RYO SASAKI

良き思い出は、未来に循環させるのだ。

タナカ シンゴ

今年は異例中の異例で梅雨が早く明けて急に夏がやってきた。

久々に街中に用があって、その帰りがけの夕刻に神田を歩いていた時のこと。

不快なまとわりつくような湿気に包まれた暑さが、急にどこかであった感覚と結びついた。

そして、不快であるはずのこの暑さが、なぜだか同時に気持ちの良さもまとっているように感じられた。

この気持ち良さは、そして、なつかしさは、どこのものだったのだろうか?

・・・・・

そうだ、それはもう25年は優に超えた昔のことになるだろうか。

私は、同じように不快なまとわりつく湿気に包まれた暑さの中を歩いていた。

場所は香港だ。

何で香港に居たんだろうか?

ひとつひとつ記憶を手繰り寄せていくと、ここまで全く忘れていた最高の思い出が徐々に蘇ってきた。

夢のような香港

あれは、バブルが弾けて日本が停滞期に入った頃だった。

美味しいものを食べるのが大好きな後輩が同じマンションに住んでいて、その妹が香港に住んでいたこともあってよく香港に旅行していたようだったが、その後輩から美味しいものを食べに行きましょう!とお誘いをいただいた。

私は当時から贅沢に対して積極的な人間でなかったので自分からはなかなか動かなかったのだが、一方でお誘いには応じる他力本願的な、よく言えば協調的な男だったから、香港までノコノコとついていった。

最終便の香港国際空港到着は夜の11時過ぎで、街中に到着したのは12時をまわっていたことが蘇ってきた。

その後、どこに泊まったのかは全く覚えていないのだが、ひとつだけはっきり覚えていることは、後輩に「このあとどうするの?」と尋ねたこと。

「ウェルカムパーティーがあるから、そこに向かいます。」と後輩から返ってきた。

レストランに到着すると後輩の妹さんと他に日本人の2名の女性が出迎えてくれてそこから宴が始まった。

いろんな広東料理、そうだったと思うが、をいただいて、お酒もたくさんいただいた。

ひとしきり飲み食いした後、これで終わるのかと思いきや次はカラオケスナックに向かうことになった。

カラオケスナックへは、女性がもう一人加わった。

サザンの『LOVE AFFAIR~秘密のデート』などをリクエストしてもらって、歌ったら大いに乗ってもらえるものだから、調子よく散々歌って飲んで帰路に着いたのは午前3時30分を回った頃だったことを覚えている。

この女性たちは後輩の妹さんの友達や仕事の仲間で、金融関係やCAなどいろんな職業の人がいた記憶がある。

その日は平日で、そんな日にもかかわらず、明け方まで付き合ってもらったとは、驚きだった。

支払いに関して私が全額負担したという記憶もない。

「みんな翌日の仕事、大丈夫だったんだろうか?」と帰国してから思ったものだった。

こんな具合の、鮮烈な先制パンチから香港旅行がスタートした。

翌日から後輩は他のことに目もくれずに美味しい店へと私を連れ回してくれた。

私は寝不足ながら、後輩の食欲にくらいついていくのが精一杯だったように思う。

そうだ!それは、夕方に甘味処を探していた時だった。

超近代的な高層ビルとそこから一本路地に入った所にある貧しそうな今にも壊れそうな洗濯物だらけの古い建物との狭間。

そこに神田で感じた不快なまとわりつく湿気に包まれた暑さがあった。

その夜は、クラブにハシゴすることになって、香港の俳優でスーパースターのチャウ・シンチーさんの宴になぜか混ぜてもらえた。

チャウ・シンチーの周りには、多くの取り巻きがいて、彼はジャンケンをして負けると一気飲みするようなゲームでじゃれあっていた。

私は、その時に急にある苦しさに襲われて、その場を離れビルの上から香港の街の活気を憂えながら眺めていた。

その後にかろうじて元の場所に戻ると「チャウ・シンチーが先輩はどこへ行った?」と心配してくれていたと聞いた。

スーパースターはその時の私には疑わしく思えるほどの人格者だった。

今、ウィキペディアをみるとスーパースターは苦労人だった。

次の日の夜は後輩の妹さんの仕事場の上司ー俳優の藤木直人さん似のイケメンだったと記憶しているーがポルシェで現れて、我々を乗せてビクトリア・ピークまでの道を人込みを切り裂くほどの早さで駆け上がった。

ビクトリア・ピークから香港の見事な夜景を見て、夜中まで飲んだり、車でホテルまで送ってもらったりした。

その日もまた平日だったが、お構いなしだった。

今思えば、本当だったのか夢だったのかわからないくらいの記憶なのだが、私の睡眠中の夢はうまくいかないものがほとんど。

この夢は愉しいものだから本当のことなのだと何とか区別した。

自分は東京と一緒に停滞、香港は元気

この香港旅行を四半世紀ぶりに振り返ってみると何とも多くの疑問が湧いてくる。

当時の私はあらゆることが新鮮で無我夢中で、同時にプライドもあった。

だから、起こる出来事をさも当たり前のようにクールに受け止めていて気が付かなかったのだろう。

そもそも翌日も仕事がある平日の夜に深夜零時を回ってから、接待していただけるとは一体どういうサービス精神だったのだろうか?

私のことをとんでもないすごい人だと紹介してしまったんではないのか?

私はイケメンでもなく、金持ちでもなかったし、金払いが良かったわけでもないから、そんなに接待するに値しないはずなのだが・・・。

その頃の私はと言えば、田舎者がまだまだ抜けずに都会やきらびやかなものへの警戒心が強くて、それでもプライドだけは育っていたと思う。

それに加えて、経済が停滞して東京全体が沈んでいた時だったので、自分の仕事もうまく行かずに東京と一緒になって沈んでいて、お先真っ暗という感じだった。

それに対して香港の人々は、どこまでも元気で前向きで未来に希望を持って目がキラキラしていた。

藤井直人似のイケメン先輩は何時までもハツラツとしていた。

人生をおう歌するとはまさにこのことだと感じたのはこれが生まれて初めてだった。

この素晴らしい人々に対して、自分が相応の喜びや感謝をもってコミュニケーションできたとはとても思えない。

クラブで苦しくなったのは、元気で勢いがあって自信がある香港と自分を比較したからだった。

「逆にこの香港の人々が日本に訪れた時に、自分は同様のおもてなしができるのだろうか?

できやしない。

何って自分はシミったれた奴なんだ!」

ショックを受けながら香港を眺めていた。

スーパースターのチャウ・シンチーは、たくさんの取り巻きがいる中で、日本から来たこのシミったれたオッサンになぜ気遣いをしてくれたのだろうか?

むしろシミったれていたから心配だったのかもしれない。

いや、後輩の妹さんはとんでもない人だったのか?

彼女は英語、北京語、広東語などを自在にあやつって才女であることは間違いないが、きらびやかなところも高圧的なところも全く感じさせない人だった。

自分に限らず、香港の人のおもてなしの流儀が、このようなものだったのかもしれない。

私は出来事をすべて損得勘定で分析することを癖付けられていたから、このような香港の人々の無償のサービス精神をそのまま受け取ることができなかった面も多分にあったのだろう。

だから、大いに心が揺さぶられて余計に困惑したのだろう。

とにかく私は香港の圧倒的な力強さに打ちのめされて、一方ではエネルギーをもらって帰国したのだった。

エネルギー循環に身をゆだねる

この夏の暑さから意外な記憶が呼び起こされたのだが、当時の香港の美味しい食べ物の記憶はほとんどない。

記述したような非常に有難くて心が揺さぶられたところだけが、なぜか鮮明に蘇ってきた。

記憶とはそういうものなのかもしれない。

記憶とはいただいた有難さなどで揺さぶらたこと、そのエネルギーが刻まれたものなのではないだろうか?

私は、自分で何でもやってきたような顔をして生きてきたのだが、縁をいただいてその縁に対して自分ができる範囲での判断をしてきたに過ぎないのではないか?とも思えてきた。

この香港の旅行も自分が手繰り寄せたとは、言いづらい。

どう見ても受動的に縁をいただいたようだ。

この香港のようにいろいろな縁から都度エネルギーをいただいて生きてきたのだと思う。

まだまだ記憶の奥底に埋もれているものもあるのだろうと思う。

人間とは何者なのか?と眺めた時に一つの側面として、

「食物をいただいてエネルギーに変えて生きている」

と見ることができる。

そして、また、

「インプットして相応のアウトプットして生きている」

いわゆる反射して生きているとも言える。

このような表現は、入出力機のようにメカニカルで人間味に欠けるから気分が悪い人もいるかもしれない。

でもシンプルにみると、吸収したエネルギーで何かのエネルギーを発散している。

これが自然な循環なのだと思う。

お金も循環が必要だとよく聞くが、エネルギーを吸収するだけでは、あるいは、お金を貯めるだけでは、糞詰まってどうしようもないのだ。

周りからいただいたエネルギーを変換して別のエネルギーとして周りに還元していく。

人は狡猾な頭が働かなくても、もしくは、狡猾な頭が働かなければ、元々これを自然に行うようにできているのではないだろうか?

折角過去の良いことを思い出したものだから、このことをなんとか有用にできないかと、私はまた小難しいことを言い出してしまっているのかもしれない。

とにかくいただいたエネルギーは滞らせずに循環させる、それが自然、生命体そのものであって、その自然に身を委ねることが健康なことなのだと思った。

過去のいい思い出を懐かしむだけでは、循環は滞っているのだ。

そして、その思い出を武勇伝として自慢するだけに終わっても、これまた滞っているのだ、と思えた。

その思い出から得られたエネルギーを、これから未来に会う周りの人に少しでも振り向けることが循環なのだ。

さて、あの活気のある香港は今も健在だろうか?

私は香港でエネルギーをいただいてたんだ、と思い出した夏の日。

そして、香港で良くしていただいた皆さんにお会いできたら恩返ししたいと思った夏の日。

会えない人も多いだろうから、いただいたエネルギーをこれからお会いする人に循環していこう、そう思えた。

自分は人に与えられるような器ではない、などと思ったりしたこともあったが、そんな風に頭で考える必要などない。

制御せずに湧き上がってくる自然に身を任せればいい。

早速、あるお店でトラブルに見舞われて困っていた店員さんが私の前に現れるというご縁があった。

私はお客はあまり出しゃばってはならないといつもは思っているのだが、この時ばかりはシャシャリ出て何とか店員さんを助けることができて、ことなきを得ることができた。

その時に私は、当時の香港を思い、四半世紀前にいただいたエネルギーを今注ごうとして普段よりも積極的に動いた。

「何と大げさなことを言ってるんだろうか!」

ひとりほくそ笑んで、続けて苦笑いした。

Photo by Daniam Chou on Unsplash

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

いただいたエネルギーはあまり人を意識せずに、縁に沿って循環させていきたいものです。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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