RYO SASAKI

落ち着きのない健康オタクの末路。~焦らずに重要なことをコツコツと続けること~

タナカ シンゴ

私の気質

私の家系は、どこかワサワサしている。

両親は、するべきことに常に追われているようで、それを一気にやってしまった一日の終わりには、茶の間に横になってぐったりしてしまっていたように記憶している。

私に食べさせるために、私を学校に行かせるために、忙しくしているのだから、そんなものだろうと思っていた(子供の頃は不遜にも有難いと思わなかった)のだが、今になってぐったりしていたことに、若干の疑問が生まれている。

どうしてこうなってしまったのだろうか?

他の家ではどうしているのだろうか?と。

観察していると、仕事(共働きだった)はもちろんのこと、掃除、洗濯、道具を使ったらしまう、ドアは締める、すぐに次の食事など、生活するために何とやるべきことが多いのだろう?と感じたものだった。

そこまでをやらないと両親の描く理想の生活には及ばなかったのだ。

かくいう私は、小学校の通知表の連絡欄に「おちつきがない」と書かれていて、50代に入って喪主として父の葬儀を迎えた時にも、落ち着きなく左右に視線を飛ばし、じっと座っていることがなかったようだ。

後ろの席で見ていた同い年の従妹が教えてくれた。

それは環境からくるものなのか、DNAによるのものからなのか、その両方によるものなのかもしれないが、「三つ子の魂百まで」ということなのだろう。

生年月日による占いでは、人が元々持っているスピードが4段階あって、その中で私は早い方から2番目とのことだった。

最初からそういう気質なのであれば、別に無理をして生きているわけでもないだろうから、問題はなさそうに思えるのだが、どこか追われているような感覚で生きてきたように思う。

そんなだから、時々落ち着いている人に出会うと偉い人のように見えて、何とも羨ましかったものだ。

この差の原因は、このスピード気質によるものが大きいのだろうけれど、ある出来事に対して事前知識を持っているかどうか、あるいは、慌てずにチャンと考察するかどうか、というあたりが心がけ次第で変えられるものかもしれないとも思う。

さらに言えば、起こる出来事に対して自分が解決できるといった自信によるものであったり、期限通りにしなかった時に自分を許容するということを含む、しなかった時への覚悟の違いによるものであったりするのだろう。

時代の変化についていく

そんな落ち着きのない私ではあったが、出身の秋田から宮城を経由して東京で就職した時には、周りの話すスピードに付いていくことが全くできなかった。

就職先がこれまた落ち着かない会社だったこともあって、その時は都会の恐ろしさをひしひしと感じたものだった。

入社当初に聞いたところによるとその会社では少し前まで人事異動が毎週1回のペースで行われていたという。

田舎者の私は、スピーディーに変化する会社に採用してもらって、ずいぶん鍛えていただいた。

商売というのは、新規性の先取であり、他社との競争であるから、スピードが成功するために必要であり、よって、常に社員はスピードを求められる。

社会も、例えば携帯もポケベル→ピッチ→ガラ携→スマホと変わるなど、人は常にその変化に対応することを求められ続けてきた。

この変化の激しさはこれからも変わらないだろうから、人は追いかけられることを覚悟しないといけないだろう。

さて、瞬間瞬間に変化への対応を迫られ、スピードを求められることが続くと、生活の中にそうではないオフのタイミングが少なくなり、一日のすべてがこの一律のスピードモードで過ごすことに染まってしまう。

入社当初は、会社とプライベートの人格を分けて過ごそうとしたが、それすらも時間に追われてやめてしまった。

このような社会環境の中にあって、一生懸命に変化に適用しようとする脳は、今よりもベターな何かが世の中に存在していて、それを我先に獲得しようと考えるようになる。

その中に、当時はその先の値上がりが予想されていた不動産や株やゴルフ会員権などもあった。

更にはかっこいいとされた外車、ブランド品、いいとされた健康食品などなど。

以前に購入した不動産を高値で売り抜いて儲けた先輩がいた。

一方で、それをマネて不動産を購入したそのすぐ後にバブル崩壊が来て、身動きがとれなくなる同期もいた。

当時の広告は特に、自分が獲得できていない何かを追いかけようと焦る気持ちに見事に嵌って、焦る気持ちに拍車をかけていた。

健康によいかどうかはわからない

私の痛い買い物の一例として、やや高額なサプリメントとジョーバ(家庭用のフィットネス機器)がある。

先ほどの話から、いきなりスケールが小さくなってしまって申し訳ない。

私は落ち着かない気質であるが、決して裕福な家庭ではなかったし、質素が大切だと両親が教えてくれたから、おかげさまで、買い物においてだけは焦る気持ちを抑えられる面もあった。

なので、買い物の痛手が軽症で済んできて、その結果、スケールが小さい話になってしまう。

ここからは健康オタクである私の変遷についての話でもある。

サプリメントもジョーバも両方ともに数か月間は試みたものの、その後、飲まなくなり、乗らなくなった。

ちなみに鳴り物入りだったジョーバはずいぶん前に生産中止となっている。

「ジョーバ」がひっそりと?生産終了に。

私が続かなかった理由は、変化が感じられなかったからである。

数週間で変化しないというのならばともかく、数か月であれば妥当な判断であるはずだ。

そう言えば、これだけいろいろないいものを購入できる世の中にもかかわらず、健康な人が多いとは言えず、医療費が嵩んでいる、という事実をどう捉えればいいのか。

これは、売主の広告に騙された、という可能性を疑うべきではないだろうか。

騙されたというよりも、人にかなりの個体差がある、ということをしっかりと含み置く必要があるということだろうか。

その人にとって効果があったかもしれないが、私にとって必ずしもそうだとは言えないかもしれない。

例えば、これまで全く運動をしなかった人に現れる効果と、運動を頻繁にしている人に現れる効果は感覚的に異なる可能性がある。

個体差をぼやかすところに広告の効率の前提がある。

日本人の平均寿命が伸びているから、いろいろな健康食品に効果があると言えるのかもしれない。

いや、データのトリックに注意が必要だから、健康寿命をみないといけない。

横道にそれたが、元に戻って、サプリメントにしてもジョーバにしても本当に効果がなかったのだろうか、ともう一度考えてみる。

よくなっているかどうかについて、数か月という評価期間は十分だと言えないし、感覚だけでの評価は難しいのかもしれない。

入学試験やスポーツ競技のように中間テストのスコアがはっきりしないとならない。

例えば、血液検査での成分チェックや筋肉量測定などとセットにならないとわからないのだ。

健康食品や健康器具は、老化、骨格の歪み、筋力低下のスピードを抑えているかもしれない。

だから、変化は「よくなる」ということで現れずに、「悪くならない」ということで現れるかもしれない。

その結果は、もっと先にならないとわからない。

いや、もっと先になってもその時の健康状態が健康食品や健康器具によるものだったのか、因果関係がわからないから、結局はわからない。

わからないのだから特定の商品を続けるためには、その商品がよいという「信念」に頼らざるを得ないということになる。

では、信念はどこからやってくるのかと言えば、各人が経験から学んだ何らかの知識を根拠としているのだろう。

そして、その根拠は人それぞれのものになる。

その根拠が正しかったかそうかも、また誰にもわからない。

いずれにしても、数か月で体感があればラッキーなのだが、多くの場合はそれ以上の我慢強さが求められるといった、非常に地味で孤独な戦いになるということだ。

イベントを作っては、やった気になる

落ち着かない気質の私は、都会での商売に携わり、合理性を学んだことで、何に対しても短期間で結果を求めることをセオリーにして生活をするようになった。

この考え方の癖に対して、健康器具や健康食品のようなものは、残念ながら短期間での効果は見えない。(長期間でもわからないが)

この矛盾に対して、私はまた新しい商品やサービスの購入を次々に重ねていった。

やったことのないイベントを自分で作ってはやった気になり、次のイベントに乗り換えていくようなことだ。

何もしないより、何か良さそうなものを選択して、やっていることで安心する。

そうすると自分が努力しているように感じられる。

イベントで生活を波立たせ、生きている実感をしたいような感覚がどこかにある。

無意識なのだが、私の合理性はやっていることへの満足感に焦点をずらしていったように思える。

やった気になることは悪いことではないが、自分が求める目的とずれてしまっていることを認めねばならない。

今思うと、購入することは惰性であり、憂さ晴らしを十分に含んでいたのであろう。

世の中には健康にいいと言われてるものが多すぎる。

食べ物、サプリメント、運動、睡眠、お風呂、冷え解消、薬、断食などなど

これらの細部までのすべてを気にして、生活に敷き詰めてしまうと、物理的に人生の時間を奪われることになる。

それでは何のために生きているのか、わからなくなる。

この気質と環境と合理的な考え方の組み合わせが、追いかける人生一辺倒になり、追いかけることに逆に追われる人生になった。

「健康のためなら死んでもいい」

などとうそぶいたこともあった。

知らず知らずのうちに、何かを急いで求めればそれによって逆に目的が遠のく、という本末転倒になっていた。

これが、「慌てる乞食はもらいが少ない」ということだ、と反省する。

合理的が非合理に転じる、というこの様は何とも滑稽なものだ。

何も起こっていないような地味な毎日を大切にする

今更のことなのだが、健康は様々な要素のバランスにある。

どんな要素ー例えば栄養や筋肉や脂肪やらーも、あり過ぎてもなさ過ぎてもバランスを崩す、という知識を再認識する。

さて、世の中の変化が速いと感じると、健康になる優れものがドンドン出現しているように錯覚するものなのだが、優れた物が現れたとしても、そのわずかひとつの商品の影響は経験上、そんなに大きくない。

そんなに画期的なものは残念ながらなかなか現れなかった。

そう、健康はバランスなのだからそうなることが必然なのだ。

その優れたものによってバランスが崩れることだってあるかもしれない。

そして、焦って追われるような生活では精神をすり減らすから、そちらの面から健康でいられるはずがない。

そして、健康を追いかけることが人生の目的にはならない。

こんなことをちゃんと認識せずに健康オタクなどとよくも自称したものだ。

これらのことから、至った私の健康法は、

毎日続けられるいくつかの習慣だけをコツコツと行うこと

人間の身体は生まれた時から歪み始めて、20歳を過ぎたら老化が始まると聞く。

身体は歪みと老化が積み重なり、いつか閾値を超えて、不具合や不調、ひいては病気まで発展するものだ。

そんな現実と自分の経験を照らし合わせると、一過性のイベントによる改善が難しい。

歪みや老化を抑えるためには毎日の習慣が大切である、と理解せざるをえない。

言ってしまえば当たり前のことだが、これまでは短期的なミラクルを期待するような、どこか夢見ているようなところがあったように思う。

医学では急性疾患と慢性疾患と分けられているのだが、慢性疾患を急性疾患への対処法で解決できるといったような、それは、できればすごい発見なのだが、現実には勘違いであり、それが私の中で起こっていた。

これは年を取っていろいろ経験して、また、いろいろな支障が出てきてやっと本気で感じられるようになったのだ。

例えば、微妙に歪んでいる身体に対して負荷が強い運動をすると歪みを大きくしたりすることがあるはずだ。

私が40歳から始めた長距離のトレイルランニングなどは、もってのほかである。

週1回のジム通いですら習慣とまではいかずにイベントであり、刺激が強いものであると思える。

毎日続けている、続けられる習慣はごくごくありきたりのものである。

・食事 (←これにはかなりいろいろな見解があって幅が広い)

・睡眠

・運動(歩行)

・入浴

これらを屋台骨にする。

何よりも優先する、ということだ。

これを軽視して崩した身体を他の即効性のあるもので埋め合わせようとすることは、はなはだ都合のいいことである、と自覚するべし。

健康補助食品はあくまでも補助であるから、普通の食事が大切になる。

これは多くの人の常識で、私も頭ではわかってはいたのだが、もう一つの頭の合理性が、すぐに本末転倒させたいとも思っていたのが過去の私だった。

この屋台骨以外は、無視してもいい。

何を口に入れるか?何時間寝るのか?どんな運動をするのか?何分入浴するのか?ということだけに注意を向けないとならない。

「人は1年でできる事を過大評価しすぎる。そして10年でできる事を過小評価しすぎる。」

この言葉は、アメリカの自己啓発作家、アンソニー・ロビンス氏の名言だ。

人は短期的視点に偏り過ぎている。

社会のスピードにひきずられている。

とにかく地味にコツコツとやることだ。

今やろうとしている健康法を、例えば10年間、続けられるだろうか?

ダイエットも急激なものではなく、一食の量をわずかに減らすことなのではないか。

運動もマラソン大会に参加することではなく、毎日歩くことではないのか。

マンションのエレベーターを使わないことなのではないか。

そして、生活の中で時間が長くかかっていることが長期的に大きな影響を及ぼすから、時間が長い行為に使用するものだけを特に吟味して購入するということである。

睡眠時間は一日に占める割合が大きいから、寝具をしっかり選ぶ。

運動(歩行)のための靴(シューズ)をしっかり選ぶ。

もう一つ時間がかかっている最大のものは、考える時間である。

結構前のことになるが、1日に6万回思考しているという情報が注目された時期もあった。

人は1日6万回も思考している! 疲れた心をリセットする“心の整理術”とは?

その人が何を考える傾向にあるか、そこにどんな感情が加わるのか?その習慣の違いによって10年後は間違いなく変わってくるだろう。

この日々何を考えるべきかを学び、コントロールすること。

この思考の中身については、ここではこれ以上深入りしないでおく。

私が最近購入したもの

ここで学んだことを他のことにも活かせないものだろうか?

変化が速く、また、情報で煽られる世の中だからこそ、

・重要なものに集中すること。

・結果が短期的なものなのか、中長期的なものなのかを見極めること。

・中長期的なものには、焦らずにじっくり取り組むこと。

書いてみたら、全く新鮮味のないものになった。

健康オタクの末路がこれだけだったとは・・・

そんな私なのだが、ここまでのことを踏まえて、最近購入したものがある。

この商品に対しては「生活の中で非常に重要なもので、一生使っていける」という信念が生まれた。

それは仕事用の「椅子」である。

生活の中で、もうひとつ誰しもが時間を長くかけている行為、それは「座る」こと。

他国との比較で座っている時間が一番長いのが日本人、という調査結果が出たこともある。

日本人の座位時間は世界最長「7」時間!座りすぎが健康リスクを高める あなたは大丈夫?その対策とは・・・

パソコン仕事が多くなった。

長時間の姿勢の悪さは身体の歪みを加速させる。

私は下のような姿勢をどれだけの長い時間過ごしてきてしまったのだろうか。

出典:良い姿勢をキープする簡単テクニック

私は、歩く姿勢、座る姿勢の大切さを痛感するようになってから椅子に注目し始めたのだが、姿勢は私の股関節の改善に大いに影響するものであって、通っている整骨院の先生のアドバイスとリンクするものでもある。

この椅子がどういうものなのか?

椅子を使ってどういう効果が出ているのか?

そして、股関節の治療の経験から学んだ、姿勢の重要さや人体の特徴などを次回書いてみたい。

Photo by Gabin Vallet on Unsplash

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

ここまでの長い期間を経て、たどり着いた結果がこんな内容になるとは、何とも残念なのですが、これが偽らざるところなのです。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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