「五間」を自分の中でどのように生かす事ができるかを考えて生きる、という話。
最近、自分の価値観のピースがカチッとはまるような、ある考え方に出会いました。
「五間(ごま)」というものです。
元ネタはこちらのポストなのですが、これを目にした瞬間、自分の中で言語化できていなかった「大切にしたいこと」がオールクリアになりました。
江戸っ子は間を大切に生きていけと言われました。
— 神田錦町更科 (@kandasarashina) November 28, 2025
間が悪い、間抜け、間尺に合わない仕事、間一髪。
間とは何かを聞いたら「時間、空間、仲間、すき間、手間」の五間をいかに自分の中で生かす事が出来るかを考えていれば、いつか運が開けごまになると教えられました。 pic.twitter.com/UnDIdHFeBi
これまで私は、
- 時間
- 空間
- 仲間
- 手間
この4つについては、自分でもかなり重要視してきました。
しかし、今回出会った「五間」には、もう一つ、「すき間」という新しい視点が含まれていました。
今回の記事では、この「五間」について、私自身の仕事やタスク管理の経験を交えながら、じっくりと考えてみたいと思います。
間違いないと思えた「時間、空間、仲間、手間」
まず、前半の4つ(時間、空間、仲間、手間)。
これらは、これまでの自分の経験則として「うん、間違いない」と深く頷ける部分でした。
例えば、ピーター・ドラッカーの話。
彼は「人間関係は効率化できない、時間が必要」という趣旨の話を残しています。

また、私が尊敬するある経営者の方も、かつてこう言っていました。
「人間関係というものは、時間と手間をかければできるものだ」と。
これは、私が得意とする「命名」の仕事においても痛感することです。
昔、少しでも多くの案件をこなそうと、ヒアリングシートを作成し、チャットベースでのやり取りをメインにして、できるだけ「時間」と「手間」を省こうとしたことがありました。
ターゲットも、コンセプトも、機能的価値も情緒的価値も、すべてテキストで共有されている。
しかし、不思議なことに、そこから生まれるアウトプット(名前)は、どこか「浅かった」のです。
クライアントの反応も「ああ、いいですね」止まりで、「これしかない!」という熱狂が生まれない。
一体なぜか。
私の経験不足だったのかもしれません。
しかし今思うのは、そこには「温もり」が乗っていなかった、「心血」が通っていなかったから。
結局、私はその効率化の仕組みを捨てました。
代わりに、あえて時間をとって、雑談も含めた対話を重ねることにしたのです。
時には、プロジェクトとは全く関係のない趣味の話や、最近の悩みを共有し合うこともあります。
そして、命名という言葉の如く、命を尽くして名前を考える。
そうやって「手間」をかけ、「時間」や「空間」を共有し、「仲間」としての意識が芽生えたとき、ふとした瞬間に「それしかないじゃないですか!」と互いが膝を打つような名前が生まれる。
仕事のタスクそのものは効率化できても、人と人との信頼構築や、そこから生まれるクリエイティブの質において「手間」を惜しんだり「時間」を短縮しようとしたりすると、それは単なる事務的な処理になってしまいます。
「仲間」との関係性は、かけた「時間」、かけた「手間」の総量に比例する。
これは、AIがいかに進化しようとも変わらない、人間社会の真理なのだと思います。
デジタル空間における「空間」と「思考」
「空間」については少し補足をします。
これは物理的な場所(オフィスやカフェなど)の話でもありますが、私にとっては「思考の空間」という意味合いが強いかも知れません。
今の私は普段、情報処理や思考の整理に「Obsidian」というツールを使っています。
その中で特に意識しているのが「空間思考」や「Visual Zettelkasten」というアプローチ。
情報を単なるリストやテキストの羅列として管理するのではなく、大きなキャンバス上に配置し、それぞれの情報の「距離感」や「つながり」を空間的に捉えるというものです。
こんなイメージです。

すると、不思議なことが起こります。
リスト形式で眺めていた時には全く関係ないと思えていたAという情報とBという情報が、空間上に配置してみると、「あれ? この間には何かがあるぞ」と直感的に感じ取れる瞬間があったりします。
これは、誰かと物理的な「空間」を共にする感覚にも似ています。
誰かと空間を共有することで、言葉を交わさなくても伝わる空気感があるように、情報と情報の間にも、適切な「空間」を与えることで初めて見えてくる文脈がある。
思うに、思考を深め、新しい発想を生むためには、情報を「空間」的に捉えることが不可欠。
また、他人や情報との「距離感」というのも「空間」の一つで、これを調整することにも結構意識を向けている方だと思います。
例えば、富士山が美しく見えるのは遠いところから眺めるから。
サッカーの試合を見ていても、選手同士の距離感が調整されると見違えるようにサッカーが変わったりします。
人間関係にも距離感はありますよね。
距離感が解決することって結構あるな、、という経験則です。
最大の発見となった「すき間」
ここまでの4つの間は、これまでの自分の経験則として納得感が高い部分でした。
しかし今回、私にとって最も大きな気づきであり、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けたのが5つ目の要素です。
それが、
・すき間
という「言語化」です。
昔の私は、どちらかというと「隙間なく埋めること」に充実感を感じがちでした。
カレンダーが予定で埋まっていると安心するし、みっちり詰まったタスクリストを上から順に消していくことに快感を覚えるタイプでした。
しかし、この五間の文脈における「すき間」とは、単なる空白やサボりではないのだと思います。
私はこれを、「他人や運が入り込める遊び的なもの」だと解釈しました。
これが、今の自分には猛烈に刺さったのです。
例えば、高速道路の渋滞。
車間距離(すき間)を詰めすぎると、少しのブレーキで後続車全体が止まってしまい、結果として渋滞(乱流)が発生します。
逆に、十分な車間距離(すき間)があれば、誰かが割り込んできてもスムーズに対応できるし、全体の流れは止まりません。
人生もこれと同じではないか、と。
私はかつて、タスクシュートを使って、1日の全ての時間を「見積もり」で埋め尽くそうとしていたことがありました。
朝起きてから寝るまで、分単位で完璧な計画を立てるのです。
しかし、現実はその通りにはいきません。
クライアントから緊急の連絡が入ってくる。
家族からの急な依頼が入ってくる。
外出の途中、ふと立ち寄った本屋で、素晴らしい本に出会って読み耽ってしまう。
完璧に埋め尽くされたスケジュールには、こうした「脱線や割り込み」を受け入れる余地がありません。
予定外のことが起きると、イライラし、「計画が狂った」とストレスを感じてしまいます。
でも、もしあえて「すき間」を作っていたらどうか。
その空白は、幸運や他人が入り込むための「スペース」になっていきます。
順算思考と計画的偶発性
この感覚は、私が愛用しているタスクシュートの根本思想、いわゆるボトムアップ型の「順算思考」に通じます。
世の中の多くは「逆算思考」です。
ゴールを決めて、そこから最短距離を割り出し、スケジュールを隙間なく埋めていく。
これは確かに効率的ですが、あくまで「想定内の結果」しか生みません。
自分が想像できる範囲の未来にしか到達できないのです。
一方で、目の前のことに集中し、積み上げていく「順算思考」は、偶然の力を味方につける生き方です。
スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が提唱した「計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)」をご存知でしょうか。
彼によれば、「個人のキャリアの8割は、予想しない偶発的なことによって決定される」のだと言います。
つまり、人生の80:20の法則。

自分の意志でコントロールできるのはせいぜい2割。
残りの8割は偶然の力によって動いている。
ガチガチに計画(逆算)して100%を埋めてしまうと、この「8割の良き偶然」が入り込む余地がなくなってしまいます。
あえて「すき間」を作っておく。
それは、怠惰でも無駄でもなく、未来の可能性に対する投資なのだと思うのです。
AI時代に「間抜け」にならないために
現在は言うまでもなく、AIブームで様々な事が効率化される方向に向かっています。
NanoBanana Pro、Gemini 3、凄すぎますよね…
しかし、効率化とは突き詰めると何でしょうか?
それは、プロセスにおける「間(ま)」を抜くこと、に他なりません。
無駄な待ち時間をなくす、移動時間をなくす、考える時間をなくす、手間をなくす。
AIはそれらを驚異的なスピードでやってのけます。
確かにむちゃくちゃ便利。
否定するつもりもありません。
しかし、この使い所を間違えると、文字通り私たちはこうなってしまいそうです。
- 間抜け(大事なものが抜けている)
- 間が悪い(タイミングや呼吸が合わない)
- 間尺に合わない(割に合わない、成果が出ない)
日本語とは本当によくできたもので、愚かな状態やうまくいかない状態を「間」に関連する言葉で表現します。
効率化によって「間」を抜いた結果、人間関係が希薄になり(間抜け)、チャンスを逃し(間が悪い)、結果として人生の豊かさが損なわれる(間尺に合わない)。
そんな皮肉な結果になりかねません。
AI時代だからこそ、私たちは意識的に「間」を取り戻さなければならない。
少なくとも私はそう思うのです。
効率化でできた時間を、さらなるタスク詰め込みに使うのではなく、あえて「すき間」として空けておく。
そこに、人間関係(仲間)のための「手間」や「時間」を注ぎ込む。
あるいは、思考のための「空間」を広げるために使う。
などなど。
そうやって「五間」を自分の中で循環させることができれば、AIは協力なパートナーになるはずです。
五間を自分の中でどのように生かす事ができるかを考えて生きる。
これを常に頭の片隅に留めておくことが、これからの時代を豊かに生きるための、一つの指針になるのではないかと感じています。
今回の内容が、みなさんの視点や人生観にも、新たな気付きをもたらすきっかけになれば幸いです。
【著者プロフィール】
著者:タナカ シンゴ
現在、マーケティングに関する講座を受講しているのですが、その講座内で先生が「面倒くさいことに価値がある」とおっしゃっていました。
面倒くさいことって、つまりは「間」のことだなと思った次第です。
◼︎ ハグルマニ(プロジェクトコンプリメンター)
◼︎ 命名創研(命名家)
◼︎ 栢の木まつり 実行委員会
◼︎ タスクシュート認定トレーナー

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