いろんなタイプの人を「新造語」で愛でてみる。
キッカケは、『サウナー』= サウナ愛好家 という意味の造語。
サウナブームを牽引する言葉にもなっている。
私は、『サウナー』になったが、コロナ禍によってこれに『日光浴愛好家』も加わった。
外気浴の時に日に当たることでビタミンDを生成させたい。
この時、『日光浴愛好家』に当たる『サウナー』のような名称はないのか?と思って探したが見つからなかった。
『日光浴愛好家』をそのまま使うことはどうも気乗りがしない。
『日光浴愛好家』という言葉の響きは、
・長い
・重い
・仰々しい
言葉の長さや響きで変わる、デリケートなものなんだなあ、という発見もありつつ、ならば、造語を作ってしまうしかない、と思った。
新語・流行語の役割
毎年生まれる新語や流行語には、どんなものがあるのだろうか?
受賞した言葉を中心に過去のものを分類してみると、
・時代背景描写
「三密」「ニューノーマル」
・セリフ、ギャグ、口癖などで繰り返された言葉
「倍返し」「そだねー」
・そこまでは専門用語だったりであまり使われなかったが、誰かが使い出してメジャーになった名称
「忖度」「集団的自衛権」
・組み合わせないような言葉を新しく組み合わせた言葉
「爆買い」「神ってる」
・以前の言葉よりも柔らかいとか違うイメージや微妙なニュアンスが加わった言葉
「はにゃ」「アセアセ」
・短縮語
「推しメン」「KY」
様々なものがある。
言葉とは、共通の「物」や共通の「概念」を共有することができるものだ。
ということは、新造語ができるということは、新しい物が生まれたか、あるいは、今までにない新しい「概念」が生まれたことになる。
新造語の登場によって、今までは文章で長々と説明しなければ伝わらなかった概念が、瞬時に伝わるようになる。
概念が増えることで、そして、その概念が共有され、共感されることによって、人生は豊かになる。
瞬時に伝わるに関連して注目したいのは、短縮語について。
冒頭の『サウナ愛好家』という言葉が『サウナー』になることで、柔らかさ、親しみやすさ、やんちゃさなどのニュアンスも加わるが、シンプルに、音数が8音→3音に言葉が折りたたまれる。
半分以下になっているのだから、概念共有速度が更に早まる。
これは、革命的なことだ。(大げさか?笑)
『推しメン』は、「一推しのメンバー」更に元をたどると「一番推しているメンバー」だから、
12音→4音 1/3に折りたたまれている。
『KY』にも至っては、「空気=Kが、読めない=Y」
8音→2音 1/4までに折りたたまれている。
短縮語によって、長い意味合いが濃縮されればされるほど効率がよくなる。
そういえば、私が今まで会ってきた何人もの『なかじま』さん、この『なかじま』さんが、苗字通りに『なかじま』と呼ばれることは一度もなかった。
100%『なかじ』と呼ばれていた。
次に、『ヤバい』『マウントをとる』というような今までにない絶妙なニュアンスを的確に表すような言葉。
これらは、TVのバラエティー番組で知って定着するようになった印象がある。
『ヤバい』
→本来の「ヤバい」がまずい、危険に対して、その危うさが個性として尖っているすごさに転じた微妙なニュアンスの言葉。
すごさで感動により揺さぶられることのドキドキ感を合わせて表現しているようにも感じる。
『マウントをとる』
→本来は格闘技で使われた言葉だと思う。
それを、実際の人間の、人より優れていなければならない、裕福でなければならない、充実していなければならない、といった精神的な現れの表現に転用した。
実際に人間にある人を支配したいという衝動、そんな人に出会って、マウントを取られたならば、身動きができなくなるような苦痛を味わう、そんな様。
隠喩(メタファー)が見事な言葉だ。
この新概念がみんなに認識されることで、こういうタイプが明確になり、人は警戒するようになる。
人間の智慧は素晴らしいものだと思う。
これからも、人間のコミュニケーションはより深くなり、また、効率はずーっと上がり続けるのだろう。
造ってみた
ここから、今まで出会ってきた世の中のいろんな大人を新造語にしてみようと思う。
敢えて、この大人を還暦を迎えた社会のプレイヤーとイメージしてみたい。
そこに、人が干支に還るまでの60年間で学んだ集大成があるだろうか?
まずは、キッカケになった言葉から・・・
●Sunbather (サンバサー)
日光浴愛好家の大人のこと。
ここに私は含まれる。
サウナーがあるなら、これもあってもいいだろう。
けど日光はタダだから商売になりにくい。
したがってサウナーのようなアイコンをつくる必然性がない。
だから、誰からも必要とされない。
●Ingest-Sticker(インゲストストイッカー)
身体に入れる(摂取する)ものに必要なまでにこだわり、食べ物が限定される大人。
無農薬のものでないと野菜は食べれない。
添加物のものは一切食べない。
魚の放射能が気になる。
肉屋の存在自体をよく思っていないベジタリアンなども含まれる。
私は比較的ここに近い。
ベジタリアンでもなく70点でいいと思っているが・・・。
この人に食の話をフルと長くなるから要注意。
●Food-carelesser(フードケアレッサー)
食事は、毎日マックでも問題なく、高カロリーでも高脂肪でも、超加工品でも、気にせずに食べる。
好きなものはとにかくたくさん食べる。
食べ物に信じられないくらいに無頓着な大人。
一緒に食事する頻度は下げた方がいい。
●Wag-the-doger(ワグザドッガー)
これは以前「健康のためなら死んでもいい!」と言って仲間から突っ込まれたことがある私のことだ。
まさに、本末転倒な大人だ。
少し距離を置いた方がいい。
●Worst-tipsster(ワーストティップスター)
最悪なことの予想する大人。
これまでにこの予想屋2人に会ったことがある。
2人になにゆえに最悪を予想するのか聞いてみたことがある。
似たような回答が返ってきた。
「それが起った時に、冷静に対処できるからで、そのために準備しておくのだ」と。
しかし私は思った。
「その最悪なことの多くは起こらない。」
そして、
「今準備しても、それが起こった未来では、対処方法が変わるかもしれない。」
この2人のうち、1人は私の父だ。
最悪なことを起きたことをシミュレーションしてビクビクくよくよしていた印象が残っている。
●Terrible-habiter(テレブルハビッター)
『最悪だ!』が口癖な大人。
私もゴルフをしている時に、打った先のボールの位置をみて、
「うわ!最悪だ!」
と言ってしまうことがたまにあった。
そのうちに、ボールがフェアウェイやグリーンといったいいところにない時に、必ずと言っていいほど「最悪!」という人に出会った。
そういう大人が、こちらも2人いた。
「最悪」は言葉どおりでは最も悪い状況のことだが、それがなぜかその人たちには毎回起こる。笑
どうも「こんにちは」と変わらない、条件反射になっているようだ。
私は、その「最悪!」に嫌気が指して、まずは、自分が「最悪!」を発することを止めた。
そして、その2人に「毎回、最悪ってことないっしょ!」と突っ込んでみた。
そうすると、1人が「最悪」という言葉を発することをキッパリと止めた。
もう1人は変わらなかった。
目の前に現れる現象を「最悪」と概念付けることも別のものに概念付けることも可能で、世の中は見方(概念付け)次第で変わるのだ。
と、このテレブルハビッターの話を理解できるようになったのは、それから随分経ってからのことだ。
● Prouder(プラウダー)
自慢したい大人。
自分がしっかりした人間であることを示したい大人。
ここまでの置かれた環境によって、未だに承認欲求が高いのかもしれない。
●Never-stop-talker(ネバストップトーカー N.S.T.)
自分の話が止まらない大人。
この大人は聞き手に一切の興味がない。
独り言になってなければいい。
だから、聞き手の話を、一切聞かない。
なんなら、聞き手の合いの手すらも、さえぎって話続ける。
このケースは結構多い。
他に話せる相手がいないのかもしれない。
自分もそうなっていないか、時々客観視が必要だ。
● Heroicer(ヒーロイッカー)
自分の過去の武勇伝をずーっと話している大人。
面白い話が多いが、あまり長くなると、もうイッカーになる。
●Enrichment Show-offer(エンリッチメントショーオファー E.S.O.)
自分の今の充実ぶりをひけらかしたい大人。
SNSと親和性が高い。
●Always-mount-taker(オールウェイズマウントテイカー A.M.T.)
常時隙間なく、自分をよさを見せつけ、人を蔑み、人を支配する大人。
自分が意識していないがそれが癖になってしまっている。
人より優れている自分を確認し続けることが幸せなのである。
「優れている」の基準は、学歴、年収、肩書、住んでいる家、持っている車、マンションの階数など表面的な見えやすいものになっている。
付き合わなくて済むならば、付き合わないにこしたことはない。
●Too-humbler (トゥーハンブラー)
謙虚過ぎる大人。
相手に何かを合わせることしかしない。
自分の意見をもたない、言わない。
こんな人がいる場合、可能性は2つ。
①あなたがその人の弱みを握っている。
②その人があなたに何かを売ろうとしている。
●Humblebrager(ハンブルブラガー)
謙虚と見せかけて実は自慢をする大人。
知らなかったがHumblebragという言葉は既にできていた。
●Hard-recommender(ハードレコメンダー)
自分のお薦めをグイグイ押し付けてくる大人。
善かれと思って・・・という人もいるのだろうが、自分にとって良かったものが同様に人にとっても良いと思い込んで疑わない人がいる。
人には経験差、温度差、個体差がある。
こんな人に出会ったら、キッパリと断った方がいい。
●No-sleeping-insisters(ノースリーピングインシスターズ N.S.I.)
「私の方が眠っていない」と翌朝に主張し合う大人。
これは私の両親の話。
眠っていない自慢は何のために繰り広げられるのか?
ぐっすり眠ってしまうと眠れていない相手に嫉まれる。
主張しないと昼間の居眠りを相手に突っ込まれる。
主張しないと家の仕事をあまりしないことの言い訳にならない。
嫉妬と嫉みがうごめく社会ではあるが、ここにもあったのか・・・。
親子であろうと、兄弟であろうと、夫婦であろうと、貧しくて、油断も隙も無い時代を親は生きてきたからなのかもしれない。
●Regreter(レグレッター)
過去を後悔している大人。
忘れてしまえばいいのに・・・そんな簡単なことではないのだろう。
苦しそうだ。
ずーっと苦しむしか方法はないのだろうか?
●Full-lover(フルラバー)
愛に溢れていて、とにかく何かに愛を注ぎたい大人。
高齢者の方が、信じられないくらいにオレオレ詐欺に会う理由は、注ぎ先がなくなった溢れる愛の注ぎ先が、突然浮上することによるもの、と聞いたことがある。
●Frighteneder(フライテンダー)
未来に起こるであろう恐怖におびえる大人。
生き延びる上で心配性も必要な才能だが、しんどいだろうなあ。
●World(Earth)-worrieder(ワールド、アースウォーリダー)
世の中(地球)を憂えている大人。
自然災害、戦争、核兵器、貧富の差、分断、人口増、
地球温暖化、ポールシフトなど。
上げればキリがないが。
無視できればいいのだが、無視して生きることは難しいことなのかもしれない。
●Throughout-complainer(スロートアウトコンプレイナー)
世の中に、政治にずっと文句を言っている大人。
今日はいい天気だねえ、と同じく社交辞令なのかもしれない。
●Only-CommonSenser(オンリーコモンセンサー)
常識的なことしか言わない大人。
教科書通りで無難。
自分の意見がない、出さないから、個人の特徴を知りえない。
トークが発展しない。
一緒に飲んでいて、酒が不味いから、一緒に飲まない方がいい。
●Frequent-punser(フリークエントパンサー)
10秒に1回ダジャレを言う大人。
酒場で1回だけ出会ったことがある。
何かの言葉をすべて似通った音の別の言葉に変換しては笑う。
まともな会話にならない。
似通った音の言葉を探す動きは、老化防止の脳トレのために無意識にやっている、という話を聞く。
シナプスをつなげようとしている。
最初はインパクトがあるが、だんだんしんどくなった。
パンサーが疲れるまで待つしかない。
●Nosyer(ノイズィアー)
隙あらばおせっかいする大人。
私は自分に精一杯な方で、自分にはできない行為だ。
羨ましさもなくはない。
●Purposeful-person(パーパスフルパーソン)
目的がハッキリしていてそれをやりとげようとする大人。
爪の垢でも煎じたい人だ。
●Perfect-scheduler(パーフェクトスケジューラー)
自分のスケジュールを完璧に埋め尽くさないと気がすまない大人。
●Somehow-person(サムハウパーソン)
楽しみも目的も明確でなく、なんとなく生きている大人。
●Hobbies-lover(ホビーズラバー)
趣味を楽しむ大人。
達成したい目的がない場合、趣味が生きる目的に変わる。
死ぬまでずっと必要なことだと思う。
●Satisfieder(サティスファイダー)
自分の人生に満足していきている大人。
皆さんもこんなプレイヤーに会ったことがあるのではないだろうか?
でも、ここに上げたプレイヤーは、社会のほんの一部にすぎないだろう。
どれも、それぞれがよりよく生きるために工夫してきたプレイスタイルのはずだ。
多様なプレイヤーを愛でる
工夫してきた末のプレイスタイルがこれだけ分かれていることは非常に面白い。
そして、何とも言えず、人がいとおしい。
多くのプレイヤーが、自分のプレイスタイルこそが普通だ、常識的だと思っているが、周りからそうは見えないところがまた面白い。
自分こそがよいと思える気持ちが、生きるエネルギーになっている。
人は別のプレイヤーを真似ることもできるし、反面教師として避けることもできる。
ずーっと同じプレイスタイルを守り続けることもあるし、経験しながら、よりよいプレイスタイルを探し変えて生きることもできる。
意外だったのは、新造語=プレイヤー名ができたことで、ひとつの概念として、少し距離をおいて眺めることができる感覚になったことだ。
人間からキャラとして分離して、それを愛でることができるような。
自分のプレイスタイルも距離をとることによって、自分というものを客観視することができるようになる。
自分のプレイスタイルに名前を付けることで、自分を愛でることにつながる。
我々はどんなプレイスタイルを選択して生きていくのだろうか?
そこに大人の見本はあるのだろうか?
ひとつ選ぶならば、サティスファイダーでありたいが、これはなんだか曖昧で難しいプレイスタイルのようだ。
どんなトレーニングメニューをこなせばたどり着くものなのか?笑
特定の型(プレイスタイル)に落ち着いて人生を終える大人たち
最後に、このつたない造語づくりを通して、思ったことをいくつか上げてみる。
新しいものをつくる時にルールは不要だということだ。
物事は時に、規則性なく五月雨式にぐしゃぐしゃしながら進んでいく。
批判を恐れずに、やってしまうことだ。
新造語は、高校生あたりから生まれる印象が強い。
型にはまることが窮屈な若者。
これに対して年を重ねた大人は、知らず知らずに型にはまろうとして生きるようになる。
型に上手くはまることが能力が高い、という評価になるケースも多いから、型にうまくはまることが人生の目的になる。
そんなこんなで、ずーっと同じ型(プレイスタイル)で生きている人も多い。
ずっと「最悪だ!」と言い続けて生きるように・・・。
「いい大人がわがままなことを!」などと、うざがられ、「大人の型に入るのが常識でしょ。」という周りからの同調圧力も始まる。
いい大人はまた、すでにあるものを使って楽に生きる、という型にはまる。
あるものを使うのではなく、欲しいものを自分で生み出すこともできるはずなのだが。
この2つの生き方の精神は、なんと違うことか!
特定の型にはまってしっかりした大人でいる時間が長いと柔軟性が失われる。
何事も、動かさないと固まるのが摂理。
ルール無視、型無視、常識無視、欲しいものは欲しい、これらの柔軟性をいくつになってもずーっと持ち合わせていたいものだ。
大人が陥りやすい落とし穴はいくらでもあるのだが、残念ながら、大人の見本の型などはどこにもないのだ。
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【著者プロフィール】
RYO SASAKI
型にはまってきた自分を自分で奮い立たせるような内容でした。汗。
上記の新造語がひとつでもメジャーになることを願っています。笑。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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