は)なのかもしれない。
そんな風に沿道でガソリンを入れた大勢が踊りを繰り返すのだから、後半には「ラッセラー、ラッセラー」の声が、高ぶり、狂気の叫びと化す。
その叫びが地響きのように青森の街に響き渡った。
これが、「狂喜乱舞」というものか!
私が「狂喜乱舞」を初めて見た瞬間だったかもしれない。
やがて祭りが終わって、飲食店を探すもののどこも満席だった。
何軒目かの大箱(60席はあっただろうか・・・)の居酒屋で席が辛うじて見つかったものの、他の席がすべて跳人のハッピで埋まっていて、我々だけが私服のためそのアウェイ感はハンパなかった。
相席で肩身が狭く飲み見始めたのだが、そこからはっきりとは覚えていないが、たぶん「どこから来たの?」とか声をかけられたと言ったところだろう。
なぜか跳人の女性のグループと一緒に席で呑むことになった。
そのグループのひとりの女性が、しばらくして自分のことをこぼし始めて、周りを気にすることなく、オイオイと泣き始めた。
「弟が結婚できないのは私(この人が姉)のせいなんだ!」
これを何度も繰り返す。
「私はダメなんだ、私はダメなんだ、」と。
感情が激しくて、その女性の何がその原因なのか、結局わからず仕舞いだった。
戸惑う我々に、別の女性がこんな話をしてくれた。
青森の人は、このねぶた祭りを大変楽しみにしている。
それは外の人からはわからないくらい強いのだ、と。
なぜならば、青森は夏が短い。
ねぶた祭りが終わると急に秋めいてきて、寒く長く厳しい冬がすぐに訪れるのだ。
だから、このねぶた祭りの期間が唯一、夏を愉しむ時間で、解放して張っちゃ蹴るのだという。
他の女性も「今日は何でもありなんだ、飲んで、飲んで、」と我々に酒をドンドン勧めながら、泣きはしないものの、身の上話を赤裸々に話してたまっているものを発散しっぱなしだった。
その後、穏やかな聞き手を演じた(あっけにとられていただけなのだが・・・)我々が珍しかったからだろうか、泣いていた女性も後に笑顔になって、自宅で呑もうと誘われた。
夏でもこたつが置きっぱなしの茶の間で呑んだ記憶がある。
朝方すごい音で目を覚ます。
少しで静かになったところで何事かと聞くと、その家の女性の彼氏がやってきて、男を連れ込んだことに激昂して、灰皿を投げつけたらしい。
小競り合いの後、男は帰ったらしく、その後少なくとも我々には何事もなかった。
その女性にとってその日は、喜びよりもむしろ悲しみの方が大きかったかもしれないが、泣いて笑って怒って、青森の短い夏のパワーに圧倒された一夜だった。
青森には長い冬の後、夏祭りという自分を解放して弾ける期間が毎年必ずやってくる・・・そこにはたくさんの喜びがあるのだろう・・・。
そんな印象を強く感じながら青森を後にした。
苦しみから解放された時に人は幸せである
人生の楽しみとは何か?
作家の吉田健一さんはその境地をこんな風に書いていた。
(朝の日本酒は)旨かった。太陽を飲んでいるようだった。
電車に乗る前に朝酒を一杯。
吉田健一『わが人生処方』より
締め切りに追われて、いつもいつも苦しくて苦しくて仕方ない。
そんな中で何とか書き上げて、わずかな休みに繰り出した小旅行。
電車に乗る前に駅前で朝酒を食らう。
書く楽しみとは、書く苦しみから解放された時である。
何とも逆説的だが、わかるような気がする。
マッサージというものに対してこんな極端なことを言う人もいる。
マッサージなんてものは、圧迫による苦しさを与えて、それを止めた時に解放されて気持よく感じるだけだから、健康的に意味がないんだよ、と。
意味がないかどうかはおいておいて、解放で快感が得られる、というのは一理あるように思う。
ソクラテスは「最高のソースは空腹である」と言ったらしいが、これも似たようなことで、空腹という苦痛から解放された時が幸せである。
そして腹がすけばすくほど、苦痛が長ければ長いほど、飯が旨くなる。
これらのことが、越冬という苦痛から解放された青森の人々とも重なるのだった。
苦痛は幸せのためにある
暖かくなっただけでこれだけご機嫌になったのだから、青森の人が厳冬を我慢して過ごしたように、私も知らず知らずに東京の冬を我慢して過ごしてきたのだろう。
苦痛を我慢する先にそれが解消された時の喜びが必ず待っている。
このようなことはよくあることだ。
喜びは、何事かが快適な方へ、楽な方へ、あるいは何事かをなしたところへ、変化した時に感じられるもので、苦痛がない快適な状態であってもそれが続くだけならば、それに慣れてしまって快適だと思わない、というようなところが人間にはある。
それを知っているから、人間は本能的に苦痛から解放された時にそれだけでは決して満足せずに、次の苦痛を求めにいくようにも見える。
次にはもっと高い欲求を求めるというような・・・。
だとすると、幸せを願う人間は、苦痛を受けるところからスタートしている?と言えなくもないのではないか?
苦痛を享受して、そこから解放される時の喜び、そこに幸せを見出しているのだ。
ならば、常夏のハワイよりも四季のある日本の方が幸せなんではないか?
これは流石に肩入れし過ぎか?笑
マゾヒスティックに解放前の苦痛だけを喜んでいる人がいるように感じられるのもうなずける。
何となくではあるが、更にこんな風にも感じる。
苦痛が自らによって解放に至った時に自信がつく、ような感覚。
「やりきったんだー」とか「越えられたんだー」というような・・・・
思うに、私という者は、これまで幸せになるために苦痛をなくそう、我慢はよくない、と通り一辺倒だったように思う。
苦痛を病む雲に受けていた時期が長かったから、その反動として苦痛の除外に一辺倒になったんだ、ということにしておこう。
それはともかく、どうやら喜びも幸せもそんなに単純なものではない。
幸せの高みを目指すならば、最初に苦痛ありきなのだ。
今回、意外にも春の訪れからこういった見方に至るのだった。
とはいえ、何でも苦痛を我慢すればいいってわけではない。
苦痛を与え続ける周りの人、環境なんてものは早く解消してしまった方がいい。
人というものを筆頭に周りの環境は変わらないから、避けるが勝ち。
何であんなに我慢してたんだろう?という苦痛もあるから注意が必要だ。
それは四季の循環という自然の摂理によって、あるいは自分の努力でいつか解放される(あるいは報われる)苦痛でなければならない。
そう、苦痛にも種類があってその先に解放されるであろう苦痛を選択する必要があるのだ。
解放された時に喜びのある適切な?苦痛を選ぶ、これが幸せをつかむ秘訣である、と言い切っておこう!
さて、これからは苦痛から逃げることを一辺倒にせずに、目の前の苦痛を愛でて(幸せのために俺良く我慢してるなあ、的な)、幸せの高みを味わってみようと思う。
早速、買ってきたワインをすぐに呑まずに寝かせておいてみよう!
ずーっと保存すると熟成してより美味しくなるらしいし・・・。
我慢すればより美味しいワインを味わい、幸せをつかむことができるんだ、と自分に言い聞かせる。
しばらくの間、今日開けるつもりだったワインを睨みつける。
しばらくして、コルクを抜いたワインをグラスに注ぐ自分がいた。
忘れていたが、私というものは買ってきたものは何でもすぐに食べてしまう、呑んでしまうという性分だった。
幸せをつかむ秘訣などとカッコイイことを言っておいて、掛け声だけでは全くできなさそうだ。汗。
ワインとは別の我慢にしようか・・・。
いずれにしても、私が高みの幸せをつかむには、我慢する鍛練がまだまだ必要のようだ。
P.S.
若い頃、どこまで春を喜んだだろうか?
あまり記憶がない。
毎年与えられる自然の恵みを喜ぶべきではない、自分の努力したことによって喜ばないと、と、どこか罪悪感があるように思っていたのかもしれない。
それからずいぶん年をとって寒さにも弱くなったからなのか?
春になって私はホントにこれだけ自分の機嫌の良さを感じたのは初めてのことのように思う。
やっと今になって、棚ボタ的な四季の恩恵を素直に喜べるようになったんだと感じた。
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
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