行動遺伝学に、人生という「不平等なゲーム」の攻略法を学ぶ。
「人生は不平等なゲームである」
この言葉は、ここ何回かブログに取り上げたものだ。
最近、この言葉を裏付けるデータに行き当たることになった。
これもまた、次から次へと必要なものが手繰り寄せられてくるようで、引き続き、私という者はなんともツイている。汗。笑。
なぜだか、「行動遺伝学」に関する情報が、ネット動画のおすすめにいろいろと上がってくるようになった。
これを、また引き寄せの法則だと思ったのだが、私が興味を持ったから、その言葉が光った(カラーバス効果)という方があっているのかもしれない。
こんなことをツイていると思えるんだから、私は楽観的な性格なんだろう。(後から性格の件も出てくる)
さて、行動遺伝学とは、遺伝率を計測する学問で、人の能力や性格は遺伝と環境のどちらの影響が大きいのか?を研究するものだ。
私は、最近の行動遺伝学の研究結果から学んで、「人生は不平等なゲームである」ということをあらためて見せつけられることになった。
今回はこれをキッカケにして、人生という不平等なゲームをどう攻略するか?
これを今一度考察してみたい。
遺伝影響は思っていた以上に大きい
最近の行動遺伝学では、いくつかの項目毎の遺伝率が数字で示されている。
(遺伝率)
身長 63%
体重 74%
論理的推論能力 68%
IQ 77%
これは、ザックリと父親あるいは母親のIQが高ければ、7割くらいの確率で、子供のIQが高くなる、という意味合い。
※実際には、父親と母親のIQの中間値が現れる確率が高かったり、隔世遺伝で祖父あるいは祖母の遺伝子が現れることもあるなど、複雑である。
そして、見た目を始めとして、音楽、運動、依存症、精神病、犯罪などなどあらゆるものが遺伝の影響を受けているという。
人間に影響を与えるのは、遺伝か?環境か?これに関しての私のこれまでの認識は、半々くらいというものだった。
この半々くらいというザックリとした認識は、腐らずに努力を続けようというベクトルとまあできなくてもしようがないと諦めるベクトルの両方を肯定してくれて、気持ち悪い一方で都合のいいものだったと思う。
しかし、今回紹介されている結果は、例えば知能の7~8割が遺伝で決まる、というものだった。
賢い、賢くないをIQだけで判断していいのか?については議論があるところだろうが、少なくとも賢さに遺伝が大きく影響している、と言わざるを得ない。
子供の頃、見た目や運動能力は遺伝だからしようがない、と何となく認めざるを得なかった記憶があるが、賢さだけは別物だよ、という雰囲気が全体にあったような記憶がある。
見た目を良くするために努力しなさい、とはほとんど言われなかったのだが、賢くなるために勉強しなさい、努力しなさいとは周りから繰り返し言われたものだ。
だから、必死に勉強したわけなのだが、知能もまた見た目と同様に、遺伝に影響されていて、努力によって良くすることに限界があるということを、今やっと知ることになった。
私が、どんなに努力しても、ウサインボルトのスピードで走ることができないことと、私がどんなに努力しても東大に入れなかったこと、は同様のことだった、とやっと理解するのだ。
貴族社会 vs. 能力主義
こちらは、能力至上主義について問題提起している本。
社会は常に正義を求めているものだ。
私が就職する企業を探した時代には、「実力主義」が企業の売り文句になっていた。
従来の年功序列で昇給していく方式よりも、若くても結果を出した者が評価されることが正義だと思って、それに魅力を感じたものだった。
同時に、貴族社会のようにある特定の家系が、あるいは、特定の企業が、特権を持ち、富を保有している、というような状態を不平等に思ったものだ。
自由競争、そして実力主義による評価は、それが正当になされる前提において納得感があるし、実力を競えばみんながたくさん努力をすることになり、社会がより発展する、これはいいことづくめではないか・・・。
そんな風に思っていた。
ところが・・・・
このことに、遺伝の影響が大きい、という行動遺伝学の話を重ね合わせてみると・・・。
完全な実力主義の社会では、遺伝によって偶然にも能力が他の人に比べて低くして生まれた人は、いくら努力しても活躍できる場が少なくなり、成功することができないということになる。
いくら自分が能力があると思っていても、探せばもっと能力がある人は必ず見つかる。
特に情報社会は、自分より優秀な人を世界の果てからでも瞬時に見つけてくることができるようになった。
実力主義とは本当に正義なんだろうか?
自分の胸が痛い、何ともイヤーな話をしている。汗。
実力主義を不正義だ、などと言っていると「あんたは、努力をしたくないんだろう?」とツッコまれ、自分が怠惰なところがバレてしまいそうで怖さもある。笑。
この本には、こんな社会の分断の例も紹介されている。
アメリカの分断は、貧富の差なども含めて良く聞くようになった。
2016年のアメリカ大統領選挙は、共和党のトランプの勝利となったのだが、民主党の支持者に高学歴のエリートが多いのに対して、トランプはエリートよりも学歴の下の層ー以後非エリートと呼ぶーの票を集めたという。
同じく、2016年のイギリスのEU離脱選挙についても、離脱賛成の票を投じたのが比較的、非エリート層だったという。
この分断は、一般的にいう革新(左派)と保守(右派)の様相になる。
革新は概ねグローバリズムを支持し、保守はナショナリズムを支持する。
それらの事情に全く詳しくない私なのだが、これらの分断の背景の根底に、実力至上主義に対する是非があるのではないか?と私には感じられる。
エリートと非エリートが、努力の量ではなくて遺伝によって分かれるものであるとすると、どうしてもそんな風に見えてくるのだ。
エリート層は自分に能力があるという自信があるから、世界規模での正当な競争を求める。
一方の非エリート層がグローバルリズムを拒否するのは、実力至上主義によって外から実力者が入ってくる熾烈な競争を警戒しているのではないか?
このことがどれだけ影響しているのかはともかく、当時私にとって素晴らしく感じられた能力主義に、いろいろな問題の根底がひそんでいるようで、未来に向けて見過ごせないポイントだと感じるのだった。
政治に興味が薄い私が、急に政治に絡みつきはじめてしまった。汗。恥。
人間の性格も遺伝である
性格についても、 同様に遺伝の影響が大きい。
こちらの本では、人の性格を表す特徴項目を8個上げている。
①外向的 or 内向的 明るいか、暗いか
②楽観的 or 悲観的 精神的に安定しているか、神経質か
③同調性 みんなと一緒にやっていけるか、自分勝手か
④共感力 相手に共感できるか、冷淡か
⑤堅実性 信頼できるか、あてにならないか
⑥経験への開放性 面白いか、つまらないか
⑦知能 賢いか、そうでないか
⑧外見 魅力的か、そうでないか
前提としてこれらの項目は、白か黒かの二択ではなくて、程度問題であって学力偏差値のように正規分布するものである。
これらの項目すべてが遺伝に大きく影響を受ける。
イケメンに生まれることを選ぶことができないように、外向的に生まれたくても内向的に生まれてきてしまうこともある。
ちなみに、外交的と内向的の本質は、敏感か鈍感かにあるとも言う。
人に限らず、動物は刺激が足りなくなると刺激を求め、刺激があり過ぎると減らすように調整しながら生きている。
鈍感な人は、刺激が欲しいから積極的に外に出て人と関わる。
一方の敏感な人は、外に出たり人に関わったりすると、いろいろなものを敏感に感じてしまって疲れるから、刺激を減らすためにおのずと内にこもることを選択するのだ。
もちろん、敏感や鈍感を選んで生まれてくることもできない。
では、外向的=鈍感がいいか?内向的=敏感がいいのか?というと、一長一短。
時に外向性も必要だし、時には内向性も必要。
ちなみに、楽観的と悲観的の本質は、楽観的な人は責任を自分以外に転嫁するエゴイストで、悲観的な人は自分で責任を引き受けようとする利他主義者なんだそうだ。
時に楽観的であることが必要で、時に悲観的であることが必要、ということがよくわかる。
そして、時にはみんなと一緒にやっていくことも必要だし、時には自分勝手なことも必要。
時には共感も必要だし、時には冷淡さも必要なのだ。
どちらにもいいところがあるから、これまで遺伝子の中に組み込まれ、両方の特質がある人がそれぞれ生まれ落ちてるんだろうと思う。
君たちはこのゲームをどう攻略するのか?
少し前に「親ガチャ」という言葉が流行ったが、これは行動遺伝学から見ても良い得て妙だ。
隔世遺伝があるので、「先祖ガチャ」とでも言うのがちょうどだろうか?笑。
いや、私が言い直すと何ともイモっぽくなる。汗。
ともかく、その大半が遺伝によってスタート時に決まってしまう、人生という「不公平なゲーム」の攻略法を考えてみよう。
まずは、そこここに勘違いがあることに気づく。
例えば、映画にもなった『ビリギャル』。
1年で偏差値を40上げて、慶応義塾大学に現役合格したという話だ。
誰でも努力すれば夢は叶う、ということに力をもらえるわけだが、そんなシンプルなものではない。
誰もができるわけではない。
できるのは地頭がいい子だけに限定される。
そして、地頭が良いが、勉強に全く興味がない子の場合に、うまくサポートすることで偏差値が大幅アップすることがある、という物語なのだ。
世の中は、物事はなんでも努力すればつかめる、として努力を美徳化する。
しかし、そんな夢からは冷めてもっと冷静になるべきなのだ。
他人の成功例を自分にあてはめる場合には慎重にならないといけない。
その人とはそもそも能力が違うんだから、他人の美談に触発されるのもいい塩梅にしないと裏着られることになる。
何とも夢のない話をしている。
また、暗くて悩んでいる人を明るくする、あるいは、悲観的で悩んでいる人を楽観的にする、といった数多の自己啓発本について。
その努力が全く無駄だということではないが、それは苦手で変わりづらい方向に向かうということで、簡単ではない。
コンサートなどでの日本人のノリは外人に比べて今も鈍い。(←上から言ってるようだが自分もそうだ。汗。)
これは、日本人にセロトニンの出る量が少ないタイプ、いわゆる悲観的な人が多いんだとか・・・。
自己啓発本は、セロトニンが出づらい人にセロトニンを出す方法を説いているようなものなのだ。
悲観的なのは何も悪いことではない。
ただ、これまでの環境に適応するために、ご先祖様がそうだっただけで、その特質をいただいて生まれてきたというだけなのだ。
更にもうひとつ、「謙虚さ」について。
謙虚である、というのは日本人の良いところとも言われる。
本当の謙虚さとは、仮に自分が、あることの才能があった時に、その才能は偶然いただいたGIFTである、と確信するところからくるべきものではないだろうか?
それは宝くじで当たったことを、自分の能力だとして周りにひけらかさないのと同様にただラッキーだったということなのだ。
その才能のすべてが自分の努力であるかのようにふるまってはならない。
親に感謝するのみ。笑。
こんな風に、世の中のいろんなことが全く変わって見えるようになってくるのだ。
最後に、今回学んだことで、人生という不平等なゲームの攻略法をまとめてみたい。
・自分がどんな能力、性格なのかをできるだけ客観的に知ること。
(※すべてのスタートがここからになる。)
・悲観的だとか暗いとか、ネガティブに思われていることも悪いことだと思わない。
(※性格にはメリットが必ずある。)
・自分にない能力や性格を羨ましがって、過剰に求めない。
(※努力によって近づけるが、かなりのエネルギーがいるからコスパが悪い。
やり過ぎると体を壊す。)
このあたりになるだろうか・・・。
結局は、無理のない範囲で自分のやれること、やりたいことに集中をする。
あまり頑張り過ぎなければーそれも周りから見れば頑張れている、と見えたり、怠惰に見えたりするだろうがーそれがその人の遺伝がそのまま表出している状態になるはず。
それが比較的、自分の能力を生かしている状態ということになるのだろう。
その範囲の仕事に折り合いをつけて生きていく。(簡単ではないだろうが・・・)
暗ければ暗いなりに分相応に、それが生かせる仕事を選ぶということだ。
ところで、こんな調査もあった。
人生に大切なものは「努力だと思うか?運だと思うか?」という質問に「努力だと思う」と回答した比率である。
アメリカ 77%
ヨーロッパ 25%
ヨーロッパの人は、7割以上の人が人生は運だと思っていたことに驚く。
だから、ヨーロッパの国々は生活保障が厚くできているんだそうだ。
アメリカはあれだけの分断があっても、多くの人が努力を信じているところに、少し違和感がある。
日本の統計はないが、自分がそうであるようにたぶん「努力」という人が多いんではないだろうか?
まあ今更私のあの受験勉強の努力を返してくれ!とは言うまい。
これまで努力の方に偏ってきた自分だから、遅ればせながら少しヨーロッパを見倣って運に身を任せる方にシフトしていこうと思うのだった。
今回は夢のないショッキングなところもあったが、結論が都合よく楽な方、そして、怠惰でいい方に着地したので、正直安心している。
これもまた私の楽観的な、エゴイストなところなんだろう。汗。笑。
(参考)
生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋
UnsplashのMichał Parzuchowskiが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
着地したんではなくて、私の楽観性が都合のいいところに着地させたんだと思います。汗。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
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