田中 新吾

「服装は出会った人へのプレゼント」という考え方を知って、年をとってもちゃんとお洒落をしていこうと思った。

タナカ シンゴ

私の周囲にはお洒落な服装をする人が結構いる。

義理の母。

大学の友人。

時々遊んでもらっているポッドキャスターさん。

お客さん。

ビジネスパートナーの方々。

私がファッションを意識するようになったのは高校生の頃で、誰かのお洒落な服装はその頃からの好物である。

そんな私も30代後半になったからなのか、お洒落な服装をする方々とお会いした時に抱く感想が昔とは変わってきていることに最近になって気づいた。

昔は、

「お洒落だなあ」

「素敵だなあ」

というようなありふれた感想を持っていたのに対し、最近は、

「お洒落な服装をする人といることができる自分がちょっと誇らしい」

「一緒にいると自分もなんだかお洒落な人になれている気がする」

といったような感想を抱くように変わったのだ。

つまり、お洒落な人と会うことで、お洒落な人と一緒にいることで、自尊心や自己肯定感を高めていたのである。

そんな感想を抱くようになってきた自分に気づきはじめていたところ、先週たまたま再読していた本の中で偶然にも「これぞ我が意を得たり」という考え方に出会った。

機嫌よくいることの大切さ

プロダクトデザイナー秋田道夫さんの「機嫌のデザイン」という本である。

秋田道夫さんといえば、デザイン界隈では知らない人はおそらくいない。

誰もが街中で見かけるLED式薄型信号機、交通系ICカードのチャージ機、

虎ノ門ヒルズなどのセキュリティゲートといった公共機器のデザインから、

コーヒーメーカー、文房具、土鍋、1本用のワインセラー、カバンなど日常生活に関わる様々なプロダクトのデザインを手がけられている。

2020年には世界で最も獲得が難しいとされるGOOD DESIGN AWARDのGOLD賞も獲得。

Xのフォロワー数は12万人。

この記事を書いている時点で70歳の現役プロダクトデザイナーだ。

Michio Akita Design Office

そんな秋田さんは「機嫌よくいることの大切さ」を繰り返し語ることでも知られており、本書はまさにその仕立てとなっている。

秋田さん流の自分の機嫌をよくデザインするための考え方やヒントが、散りばめられているのだ。

私が本書を購入したのは本の発売日(2023年3月29日)だったため、2023年4月頭には一通り目は通していた。

しかし、その時の私には急所にならなかった箇所が、今回の再読を通して強く胸に刺さった。

服装は出会った人へのプレゼント

本書は、第一章「機嫌をデザインする」からはじまり、人間関係をデザインする、仕事をデザインする、感性をデザインする、という4つの章立てで構成されている。

今回、私に刺さった考え方は第二章「人間関係をデザインする」の中にあった。

以下で該当箇所を少しだけ引用してご紹介してみたい。

ーそもそもですが、秋田さんがファッションにこだわる理由、教えてください。

自分で自分は確認できないですよね。

鏡を見てもそれが本当に自分なのか分かりません。

じゃあどうやって自分を確認するかといえば「他の人と会った時」に自分が何なのかが分かると思っています。

「服装は出会った人へのプレゼント」だといっているのですが、それはおしゃれな人と会うと「自分もおしゃれな人に感じる」し、「おしゃれな人とお話をしている自分が誇らしく思える」作用があるからではないかと思っています。

ーなるほど。

服というのは自分がどうであるかの視覚的メッセージがあります。

さりとて派手である必要はまったく無くて、シンプルな服装をしていてもメッセージはあると思います。

つまり、服は公共的なコミュニケーションになり得ると思います。

最近感じるようになってきていたことが、見事に言語化されておりこの箇所を読んだ時は、本当に強く膝を打ってしまった。

そして同時に、秋田さんのように今後年を重ねていったとしても、ちゃんとお洒落には手間や時間をかけていきたいとも思った。

ちなみに、以下のXへの投稿が本記事の元ネタとなっている。

Self As We としてファッションを捉える

昔書いた記事でも取り上げたことがあるが私は「Self As We」という概念を大変好んでいる。

「Self as We」とは「周りの人も含めてそれは自分」と捉える考え方だ。

哲学者で京都大学大学院文学研究科教授の出口康夫さんという方が提唱しているもので、詳しいことは以下の記事に示されているため読んでみていただきたい。

「わたし」としてではなく「われわれ」として生きていく

Withコロナ時代の個人と社会の在り方を捉える性格特性尺度を創出 -東洋的自己の哲学に基づくコロナ禍における「わたし」と「われわれ」の関係性の探究-

かいつまんで言うと、「Self as We」とは、西洋の近代哲学においては「自己」は個人的な行為の主体を「わたし(Self)」として捉える場合が多いところを、考え方を変えて「自己」の主体を「われわれ」という新しい見方で捉え直す、というものである。

例えば、「わたし」が自転車を乗る時、意識としての「わたし」以外の「身体」や「自転車」も含めてシステム全体で「われわれ」として自己を捉える。

そしてこれは身体や道具に限らず「他人」にも適応される。

人が人生を生きる、そこには「わたし」だけでなく「わたし」や「他者や死者」までを含む「われわれ」である、と捉えるのだ。

出口さんは、このように考えることで、行動が「わたし」の中で完結した独りよがりなものから、対話を基軸としてそこから行為を選択するスタイルへ変化すると述べている。

そのほうが人はより深く考え、他者に配慮することができるのではないかということだった。

この考え方が今の自分の価値観に非常にしっくりきているのだ。

今回、偶然にも秋田さんのファッションの捉え方を知り、秋田さんはきっと「Self As We」でファッションを長らく捉えてきた方なんだろうなと勝手に妄想したりした。

ファッションを「Self」で捉えるのか、それとも「Self As We」で捉えるのか。

捉え方の違いで、お金の使い方も、時間の使い方も大きく変わる。

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車

最近僕が好きなのは「EEL(イール)」というブランドです。

「Easy Earl Life」の略でEEL。

デザインはもちろん、ブランド名が個人的にはとてもしっくりきていて好きです。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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