時代は周期を終えて反転が始まる。私は自分と向き合うのみ。

Timelessプロジェクト(Timeless=男性アイドルグループ)という企画が、大変人気だったと聞いた。
この企画は、Timelessの追加メンバーオーディションの様子をドキュメンタリーで見せたものだ。
現メンバー自らが、より良いグループを作るために、応募者と本気で向き合っている姿が感動を呼ぶんだそうだ。
アイドルが、なりふり構わずに、泣き、笑い、怒る、その剥き出しの姿をそのまま見せる。
昔のアイドルに思いを馳せると、当時のアイドルは裏のことには触れずに、表の理想像だけを見せられていたんだと今は感じる。
そうそう、「アイドルはトイレに行かない」なんてことまでまことしやかに言われたりもしたんだった。笑。
そんな理想の人がこの世の中に存在するんだ!
そう思い込んで、いわゆる幻想をみんなで追いかけていた。
今、Timelessのことを知ると、(Timelessに限らず)アイドルの見方、魅せ方も時代とともにずいぶん変わったんだ、とあらためて感じる。
理想に嫌気が指す!?
そもそもアイドルの語源が偶像だから、アイドルはこの美化された偶像として崇拝されるものだったのだろう。
ただ、「今の人」はアイドルをより近くに感じたい、と思うようになった。
これは、美化されたもの、取り繕ったもの、嘘などを見抜くようにもなり、人の本音を求めるようになったことによるのではないだろうか?
今の時代はその情報量が半端なくて、裏にあるホントをたくさん知れるようになってきた。
隠し立てができなくなっているのだ。
若者が触れる情報の中には、理想を求めた親の生き方が望ましいものとして映らなかったこともあるのかもしれない。
情報量がまだ少なかった私の時代は、純粋だった、言い方を変えると無知だったので、理想という幻想を追いかけられたんだろう。
「今の人」は、現実を観させられるから、冷静に眺めざるを得ない面があるようにも思う。
生物は環境に適応しようとするものだから、当然のことだ。
環境が当時と異なるから私の頃の若者と同じに片付けられるわけがない。
ところで、先ほどから「今の人」という言葉を使っているが、私だって「今の人」のひとり。笑。
だから私も若者を追いかけるように、美化したものに懐疑的になり、本音を求めるようになる。
これは時代に適応しようとしはじめている動きなのかもしれない。
お笑い芸人の中には、いわゆる「天然」の人がいるが、計算する芸人よりも「天然」の人の方が圧倒的に笑えることがままある。
作為のない素からのもので笑えるのは、今のアイドルの素に感動するのと通ずるように思う。
横道に逸れてしまったが、本当のことがわかってくると、美化されたもの、取り繕ったもの、嘘が鮮明になる。
それで嫌気が差して素を求めるように反転し始めるものなのかもしれない。
ちなみに、旧アイドルの理想像にドップリはまる姿は、どこかの何かの宗教にハマるのと似ているなあ、と思ったりもする。
これぞまさしく美化教の偶像崇拝。
時代の変化は、美化教からの棄教という形で起こっているとも言えるのかもしない。
反転の兆し!?
ゴルフの試合で、何度か見かけたシーンがある。
相手のパットに対して、入れ入れとジェスチャーして応援するプレイヤー。
そのパットが入ると自分は負けてしまうというのに・・・。
これは、勝つためのひとつの戦略として世に広まったものらしい。
「入るな、入るな」と祈った時に、入ってしまうと心理的なダメージが大きいから、というもの。
競争相手の成功を願うというのはそれこそ美化された偉人の所業のようで、初めて耳にした時には違和感しかなかった。
それは、負けると死ぬ、という生存競争をやってきたDNAがスポーツという競争をその延長として惰性で捉えているはずだからだ。
生き死にがかかった戦いで相手の勝ちは即自分の死となる。
そういう意味で、競争を生き死にから切り離す。
競争ではなくて、自分のベストを尽くすゲームへの転換とでも言おうか。
本当に転換されたならば、それもまた時代の大きな反転と言えるではないか?そんな風に感じる。
惰性と言えば昭和の中盤世代は、食うために必死にやってきた親の世代の意志を引き継ぎ、ハングリーモチベーションという惰性でどこまでも必死に稼ごうとしてきたように感じる。
生き死にへの影響は薄れているはずだが、今度は豊かさ?なるものに延長させて更にどこまでも「金(かね)」を追いかけるようになった。
こうして進んできた現代のことを、「金(かね)」という価値観でつながった新興宗教、と誰かが揶揄していた。
このような表現が出てくるということがまた、時代が反転していく兆しなのかもしれないと思う。
「科学が神を殺した」と言われたように、この先に「◯◯が金(かね)教を破壊した」と言われる時代がやってくるのだろうか?
自分と向き合う
時代の反転の兆しを感じる最近なのだが、あくまでも私にとってその気づきが今だっただけで、もっと早い段階でそれに気づいている人は、たくさんいるんだろう。
また、兆しを感じたとしてもその反転が全体に行き渡るのには、数百年、数千年単位の月日が必要なものだとも思う。
だから、一生のうちに体感できることは滅多になくて、感じられるのは常に兆しだけということになるはずだ。
だから、そんな大きな流れは気にせずに、自分がその兆しの方が心地よいと感じたならば、個人的にそれを取り入れて進むのみである。
自分を美化することを減らして、できるだけ剥き出しにして、また、競争もお遊び程度に捉えて、お金への執着もほどほどにして・・・・と言ったところだ。
そして、社会に反転前と反転後の2つのタイプが存在することをただただ受け止めることだ。
さて、ここまでの私を振り返ってみると、親の宗教、学校教育という宗教から始まって、仏教、神道、キリスト教というまさに宗教、更には法律という宗教、美化教などに軽く足を突っ込みながら、特に大人になってから最も長く金(かね)教に深入りして生きてきたと言えなくもない。笑。
それしか見えなくなると危険なイメージがある「宗教」なので、皮肉を込めて使ってみた。
その言葉が不快に思うようならば、「教え」あるいは「信念」と言い換えてもいいだろう。
ここまで正解が外にあるとして、外の「教え」を自分に取り入れてきたわけなのだが、今これまでの外から取り入れた「教え」は自分の中で周期を迎え、反転しようとしているように感じる。
ずいぶん大げさな言い方だ。汗笑。
外から輸入してきたものを今度は自分の中で創る。
結局の拠り所は自分でしかない。
法律のことで言うと、法律によって罰則があるから罰則事項をやらないのではなくて、自分がやりたくないから、その罰則事項をみんながやらない社会に住みたいから、やらないと自ら決めるということだ。
法律に縛られるのではなくて、自らの軸で決める。
法律という宗教にドップリと浸からないということは、こういうことなのだろうと思う。
すべての宗教(教え)に依存しないことだ。
(依存した方が楽な人もいてこれもタイプに分かれるが)
この自分軸を作るためにまずしなければならないのは、自分というものが感じること、思うことを剥き出しにすること。
自分の嫌なところを多い隠すと、作為だらけの自分ができてしまう。
どこまで自分のダメなところを自分で認識できるか?それを容認できるのか?
そして、容認できる理由が明確になっているか?
剥き出しの自分と自分が対話することで、自分軸を作っていくしかないのだ、と思う。
最後に
シワが深く、ちょっと考えると眉間にもシワがよる。
そんなオッサンでも私は、「今の人」のひとりである。
今を生きているという意味では若者と同級生だとも言える。笑。
年齢は違えど、今の環境をお互い初めて学んでいる。
そんな同級生諸君はわかっているのだ。
オッサンがどんな風に自分を美化している人なのか、美化していることがどれだけ人として不自然であるかを。
そして、オッサンがどんな宗教に入っているのか、その宗教を隙あらば押し付けようとするであろうことを。
だから、自分をさらけ出すこと、自分を美化しないこと、これが同級生と忌憚ない会話をする上で必要なことなのだと感じる。
Timelessプロジェクトの感動も多分このあたりにあるのだろうと思う。
いずれにしても、自分と向き合うことが唯一自分にできることだ。
Unsplashのclement fusilが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
若者のことを同級生と言ったことは、何とも図々しいのですが、私のひとつの信念であります。汗。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
コメントを残す