RYO SASAKI

ツッコミどころ満載のこの社会を遊び愉しむ。~直観・知識総動員で~

タナカ シンゴ

少し前から、左目のまぶたの裏側に小さいデキモノがあるようだ。

視界にも視力にも影響はなくて、少しコロコロ感じるくらいのもの。

外見にわからないくらいで大丈夫だろうとは思ったが、初めてのことなのでいちおう医者に診てもらうことにした。

案の定、脂肪の塊のいわゆるものもらいとのことでとりあえず安心した。

お医者さん曰く、

「炎症を抑える抗生剤の入っている2種類の点眼液を出します。

あっ、あとそうですねえ、まぶたに塗る軟膏も入れておきましょうね。

それで2週間ほど様子を見て、引けなければ切って膿を出す方法もあります。」

とのこと。

指示通りに、1日に4セット、2種の点眼と塗布のワンセットはそれぞれを5分おきにというのを真面目に続けた。

ところが・・・

初めて3日後くらいから、頭痛が出て日を追うごとに痛みが増すようになってしまった。

最初は毎日の晩酌による二日酔いを疑ったのだが、それほど酒量がいっていないのに痛みがとれない。

それで疑ったのが、この点眼液と軟膏。

そこで点眼と塗布を止めることにした。

そうしたところ、てき面に頭痛が解消した。

思えば、左目への点眼と塗布だったからか、左の頭の奥だけが痛かった。

薬が頭痛の原因。

こんな経験は今までなかったのでなんとも新鮮だった。

今回は、このささいな出来事によって思い出されたことからはじまって、最後は大げさにもこの社会を遊び愉しむところまで進んでしまった。汗。

父の闘病中の話

この一件で思い出したのは、父の生前、父の病状についてお医者さんと面談した時のことだ。

先生から、「癌が何か所か転移している●●●●ので、抗がん剤も入れておきましょうか!?」

と言われて、私は一旦この話を持ち帰って父の意志を確認することにした。

父は、「これ以上痛いのもしんどいのも嫌だ」と抗がん剤を拒否したいようだった。

そんな話をしている時・・・。

私の中にあったある違和感がハッキリしてきた。

先生の言葉の●●●●のあたりが軽くて早くてしっかり聞き取れていないということだった。

私の頭の中にある嫌な想像がもたげてきて、私は覚悟をもってもう一回先生に面談を申し入れたのだった。

「前回、癌が転移していると聞きましたが、癌の転移は実際に見つかったんですか?」

と私が尋ねると先生からは、

「いえ、転移の可能性がある、と言っただけで実際に確認するには検査が必要になります。」

と返ってきた。

「転移しているかわからないんですね。そんな状態でも抗がん剤は必要なんですか?」

と私が続けると、先生はかすかに苦笑いしながら、今度は、

「ひとつの選択肢として提示しただけですから、使わなくてもいいですよ。」

と返してきた。

このやりとりを経て、その後父は抗がん剤を入れずに余生を過ごすことになったのだが・・・

それにしても、医者は抗がん剤に誘導するような上手い言い方をするものだと感心した。

耳穴をかっぽじって望まないと言いようにやられるのかも。汗。笑。

私には、この先生とのやりとりが、私のものもらいの「あと、軟膏も追加しておきましょうね。」という言葉を聞いた時の違和感とすごく似ているように感じられたのだった。

薬というものをあらためて学ぶ

こんなこともあって、直近の私のアンテナに引っかかった本はこちらだった。

『日本初「薬やめる科」の医師が教える 薬の9割はやめられる』

この本が最初の前提として伝えてくれている内容は、どんな薬にも必ず副作用があるのだということだ。

副作用は聞きなれた言葉であり、薬の注意事項には必ず書いているものではあるが、ものもらいの一件がなければ、私は薬の副作用を一切忘れて、効能だけを意識するようになっていたように思う。

著者は更に説明をする。

「〇〇病の薬」といった時に、それは例えば心臓、例えば胃などといった体の特定部位に効果を与えるものです。

ところが、その薬が他の部位にどんな影響を及ぼすかについては、実験なんかは当然していないわけですから、どんな医者にもわからないものなのです。

※わかりやすく表現を少し変えています。

身体はいろいろな機能を持つ部品のような臓器がただ物理的につながっているだけではなくて、神秘的に連携しあっているものだから、ひとつの臓器の機能を変更することで連携にどのような影響を及ぼすかはわからない、ということのようなのだ。

このようなことを前提として、ここからはこれまでの定説と異なる実験結果を紹介する。

降圧剤によって血流が低下して脳梗塞を引き起こす。

これは、「高血圧は心筋梗塞や脳梗塞の原因となる」というような定説とは逆の実験結果である。

※年を重ねるとある程度血管が硬くなるのだが、それでも隅々まで血流を送ろうとするためにある程度高血圧になるのは体の維持のために必要なことで、低血圧も危険なのである。

また、こんなこともある。

骨粗鬆症を予防する新薬ビスホスホネート製剤は、破骨細胞の動きを止めることで骨が丈夫に保たれる、という発想に基づいて開発されたものだ。

しかし、破骨細胞の動きを止めることで古い骨が残り、返って骨が脆くなってしまう結果が出てしまった。

※骨は、もともと破骨細胞(壊し)と骨芽細胞(作る)の両方の働きによって保たれている。

どうもこの新薬の発想は、本来生命力を持っている子供を甘やかすダメ親のようなアプローチに見える。

薬が弱った臓器を強力にサポートするものでもあるが、そのサポートによって臓器が外部(薬)に依存してしまって、本来持っている機能がさらに弱まってしまうケースもある。

私の理解にあるのは、「体は、甘やかせばなまる。」だ。

そして、人間も自然の一部であるから、不自然なものが外から入ると体がビックリするんだろう、たぶん。

今の私はこんな稚拙な感じで、これらのことをごもっともだと感じるのだった。

風邪薬を治す薬なんてものはなくて、熱が出たことによっての苦痛をとる解熱剤はある。

体が熱を上げるのは、菌を殺すための体の防御機能だ。

私がこのことを知ったのはずいぶん年をとってからだったのだが、それでもこの知識の前提があるから、この本の内容に共感できるようになってきたんだと思う。

さて、こうしてみてくると薬というものとの関わり方についての私の結論はこんなものになる。

薬とは副作用を伴うなど体に負担がかかるものだから、最終手段として使うべきもので、頻繁に使うものではない。

こうとしか思えない。

私はもう一度認識を改めるのだった。

定説は見事にひっくり返る

次に、健康値(正常値)の変更歴について続けてみる。

〇血圧の基準

・~1999年 上年齢+90以下を健康。

・1999年~ 年齢関係なく、下89以下~ 上139以下 を健康と変更。

 WHO(世界保健機関)と国際高血圧学会による。

 更に日本高血圧学会は更に 血圧80未満~ 上120未満 を推奨とした。

 これによって、多くの高齢者がほとんど高血圧の範囲となったのだが、これは前述の血を送るために血圧がある程度必要、ということに反する方向に進んでいる。

〇血糖値の基準

・HbA1c(ヘモグロビン)の値の国際基準

 5.8%以下  健康

 5.8%~6.5% 良い

 6.6%~7.9% 高い

 8.0%~9.9% 悪い、要治療の見直し

 10.0%    非常に悪い

アメリカとカナダの実験(2008年)で、6.4%未満にコントロールしたグループの方が7.5%未満にコントロールしたグループより総死亡率で22%上回った。

これを含む多数の実験結果を踏まえて、2018年に糖尿病患者のHbA1cのコントロール目標が7~8%へ変更された。

基準値は時に厳しい方へ変更されて、後から間違いが発覚して基準値が緩められる、を繰り返している。

どうやら、我々は早期発見の旗印に人間ドックを受けて、異常値としてはじき出されて薬を強要される結果となっている側面もあるということのようだ。

我々は病気を治すために先生にすがりつき、先生の言うことは何でも信用してしまうものなのだが、専門家が言っていることであっても時に非常に儚いものなのだと認識することになった。

そういえば、健康系の他の定説も過去に遡ってみるといろいろなことが撤回されている。

水を我慢すると根性を鍛えられる。

 →私なんかの学生時代でずいぶん前の話だ。笑。

卵のコレステロールは危険。

 →卵を草食動物のウサギに食べさせた実験の結果から広まった。

睡眠のゴールデンタイム

 →最近の実験で22時~02時と固定されるものではない、とわかった。

面白いくらいにくつがえってきている。

そして、その定説の根拠となっていたものに驚くほどずさんで稚拙なものがある。

くつがえされてできた上記の新健康基準値だって、この先にまたくつがえることだって大いにあり得るのだろう。

そして、このようなことは健康に関することに限ってのことではなくて、あらゆることにも言えるのだろうとも思う。

このように平気で間違うのが人間社会なのだと再確認するのだった。

地獄への道は善意で舗装されている

今回の診療を経験したことで今後私は、「処方された薬によって頭痛が出るから薬は不要だ」と医者に伝えられるようにはなるだろうが、頭痛が出ない場合でも薬はいらないと言えるのだろうか?

私のものもらいなどは結果的に、血圧のことで言えば上125くらいの改善不要のものとも言える。

ならば、副作用があってもなくても薬は不要ということになるのだろう。

何も医者を批判しているのではない。

医者は善かれと思って治すための専門的な最善の方針を示してくれたのだ。

過分と思われる薬の処方が、診療点数をあげて経営に有利にするためのものだとしてもご愛嬌の範囲だろう。

父を診た医者にしても同様。

抗がん剤の見積りは保険適用でも30万円と高額だったから、私としてはご愛嬌の範囲とはとても言えないのだが。汗。

「地獄への道は善意で舗装されている」

こちらはヨーロッパの格言だ。

うまいことを言ったものだ。

医者に限らず、社会の多くの人が決まった正しい知識(方法)により、最善を尽くそうとしているのだ。

(残念ながら、すべての人が善意でないことは理解しているつもりではあるが。)

しかし、正しい知識=定説は見てきたように塗り替えられるものだから、正しいはずのことに則ってしっかり推進するという善意によって、人は悪い方に導かれることがある。

宗教もその組織のトップはおいておいたとして、勧誘する組織員は本当に人を救おうという善意で溢れているという。

これと何も変わらないのだろう。

人間はどこまでいっても真理とはほど遠い、無知な者と言わざるを得ない。

人間は知識や知恵をたくさん持ってはいる存在ではあるのだが・・・うーむ。

人間の善意は否定するものでもないだろうし、間違う人間が明日から急に間違わなくなるようなことも期待できない。

ならばさてはて、この善意に溢れていて、同時にチョイチョイ間違う人間社会でどう生きるのがいいものだろうか?

ツッコミどころ満載の社会を遊び愉しむ

どうも、すべての問題は真実に到達できない人間の無知から起こっているようだ。

そこから、自分のあるべき振る舞いを挙げていってみよう。

・いちいち間違ったことを後悔しないでいいだろう。

 間違う者なのだから、落ち込む間もなく、切り替えて前に進むのがいいだろう。

・謙虚でいるのがいいだろう。

 間違う者なのだから。

・一つの説にのめり込まない方がいいだろう。

 定説を信じてもいいが、同時に、多少の懐疑をもつ=距離をとっているのがいいだろう。

そして、周りに対しては、

・恨まないのがいいだろう。

 周りも間違うものだし、多くの人に悪気はないのだから。

・すべての人とは多少の距離をとるのがいいだろう。

 親子と言えども夫婦と言えども。

 これは愛がないのとは異なって、個人の尊厳というかパーソナルスペースのようなものだ。

すべての問題は真実に到達できない人間の無知から起こっている、と感じた時に思い出したある先輩の言葉がある。

「我は他人の言うことは一切信じない。

親だろうが先輩だろうが先生だろうが社長だろうが神様だろうが仏様だろうが。」

この言葉を30年前の自分が聞いたならば、

「独善的な自信家だ!」と悪い印象を強く持っただろうと思う。

わずか数年前だったとしても同じ印象だったかもしれない。

ところが、この言葉を上記の社会絵図に照らし合わせてみると、妙に腑に落ちるのだった。

これだけ無知な社会において、信じられるのは自分だけだ。

その自分も間違うということを理解しながらも、自分を信じること。

騙されたと思ったにしても自己責任。

それが自分に尊厳を持って自分らしく生きることであり、何よりも大切なのことなのだ、とわかるようになった。

更に言えばそれが、それぞれが生まれ落ちた意味なのではないかと思うほど・・・笑。

この複雑で不完全な社会は、それぞれの尊厳のためにあるようにすら感じてくる。

何もそれだからと言って周りと会話を閉ざして孤独になれ、と言っているのではない。

人を信じないが、人に対しての愛情が枯れることはなくて、協力だってするのだ。

このような相矛盾するようなスタンスがいいバランスだと感じられる。

さて、こうして社会を眺めてみるとどうやら、社会はツッコミどころ満載にできていて、だからこそ社会は発見の可能性で満ちているように感じてくる。

ツッコミどころがなくならない社会は好奇心が廃れることなく愉しい。笑。

まるで、新たなツッコミどころ=過去の定説を見つけては破壊してスッキリするシューティングゲームのようだ。

自分という者も当然定説をつかまされて、固定観念がすぐに出来上がってしまうものだから、自分の固定観念も打ち壊して進む。

アップデートして固定観念を壊し続けないと、ゲームの面クリはできない。

また、どうも情報のアップデートだけではアイテムが足りないようで、「んっ!何か変」といった直観も働かせて、怪しさから距離を置くなど防御レベルも上げていかないとならない。

このゲームは、ミスなしに進むことはできないもので、ミスしてもいかにダメージを少なくして進むのか?がポイントなのである。

私は面が無限にあるこの終わりのないシューティングゲームを遊び続けていきたい、自分の直観と知識を総動員して・・・。

今回は、ものもらいから、意外にもここまでの思いに至ったのでした。

UnsplashNorbert Braunが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

「風邪を治す薬がない」ということをずいぶん年をとってからしか学べない日本という国もまた、なんともツッコミどころ満載です。

今回紹介した本のように、新書というものは定説を覆す宝庫のひとつのようです。

アップデート、アップデート。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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