RYO SASAKI

目的不明の好奇心が出てきたら、とりあえず満たしてあげることにする。

タナカ シンゴ

目的不明の好奇心が出てきたら、とりあえず満たしてあげることにする。

最近、自分の知識がなんと役に立たないんだろう!と思ったことがある。

この夏、ビールをタンマリ飲んでいた時期のこと、私にふとこんな思いが浮かんだ。

「自分は、痛風にならないんだろうか?」

ビールはプリン体が多くて通風の一番の敵と言われる。

続けて、そう言えば「女性が痛風になる」ってあまり聞いたことがないが、そこに何か理由があるんだろうか?

という疑問が浮かんだ。

そこで調べてみると、女性ホルモンに尿酸の排出を促す働きがあるらしい。

通風の原因は尿酸が排出できずに体に留まることだから、女性は(平均的に)痛風になりづらいのだ。

少し前に出会った男性とビールの話になって、その男性が痛風だからビールは飲まない、と話すので、ここぞとばかりにこの話をしてみたのだが・・・

途端にその場が固まってしまった。

今思えば、その男性にとって何も有益な情報がなかったわけで・・・。

ここまで男性でやってきて、痛風だからビールを控えている人に女性ホルモンの話をしたところで、何にもならない。

しばらく間があって、この男性は、

「でも、母親がいなくなって母親役をやらなければならなくなった父親は、女性っぽくなるらしいからね。」

と私の話に寄り添うように、その先のひとつの可能性を返してくれたのだ。

なんと優しくて、一方の私と言えばなんとしようもないんだろうか・・・。

この話をしなければ良かった・・せめてするならば、「女性ホルモンを打ったらどうですか・・・」そこまでの提案をしなければならなかったのでなかっただろうか・・・。

でも提案したところで、成功例を示せるわけでもなく、何とも無責任な話になる。

・・・とにかく話したことを後悔したのだ。

それでも何かの足しにならないだろうか?

そう思って無理やり頭を回転させてみると、私はこの年になっても電動シェイバーというものを必要とせず、週一回程度剃刀で鼻の下の髭を剃るだけで済んでいることに気が付いた。

私は女性ホルモンが多い方の男性(男性にも少し女性ホルモンがある)だから、痛風にならないのではないだろうか?

ずいぶん都合のいい話である。

でも、髭の濃さは女性ホルモンというよりは、男性ホルモンの量で決まるからそんなことはやっぱりないかあ・・・。

などといろいろあがいてはみたものの、私自身にとっての役に立つ情報となることもなく、不発に終わってしまった。

それでも女性が尿酸を排出しやすいようにできているのには、子を元気に産むため、だとか、それなりの狙いがあるはずだ!、そんな思いが私をうずかせるのだがそれ以上先に進まないままだ。

さて、私のこんなような役に立たない、目的不明の好奇心とは何故のものなんだろうか?

目的不明とは、周りから知識があっていいように見られたい、といった見栄とか、商売で有利になる、といった経済合理性とか、いう計算が立っていないもので、自分でも目的が説明できないもの、である。

今回は、私のこの妙な好奇心についての話になる。

なぜか欲しくなった本

ずいぶん毛色の違う話に飛んでしまうのだが、最近珍しく、急に読みたくなった本があった。

グローバリストの世界覇権史〜トップ1%が仕掛けるグレートゲーム〜

500ページ超えの本で、根性なしの自分だから普通は躊躇するはずなのだが、今回はその関門はあっさりと通過する・・・。

この本は以前に読んだビルダーバーグ倶楽部 : 世界を支配する陰のグローバル政府の著者のダニエル・エスチューリン氏が書いたものだから、読んだとしても不安が募るだけで自分の生活を何ひとつ変えられるものではないのだろう。

以前ビルダーバーグ倶楽部を読んだ時に確かそうだったはずだから、そんな風にも感じたのだが、それでも渇望が止まる様子がない。

読みたい理由もハッキリしないまま、中身を調べることもせずに、しかたなく読むことになった。

本の概要を非常に簡単に言うすると、1950年代から存在している超国家的世界政府の動きがある。(毎年開いている会議をビルダーバーグ会議と呼ぶ)

これらの国を超えたものグローバルプロジェクトと呼ぶとすると、金融経済もそれに当たる(国をまたいでお金でつながっているし、政府が国民に借金するという構造も一緒)わけなのだが、その金融経済というグローバルプロジェクトが既に手詰まっている、というものだ。

やっぱり不安が募るだけでどうしようもないものだった。

一部を引用する。

1968年のビルダーバーグ会議にて『ワン・ワールド・カンパニー』と称する機構の構築を目指すプロジェクトが発表される。

国民国家は時代遅れの原始的な政府の形態である。

国家という機構や国民及び福祉という概念は、世界帝国を築き上げる上で最大の障壁である。

1981~2019年の間に印刷された数兆ドルを除けば、この間のアメリカ経済の成長は事実上ゼロパーセントである。

その他には、ニクソン大統領の時に、金と貨幣の紐づけという制度をなくして政府がいくらでも貨幣を刷ることができるようになったことなど、これまでの金融に関する制度変更とその思惑が時系列で紹介されている。

想定していない発見

不安が募る中ではえるが、目を引いたものもあったので上げてみる。

人間を(国を、地域を)統一するために、あるいは支配するためには共通する価値体系が必要である。

私が感じたものを一言にまとめるとこんな感じになるだろうか。

ちなみに、統一されることで世の中は安定するイメージがあるが、統一には支配がつきものである。

統一する、は聞こえがいいが、支配するとなると途端にイメージが変わる。

そしてまた、統一することはある人にとっては正義であるが、ある人にとっては悪にもなる。

それはともかくとして、なるほど、人間は古くは宗教によって、統一あるいは支配を実現しようとしてきたのだ。

キリスト教であり、イスラム教であり、仏教であり・・・。

宗教は平和に生きるための方法として、人々に伝わった面もあるのだろうが、統一のためのツールでもあった。

そういう意味で、宗教は一つの価値体系と言える。

そして、高利貸しが旧約聖書で禁止されているという矛盾が生じると今度は、プラグマティズムを持ち出して高利貸し禁止について曖昧にする。

あるいは同性婚は聖書が禁じている堕落である、として拒否する人も出るし、その逆の人も出る。

人間は価値体系を使って巧く統治をコントロールしてきたのだろう。

最近のポリティカルコレクトネスという言葉も価値体系のひとつである。

※ポリコレ=人種や性別、年齢、宗教、国籍、障がいなどに関する差別的な表現をなくそうとする考え方

そしてまた、宗教だけでなく、国というローカルエリアにはそのエリア特有の価値体系が根付いている。

そのローカルエリアの価値体系は、ネイティブな大人からの口頭継承や学校の教科書によって出来上がるものなのだろう。

ということは、価値体系を変えたいならばまずは教科書から、ということになる。

いずれにせよ、これらを同じ価値体系のテーブルに同列に並べるところが、何とも新鮮だった。

そうしてみると、世界政府が世界統一のために各国の価値観を凌駕する世界共通の価値体系を提示したい、そう思うのは当然のことだ、とも思う。

これまで、数々の価値体系のせめぎあいが起こってきた、統一やら平和やらのために・・

そして、そのことは現在の目の前のひとりひとりの日々のやりとりにも頻繁に見られるものだ。

多くの人に統一しよう(大きい統一から小さい統一まで、笑)という思いがある。

この価値体系のせめぎあいというものは枯れることなく今後も続いていくのだろう、とみて間違いない。

さて、この本からはこのような想定外の発見もあったのだが、それは、それを知って一定の満足感があった後、直ぐ様に、「で、どうするの」?という疑問が生まれてくるような類いのもののようで・・・。

何とか日常生活にはつながったものの、だからといって今日から人とのコミュニケーションが変わるとか、何かの役に立つものだとは到底思えない。

それでも興味が湧くというのは、何とも不思議なものだ。

目的不明の好奇心を満たす

世界政府に関して思ったことをひとつ付け加えておく。

はじめに繰り返し言っておくが、思ったところでこれもまた今日からの生活の何の役にも立たないものだ。

各国の権力者ならば・・・富と名声とを手に入れている人ならば・・・そして責任も果たしている人ならば・・・その次にその人の正義から、あるいはその人の欲から、『世界統一をしたい』と思うのは普通にあり得ることだと思うのだ。

だから、世界統一の動きはこれから100年?以上かかって難航しながら続いていくのだろうとも思う。

難航する理由は、世界統一による犠牲をどこまで出していいのか?というそれこそ価値観の違いによるものなのだろう。

ーーーーーーーー

さて、私の目的不明の好奇心についていろいろ書いてきて、ここで思ったのは、私が今回この本を選んだのは、怖いもの見たさという言葉が合っているのかもしれない、ということだ。

では、なぜ人が怖いものを見たいのかというと、いくつかの理由があって、ドキドキしてアドレナリンを出して興奮したい、とか、危機に対しての警報が発動している、とか、モヤモヤをスッキリさせたい、などというものがあるらしい。

この私の目的不明の好奇心は、体から発する退屈を知らせるサインもしくは危機を知らせるサインなのだろうか?

もし、体からのサインならば、それは日々の生活が何も変わらないからどうのこうのと言うのは筋違いになる。

ただただ刹那的にその好奇心を満たせばいいのかもしれない。

それは、眠たい、とか、あれが食べたい、などという生存の欲求の延長にある、と言ったらいいのか、ジェットコースターに乗りたいというのと同列と言ったらいいのか・・・。

それは、知識を増やすための、というよりは、むしろストレスを発散するための好奇心。

そんな風に捉えてみると好奇心の抑制は体によくないもので、唐突に目的不明の好奇心がやってきても、無条件に満たしてあげた方がいい、わがままにしてあげていいと感じるのだ。

※これは以前書いた『細胞の声を聴く』という言葉に近い感覚だ。

さて、そうしてみると、冒頭の私の女性ホルモンへの好奇心はなんだったのか?

ひょっとしたら、通風への警報が体から出されたのかもしれない。

これが虫の知らせというもの!?汗。笑。

ビール好きからしたら、何ともイヤーなことに気づいてしまったが、ここはたかをくくらずに、この体からのサイン?も大切にしないとなるまい。

何とも自信がないが・・・。

UnsplashAldin Nasrunが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

これまでに自分が抑制してきた好奇心を探ってみたところ、自分の中には世の中の不思議、そこに対する疑問が溜まっているようで、ひとつひとつ当座を満たしていきたいと思ってます。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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