田中 新吾

理解されるなんてことがあると思うのが誤解。

タナカ シンゴ

理解されるなんてことがあると思うのが誤解だ。むしろ、誤解をすすんで纏ってしまおう。

あの岡本太郎はこのような言葉を遺している。

誤解とは一般的には恐れられるもので、おおくのひとが誤解をされないように生きているし、誤解されてしまったならばその誤解を解こうとする。

気になって少し岡本太郎のことを調べていたら、人を強くし豊かにするのは誤解の分量であるとも言っており、生き方そのものがとても逆説的であることを知った。これはかっこいい。素直にそう思えた。

しかし、誤解をすすんで纏おうなんて「そうしよう」と思ってもすぐにできるものではない。

きっと常に誤解と戦い続けてきた岡本太郎だからこそ行き着いた境地なのだと思った。ちなみに、このこと自体が誤解である可能性は十分にある。

こんな風に考えれば考えるほど、岡本太郎の思考が本質的だと思えるようになっていった。理解されるなんてことがあると思うのが誤解であると。

現時点での僕の考えはこうだ。

誤解が前提である、と考えるようになってからは幾分か肩の力が抜けた。

さいごに

この週末は西湖でキャンプをしていた。

確かに誤解だらけで理解することはなかった。

でも、共感は数えきれないほどした。

人は狂った時計とおんなじ、それでも分かり合えたりするのは心で分かる共感があるからなんだろうなと改めて感じた。

ここまで読んでくださった方々にとって、この記事が何かしらの参考になれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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