タナカシンゴ

日記は「無意識に働いているOS」を自覚的にアップデートする技術である。

タナカ シンゴ

最近、たまたま流れてきたポストを見て深く共感しました。

これを見た瞬間、ストンと腹落ちする感覚があったのです。

私たちは日々、無数の選択を迫られています。

何を優先するか、どこに時間を使うか、どう動くか。

その度に迷ってしまう人と、迷わずに動ける人がいる。

両者の違いは、能力や知識の差ではなく、「自分のルールが言語化されているかどうか」なのだと思います。

では、自分のルールを言語化するにはどうすればいいのか。

私にとってその答えは「日記」でした。

日記は、2022年から形を変えながら続けている習慣です。

関連記事:30代半ばになって偶然、自分にあった「日記の書き方」を見つけた、という話。

最近になって、日記を書くことの本質が以前よりも一層クリアになってきました。

それは、日記は「無意識に働いているOS」を自覚的にアップデートする技術である、ということです。

日記を書く土台となっている3つの考え方

私が日記を書き始めたきっかけは、人類学者・梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」という本でした。

この本との出会いから、日記に対する見方が根本的に変わりました。

以来、私の日記は3つの考え方を土台にしています。

1. 日記を書くことは知的生産の一種

日記は感傷的な行為ではなく、頭を働かせて新しい情報をつくりだす「知的生産」の一形態である。

梅棹先生は、記憶の欠陥を補うために記録をすることは知的生産に携わる者の基本的な心得だと述べています。

2. 自分自身に向けて提出する毎日の業務報告

日記は文学作品のような「魂の記録」である必要はない。

その日にあった出来事を、できるだけ客観的に、簡潔に記録しておく。

つまり「自分自身に向けて提出する毎日の業務報告」として書けばいい。

実はこういうつもりで書いた日記の方が本当は役に立つ、と梅棹先生は述べています。

3. 日記は人に見せるものではなく、自分のために書くもの

SNSで公開する前提の「三行ポジティブ日記」のようなものもありますが、本質的に日記は自分のためのもの。

他者の目を意識した瞬間、記録に補正がかかります。

自分だけが読むからこそ、ありのままを書ける。

これらの考え方は、日記を書き始めてから数年経った今でも変わっていません。

むしろ、実践を重ねるほどにその正しさを確信するようになりました。

なぜ日記を書くと「迷わず動ける」ようになるのか

冒頭で紹介したポストには、こんな続きがあります。

日記を書くと、

・なぜそう動いたか
・なぜ引っかかったか
・どこでズレたか が浮き彫りになる。

つまり、 無意識で回してたOSを 自覚的にアップデートしてるだけ。

この言葉に、私は非常に共感しました。

私たちは普段、無意識のルール(行動規範)に従って動いています。

朝起きて何から手をつけるか、どんな人と時間を過ごすか、どんな仕事を引き受けるか。

これらは意識的に考えているようで、実は無意識のルールに支配されていることが多い。

日記を書くと、この「無意識のOS」が可視化されます。

なぜあの時イライラしたのか。

なぜあの決断に時間がかかったのか。

なぜあの人との会話がうまくいったのか。

書き出すことで、自分の中に潜むパターンが見えてきます。

そして、そのパターンを認識できれば、アップデートすることができる。

迷わず動ける人は、考えていないのではなく、「考え終わっている」人。

日記は、この「考え終わっている状態」をつくるための技術なのだと思います。

例えば、最近書いた以下のブログはまさに日記を土台に書いたものです。

関連記事:「五間」を自分の中でどのように生かす事ができるかを考えて生きる、という話。

このおかげでより迷わず動けるようになりました。

記録は振り返った時に価値が最大化される

そして思うに、日記の本質的な価値は、書くことそのものよりも「振り返り」にあります。

私は以前、こんなメモを残していました。

記録は振り返った時に価値が最大化される。

・振り返ることで、記憶の精度は上がり、その記憶のおかげで次の似たような行動のレベルが上がる。

・振り返ることで、自分も一人の重要な存在であると認識することができ、誰に褒められるわけでもないが、明日もまた頑張ろうという気持ちを自分でチャージする。

・振り返ることで、自分という人間はこうやって動かした方がいい感じに動くのか、逆にこういう動かし方は苦手なのかというように、自分の動かし方が分かってくる。

特に3つ目が、今回のテーマと深く繋がります。

自分の動かし方がわかってくる。

これこそが、自分のルールの言語化そのものです。

また、私は「異質なものの統合が、感動や興奮を生む」という考え方を大切にしています。

日常に非日常が統合されたとき、あるアイデアに別のアイデアが統合されたとき、人は感動したり、ひらめきを得たりします。

そして、「今日」に「過去の出来事」(異質なもの)が統合されたときも、同様のことが起こります。

日記を振り返っていると、過去の自分の言葉が今の自分に電流のように響くことがあります。

「あの時書いていたことが、今この場面で繋がった」

この感覚は、まさに伏線回収に似ています。

関連記事:人生の豊かさは「どれだけ伏線を回収できるか」で決まる、という話。

振り返らなければ、過去の出来事は伏線にすらなりません。

日記を書き、振り返ることで、人生の伏線回収率は確実に上がる。

現時点では、週単位での振り返り、1年単位での振り返り、これらを組み合わせて振り返りをするようにしています。

私が実践している2つの日記の付け方

形を変えながら続けてきた日記ですが、現在は2つのアプローチを組み合わせています。

1. デイリーレヴュー(業務報告型)

Obsidianを使って、その日の行動を記録しています。

タスクシュートの考え方をベースにした「デイリーレヴュー」で、何をしたか、どう動いたか、どのくらい時間がかかったかを客観的に残します。

これは梅棹先生の言う「自分自身に向けて提出する毎日の業務報告」そのものです。

ここに加えて、

・うまくいった行動
・うまくいかなかった行動
・その行動の中で学んだこと

などを記録しています。

事実の記録だからこそ、後から振り返った時に「あの時の自分はこう動いていたのか」と客観視することができます。

2. デイリージャーナル(内省型)

もう一つは、ジャーナリングです。

形のない感情、モヤモヤ、悩み、引っかかり。

これらを言葉にして書き出します。

ジャーナリングの効用は、

  • メンタルの安定
  • 自己理解の深まり
  • 信念の構築

など多岐にわたりますが、これらを抽象化すると「自分のルールの言語化」に繋がるこということ。

これが私にとって最も大きい価値です。

なぜモヤモヤしたのか。

それを書き出すと、自分が大切にしている価値観が浮き彫りになります。

なぜ引っかかったのか?

それを言葉にすると、自分の中の譲れないルールが見えてきます。

デイリーレヴューが「行動」の記録なら、デイリージャーナルは「内面」の記録。

この2つは補完関係にあり、両方があることで「無意識のOS」がより立体的に見えてくるわけです。

ジャーナリングって、下拵えにも似ていますよね。

AIが自分のルール言語化を加速させる

そして今、日記の価値をさらに拡張してくれているのがAIです。

日記やジャーナルをAIに読み込ませることで、自分のルールの言語化がめちゃくちゃしやすくなっています。

AIは膨大な記録を横断的に分析し、パターンを見つけてくれます。

「あなたの記録を見ると、こういう場面でこういう判断をする傾向がありますね」

「この時期とこの時期で、価値観に変化が見られます」

自分では気づかなかった「無意識のルール」を可視化してくれるのです。

もちろん、AIに頼りきるわけではありません。

しかし、日記という「自分データ」の蓄積があってこそ、AIは力を発揮します。

日記を書き続けてきたからこそ、AIとの協働がより深い自己理解に繋がっているのだと思います。

短期効率だけ見ると無駄、長期視点だと最強の自己投資

日記を書くことは、一見すると非効率に見えます。

毎日15分、30分と時間を使って、誰に見せるわけでもない文章を書く。

短期的な効率だけを考えれば、確かに「無駄」かもしれません。

しかし、長期視点で見れば、これほどレバレッジの効く自己投資は他にありません。

日記を書くことは、80:20の法則でいうところの私にとっては「20」です。

なぜなら、日記を書き続けることで、

  • 自分のルールが言語化される
  • 無意識のOSがアップデートされる
  • 振り返りによって過去と今が統合され、ひらめきが生まれる
  • 結果として、迷わず動けるようになる

からです。

思うに、日記とは「自分という人間の取扱説明書」を自分で書いていく行為なのかもしれません。

自分の動かし方がわかれば、人生はもっとスムーズになります。

どんな環境で力を発揮するのか。

どんな状況でエネルギーが奪われるのか。

どんな選択が自分を幸せにするのか。

これらを知っているかどうかで、人生の質は大きく変わります。

梅棹先生は、日記を「時間を異にした自分という他人との文通」と表現しました。

今日書いた日記は、未来の自分への手紙。

そして過去の日記は、かつての自分からの贈り物。

その往復書簡を重ねることで、私たちは自分という人間をより深く理解していくことができるのだと思います。

今回の内容が、みなさんの日記への見方を変えるきっかけに少しでもなれば幸いです。

UnsplashTerrillo Wallsが撮影した写真

【著者プロフィール】

著者:タナカシンゴ

この記事を書きながら、改めて自分の日記習慣を振り返りました。
最初は続けること自体が目的でしたが、今は振り返りによって得られる発見が楽しくてたまりません。
来年も引き続き、自分という人間の取扱説明書を書き続けていきたいと思います。

◼︎ ハグルマニ(プロジェクトコンプリメンター)
◼︎ 命名創研(命名家)
◼︎ 栢の木まつり 実行委員会
◼︎ タスクシュート認定トレーナー

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●note タナカシンゴ

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