今週もまた自分の間違いの発見を喜んでみよう!~合理性の落とし穴?~
先週「自分の間違いの発見を楽しんで生きる。」という記事を書いた。
本当にそんなことができるのだろうか?
やはりこれも数をこなして習慣化する必要があるだろうと思ったりもする。
そんなことで今回は、大げさではあるが、そのトレーニングの第一弾とでも言ってみようか・・・。
ちなみに、この間違いについては少し幅広く捉えたいと思うところがある。
何か間違いが現象面にトラブルとして現れたもののほかに、この先にトラブルになりうる間違い予備軍と言われるようなものを加えたいのだ。
トラブルとして現象に現れる前につぶしておく、それに越したことはないだろう。
現象として現れる現れないに関わらず、トラブルの原因となる「無知」を筆頭として、それ以外にも注意不足、思慮不足、配慮不足などを発見していくことにしようと思う。
更には注意不足、思慮不足、配慮不足の原因になる固定観念も発見して喜んでみようと思うのだ。
さて、今週の間違いの発見は、どうだっただろうか?
案の定、間違いは簡単に発見することができた。笑。
それは「農山漁村の共同体について」の講演を聴いたことがキッカケだった。
理系脳の癖!?
こちらの講演は、どうしたら人不足の農山漁村に若い人が移住してうまくやっていけるのか?というテーマで開催された。
都会の人が、地方の農山漁村に移住した時に地元の人と人間関係で起こるトラブルを題材にしている。
講師は、哲学者の内山節さんとソーシャルワーカーの向谷地生良さん。
今回は内山先生の話からピックアップする。
印象的だったのは、
「農山漁村の共同体といっても一律なものではなくてそれぞれである。」
という言葉だった。
それは、移住者のトラブルを考える時に、農山漁村の共同体というものがどういうものかを知らないと対処方法が見当もつかない、そんな風に私の思考がまわり出して、たぶんこんな感じ?という共同体の汎用モデルを思い浮かべようとした矢先だった。
思えばそのモデルなるものは、これまで農山漁村から学んだもので(移住経験もないから非常に限定的なものでもある)汎用モデル的なものをイメージしようとしていた。
そこには、これまで書籍や講演で学んで理想モデルとして勝手に描いていた先達(昔の時代)の共同体のイメージも加わっていた。
そこに続けて、内山先生の言葉が飛び込んできた。
「江戸時代の農山漁村の共同体と明治時代の農山漁村の共同体でも違うものなのです。」
こちらは過去に聞いたことがあったことを思い出した。
明治時代に政府の方針が大きく変わったから・・・。
私は何を共同体の汎用モデルにしていこうとしていたのだろうか?
私の思考は未だに、正解をしっかり学び、そこに誰よりもショートカットしてたどりつく、という合理性がこびりついたままなのではないか?
これは理系の思考の癖に起因しているのではないだろうか?
理想パターンを作る、そして、物事をパターン認識で捉えて、それを横に展開しようとするような感覚・・・。
どうも、これが手間暇を省けていいことだと思っている節がある。
そんな思いがもたげてきた。
そして、そのバーチャルなモデルに、サステナブルに不可欠である農山漁村の共同体を重ねて、都会の喧噪?競争?の煩わしさの救いを求めているのではないだろうか?
その理想の共同体に、農山漁村の密接な人間関係の煩わしさをなくす、という欲望を更に上乗せしようとしてはいないだろうか?
私は、どうもこんな風にして、あーでもないこーでもないと理想を求めている。
そんな都合の良いところがあるのはぬぐい切れないのだろう。
人の価値観を知るということ
講演は、農山漁村の人々には、金儲けを目的にしている人、自分のために活動する人は、好まれないという話に展開した。
そこで印象に残ったのは、
「農山漁村の人々の大切にしていることを知る」
という言葉だった。
当たり前のことに聞こえるのだが、これが簡単なことではないのだと感じた。
農山漁村の人々が大切にしているのは、自然であったり、祭りであったり、人間関係であったり、田植えであったり・・・いろいろなものが想像されるわけなのだが・・・。
自然について言えば、どの程度のことをすると自然破壊となるのか、程度がわからない。
人間は多かれ少なかれ、自然を破壊して生きているものだ。
どこからは、して欲しくないことなのか?
祭りで言えば、祭りを大切にしているのはなぜなのか?
大切にしているということをどんな態度で示せばいいのか?
これらの大切にしていることは、不文律であることもあるのだろうから、明確な言葉として知ることができないところも多いのだろう。
資料にまとまっているものでもなくて、見えにくいものだ。
そして、新参者に簡単に教えてはくれない。
村の人々は、最初にどんな都会者が入ってきたのか、警戒する、あるいは品定めする、ものだろう。
この感覚は、農山漁村を大切にする人々であれば当然のことなのだろうと思う。
こうしてみると、農山漁村の価値観を知るには、長い時間をかけて価値観を体感していく必要がある。
そしてまた、その価値観に共感する必要もあって、それが態度に現れてやっと信頼してもらえて、口を割っていただけるようになるのだろうと思う。
合理性の落とし穴
こんなことを想像してみよう。
私が、農山村に移住したとしたら?
貢献できることは何だろうか?
やはり思い浮かぶことは、これまで都会の企業で培った利益最大化ということになるのかもしれない。
村の存続のために村の収支を考えて、外にお金を落とさない(内需を拡大する)ことなどを重視したかったりする。
「農山漁村には若い人や合理的に考えられる人が少ない。」
などと、偉そうにこれまでに学んだパターン認識をもって、何とか貢献しようと鼻息が荒くなるはずだ。
非合理的な農山漁村で私の学んだ合理性を活かそうとすることが、私のアイデンティティーになるわけだ。
んっ!?
これは、金儲けを目的にしている人であり、自分のために活動する人、まさしく村の人々に好まれない人なのではないだろうか?
金回りは算数だから見えるしわかりやすい。
そこから見ると、村の人々が大切にしていることははっきりしないし、わかりづらいし、そしてまた、非合理的に見えてしまうのだろう。
こんなんでは、いくら村の存続のためだ!私自身の目的のためではない!などと訴えたとしても信頼してもらえないだろう。
こうして、移住先における私の合理性は、合理的な結果を産まない、という残念な結果になってしまうのだ・・・。汗。
合理性とは何かを再考しないとなるまい。
すべての人間関係にあてはまる
今回は農山漁村への移住の話から始まったのだが、この話はすべての人間関係に通ずるものだと感じる。
人はそれぞれに異なる価値観をもつ。
たくさんの情報が回る社会であれば、なおさら価値観は異なる。
そしてその中に本人も認識していないもの、言葉にできない不文律があるのは、何も農山漁村の人々に限ったことではない。
(農山漁村の価値観は多少独特なものがあるのだろうが・・・)
私の場合、日々の人間関係についても、パターン認識にしてショートカットして進めようとしているところがあるのだ。
人の価値観は様々だからそのパターン認識にはそもそも無理がある。
良好な関係を築くためには、この認識をした上で、この見えない価値観を手間暇を惜しまずに知る必要があるのだ。
私ほどではないにしても、社会全体も手間暇を惜しんでしまう傾向にあるのではないだろうか?
家族と友達と仕事のパートナーとでもコスパ、タイパ(タイムパフォーマンス)に急き立てられる。
相手のことを短期間でわかったことにしないとならないから、表面的なところでやり過ごす。
あるいはぶつかってトラブルが絶えない。
トラブルが表面化しないにしても、ストレスが内に蓄積されてしまってもいるのだろう。
思うに、見えない価値観を知ること、そこに共感し合うことを抜きにして、幸せは語れないなのではないか?
そんな風にすら思えてくるのだった。
さて、私の場合、特にパターン認識によるショートカットはいい加減にしないとこの先つまずくことだろう。
この自分の合理性についてはこれまでも何度か疑ってきたのだが、今回の一件で、もう一度ダメ出しができて良かったと思える。
パターン認識が無意味だとは言わないが、人は過去の成功、あるいは自分の得意なことを過剰に愛して自分を正当化したいものだ。笑。
私は、私がうまくやってきたと思ってるパターン認識に対して、一回釘を刺しておくのがよいのだろう。
内山先生は、農山漁村の価値観を理解するには最低10年は必要だと言った。
どうやら私の合理性はまた、価値観を理解するために必要な時間をずいぶん少なく見積もってもいたようだ。
繰り返し言い聞かせている言葉だが、拙速に正解を求めてはならない。
急き立てられても解決しない。
じっくり相手と向き合って、いろいろな価値観を理解していきたい。
そう、生きている間に、他人の価値観を理解できるようになろう!なんて不届きなことを考えてはならないのだ。笑。
逆に言えば他人と向き合うということはそれだけ複雑で興味深いものなのだ。
人生、できないことを追いかけてはすり減るだけ。
着実にできることをしていこう。
それは、まだ見えぬ他の人の価値観に対して、そしてまた、私自身の日々の間違いに対して、常に好奇心をもってそれらの発見を味わっていくことだ。
今回、この間違いを発見したことが、「転ばぬ先の杖」として、移住した時に少しは嫌われる要素が減るであろうことを、そしてこれからのすべての人間関係を少しでも良好にできるであろうことを、今日、予祝(事が起こる前に喜んで)して終えることにしよう。
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
内山先生にはいつも私の固定観念に気づかされます。
明日はどんな間違いに気づけるでしょうか?
楽しみです。
と言っておいてまだまだ「楽しみ」は無理してるような・・・。汗。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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