RYO SASAKI

それは平均を求めてきた反動か?私は個店に導かれる~個性を存分に味わう時代の到来~

タナカ シンゴ

先日、「これって、よく聞くところの引き寄せの法則かも。」という出来事が久々にあった。

数年前に通い始めた食料品店(個店)がある。

いつものようにそこで店主と立ち話をしながら買い物をしていた時のこと。

店主が話のつながりもなく唐突に、

「魚って食べますか?刺身とか・・・」

と訊いてきた。

私は意表を突かれつつも、「食べますよ」と返したところ、店主は近所にあるお勧めの魚屋さんを教えてくれた。

訊ねられてやっと思い出したのは、私が普段使いの魚屋さんをここ数か月ずーっと探していた、ということだった。

これまでの私は、魚を大型のスーパーで購入していたのだが、特にコロナ禍のあたりから、スーパーに並ぶ魚が減ったような気がして、同時にあまり美味しくないように感じ始めていた。

更に、燃料費の高騰によって魚の値段が上がるは、切り身が小さくなるは、と状況が悪くなった。

以前読んだこちらの本のように、

気候変動・乱獲・世界の需要増などが重なって、魚が食べられなくなる日がホントにやってくるのではないか?という懸念が再燃してきていたのだ。

このままでは良くない、他の手段を探さないと・・・。

それは、世の中を危惧しての思いではなくて、自分の食いぶちを何とか確保しようという何とも自分勝手なものなのだが。汗。

その思いのエネルギーが伝播したからなのか?

なんと魚屋情報が急に飛び込んできた!笑。

私はこの引き寄せ?を有難く感じながら、その足で颯爽とお勧めの魚屋さんに向かったのだった。

この個店を訪ねたことをキッカケにして、たどってたどって最後に、個性を存分に味わう時代の到来までに、行きつくことになった。

そんなことになろうとは、この時点では思いもよらなかった。

何ともオーバーな話だが、お付き合いいただければ幸いだ。

レベチの魚屋さん

その魚屋さんは閑静な住宅街の路地裏にあった。

店の前の路地は人がひとり歩くのがやっとというくらいの道幅で、迷いに迷ってやっと到着した。

聞くところによると、築地市場で働いていた店主が市場が築地から豊洲に移ったタイミングで豊洲に移らずに自宅で魚屋を開業したんだそうだ。

おそるおそる入っていくとご夫婦が笑顔で迎えてくれた。

ショーケースに、カツオやタイの柵、アジ、イカなどが並んでいた。

決して種類が多いわけではない。

私は、カツオの半身とアジをその場で刺身にしてもらった。

「(カツオの)腹と背はどちらがいいですか?」と聞かれて、そんな贅沢なことを聞かれたことがなかったから、戸惑ってしまった。

持ち帰って食べてみると、スーパーのモノとは油の乗りといいレベルが違うと言っていいくらいの味で驚いたのだった。

ちなみに値段はスーパーのモノとさほど変わらない。

勧めてくれた店主の「あの魚屋さんの目利きはすごいと思う。」という推薦の言葉に納得した。

思えば、私がこれまで魚屋さんに縁がなかったのはなぜだろうか?

大型店舗によって街の魚屋さんが減ったこともあってか、これまでに私の棲んだところの近くに魚屋さんがなかったからなのかもしれない。

あるいは、車を駐車しづらいことが原因だったのかもしれない。

ともかく、どうやらこれが私の魚屋さんデビューとでも言った方が良さそうだ・・・。汗。恥。

個店 vs. 大型店 パワーバランス

大型店舗は大量仕入れによって、仕入れ価格が抑えられることがその魅力の一つ。

大手がやってるから間違いない、という安心感もある。

今回私が感じたことは、大きなパワーバランスの変化だった。

この味の差は、魚屋の店主の目利きと大型店の目利きの力の差によるものなのだろうか?

そう自分に疑問を投げかけたが、すぐにそれだけでは片づけられないと思った。

ここからは素人の考えなので、話半分で聞いてもらいたいのだが、日本人の魚離れと、魚自体の減少によって大量仕入れのメリットが得られづらくなったのではないか?

また、魚が減ったことと世界の需要増のダブルパンチで、魚の価格が高騰する中、高い魚を仕入れても我々?は財布の紐を解かない、だから大量には売れない。

よって、大型店は比較的大量に売れる最安値付近の魚ばかりを置くようにせざるを得ない。

それで味が落ちたのではないか?

このような大型店の企業努力も含めた、循環が起こっているんではないだろうか?

一方、個店の場合、少数特定の人が対象で大量に売る必要がない。

というよりも、個店独自の目利きをすれば、そのことをわかってくれる少数特定の客がつく、といった方がいいだろうか。

少数特定に向けて自分を存分に生かして目利きができるのが個店。

大衆を意識して目利きをしなければならないのが大型店。

個店の目利きと大型店の目利きの見せ所が異なる、ということなのではないか?

思うに大型店と特に相性がいいのは、数が限定的な生鮮食品よりも、工場で大量生産される加工品なのだろう。

これからもこの傾向は続いていくように思う。

また別の角度から眺めてみる。

多様性社会は気になる言葉で、これまでも何回か記事に書いてきているものだ。

繰り返しにはなるが、生き死に関わることが少なくなった豊かな社会、そして、情報や選択肢がたくさんある社会は、価値観が多様に分かれるものだ。

そうなると、社会はみんな同じモノを選ぶという可能性は低くなっていく傾向にあるだろうと思う。

これも今後、大型店は苦戦を強いられ、個店が際立ってくる要素になるんではないだろうか?

愛すべき個店の変態たち

縁は立て続けに起こるもの?

ほぼ時期を同じくして、別の縁があった。

これも求めたわけではなかったのだが、ある人から、自家製ハム、サラミが美味しい個店を教えてもらった。

出かけてみると世界でも珍しくアルコール発酵(多くは乳酸菌発酵)をさせているサラミが店の奥にたくさん吊るしてある。

アルコール発酵のためにワインの自家醸造もしている、簡単ではない発酵方法なのだ、と店主が話してくれた。

口に入れると、濃厚な旨味が広がり、ずーっと味わっていたい、もったいなくて飲み込みたくないような、今まで食べたことがない味だった。

「ワインのアルコールで発酵させるんだからワインに合うはず、っていう思いです。」

と店主。

確かに納得。

普通やらないことをする(愛をこめて)変態店主に出会うことができた。

次はあるワイン試飲会で、出会ったインポーターさん。

そのインポーターの輸入するワインの中に、滋味な味でスーッと体に入ってくる私の大好きなワインを見つけた。

他のいくつかのワインも、私が好きな味だった。

聞くところによると、今まで有名でなかった地域に出向いて、有名になる前の美味しい自然派のモノを見つけては、リーズナブルに提供しよう、としているとのこと。

そう、有名な地域のワインは軒並み値段が上がっている。

そして、有名になったドメーヌ(畑兼醸造所)のワインも値段が上がる。

ただでさえ高級品のワイン、それが有名になってしまっては、私なんかが買えたもんではない。汗。

これは、青田買い手法?とでも言ったらいいのか?

このような無名の地域のワインが、有名大型店に最初に並ぶことはまずないだろう。

その思いにまた惚れてしまった。

こじんまりやっているんです、と謙遜するインポーターさん。

案の定、少人数だ!

少人数だから大衆を意識せずに好き勝手やれるんだ。たぶん。 

こちらにも愛すべき変態インポーターがいた。

ぐるっと回って個店に戻る時代!?

私は大きな組織に長くいた人間のひとりだ。

そこが安定して居心地がいいと思っていた時間も長い。

そんな自分が大きな組織から学んだことは、自分のやりたいようにやるには、社長になるしかない、という、よく言われる結論だった。

今回それに加えて、規模が小さくあることもまたグッドだと感じる。

その行き着く先のひとつが、個店の店主ということになる。

大きくなると、大きな組織と設備を持っているだけに先の個店のように、好き勝手できないのが難しいところなのではないかと思う。

そして、大きな組織においてやりたいことをやりづらいということは、そこにいる者は個性を抑制しながら生きていかないとならないということになる。

※やりたいことが大きくなることだったりする人もいるので、すべてに当てはまるものではないが。

自分を抑制をしてきた私だから余計にそうなのか、最近お会いした個店の方々は、覚悟をもってやりたいことをやってその個性を発揮して輝いているように感じられる。

かつて平均であろうとした私が、常識を怪しみ出したあたりからはみ出し始め、もはや平均であるとは何のことなのかわからなくなりつつある。

遅ればせながら、私自身も変態を歩みだしたと言っていい。汗。笑。

私の中にその反動が起こり始めたのか!?

大きな組織というものは、様々な意見をもつ大衆の風当たりが強いから、多くの人からの「無難だ!」を強く意識しないとならない。

これは大きい者の宿命なのか・・・。

変態からすると、その無難さに何の味もしなくなる。

それは影響力が大きくなってしまって、すべてにおいて無難になって味がしなくなってきているテレビとソックリだとも感じる。

さて、震災後、小規模分散という言葉はよく使われるようになったが、小規模分散が個性を発揮しやすい形なんだろうと思う。

惜しみなく自分を表現をする個店の価値観をそのままストレートに浴びて、その価値観に惚れる。

個人の個性を愛でることができる、あらためてこれが個店の素晴らしさだ。

少し前までは、大型店舗の出店によって商店街の個店がつぶれる時代だったように思う。

しかし、これからの多様性社会、それは社会の平均がわからなくなる時代であって、小規模分散で個性を発揮する時代でもあって、それはぐるっと回って、個店にまた戻る時代なのではないだろうか?

そんな大きな妄想がもたげてくる。

そんな妄想はともかく、情報社会では、広告なしでも口コミが回るスピードも早く、専門家でなくても愛すべき個店にたどり着くことが可能になっている。

自分の好きなものを追求すると、自分の好きなものを仕入れる小売店にたどりつくだけでなく、自分の好きなものを輸入するインポーターにたどりつき、自分の好きなものを生産する生産者にたどりつくこともできる時代なのだ。

好きな価値観を持つ個人を自分で選定して、その人とストレートにつながる。

そうして、そのつながった信頼する生産者、インポーター、店舗から、購入する。

最近の私は、何かの力によって急に個店に導かれているようで、それがまた自分の変態性を浮き上がらせてくれるようだ。笑。

自称変態の私は、その力に身を委ね、世の中に発揮されている様々な人々の個性をこれから存分に味わって行こう、と鼻息を荒くするのだ。

UnsplashMichael DeMarcoが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

繰り返しですが、変態とは悪い意味ではありません。

個性を出せていることの証でもあり、リスペクトを表してもいます。

若者言葉で言えば「あの店、ヤバい」というところでしょうか。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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