RYO SASAKI

「人生は不平等なゲームである」この言葉を知って、このゲームを味わうには自分の癖を認識することだ、とわかった。

タナカ シンゴ

コロナがずいぶん沈静化してきたタイミングで、昔同じ職場にいた後輩からお酒のお誘いをいただいた。

会うのは何年ぶりになるだろうか・・・。

それぞれの現状報告を挨拶代わりに、呑み会はスタートしたのだが、早々にひとりからは重い病気を克服した話、もうひとりからはパートナーと別れた話を聞くことになった。

同じ職場にいた頃は、みんなエネルギーに満ちており、健康のことは興味の全くの外にあった。

また、交際やら、結婚が目白押しの時期でもあった。

当時を思い起こすと目の前の病気や離別の話に、ずいぶん時が経ったんだなあ、としみじみ感じた。

私はその同僚に「いろいろな試練を超えていくのが人生なんだろうね。」などと返し、すこしは先輩らしい?気が利いた?ことを言えた気になったのだった。

後日この話をある人に話したところ、「人生は不平等なゲームだからね。」と言う言葉が返ってきた。

この言葉に私は、「そうそう」と一瞬で納得し、似たような返しを自分もできていたのだ、と安心したのだが・・・。

すぐ様、「試練を超えていく人生」という表現と、「不平等なゲームをする人生」という表現では、ずいぶん隔たりがあることを感じてしまった。

何度か経験してきたように、表現ひとつで視界というものが大きく変わってしまうものだ。

「試練を超えていく」という言葉には前向きさと力強さがあるのではあるが、辛さばっかりが印象づけられてしまって、何とも重い。

一方の「ゲーム」と言う言葉には、辛さだけでなく楽しさも含まれているし、あまり深刻にならずに遊べばいい、というニュアンスが含まれて楽になる。

しかも、「人生が不平等である」とは、あまり誰も言わないような絶望的なことを言い切ってしまっているが、それは残念ながらどう見てもその通りで、逆に平等でなければならない、という幻想から抜け出すことができる開き直った強い言葉であることを感じた。

更には、他人の試練に対して、ベタな励ましなどは何の役にも立たないものだが、「不平等なゲーム」という言葉は浮わつかずにホンの少しだけ、しかも間接的に人を安心させる上手い言葉だなあ、と感じた。

私は悔やんだ。

なぜ、この言葉が出なかったんだろうか?と。

否、それは悔やんでも当然のこと、ただ単純に私がそう思っていなかったからだ。

「言われて納得」と「自分から言える」では腹のオチ具合が全く異なるのだ。

今回はこの悔しさをバネにして(笑)、この折角の「不平等なゲーム」を味わうためにどうすればいいか、考えてみることにした。

父と私

「人生とは不平等なゲームである」

自分から言えなかったものの、この言葉にスンナリ納得した自分にはある程度の下地があったのだと思いたい。

その下地とはどんなものだろうか、と考えてみると、与えられた自分の心身についてはどうあろうと自分が責任を持たないとならない、という感覚がどこからか芽生えていたからなのではないか?

そんな風に感じた。

その感覚が芽生えたのはいつだったか、遡ってみると小学生の頃のあるシーンが思い浮かんできた。

私は父とキャッチボールをしていた。

父の球は、グローブ越しでも手が赤く腫れるくらいに速かった。

それでもずいぶん加減をしてくれてたんだと思う。

時を経て父への弔辞を考えていた時に、このグローブ越しの掌のジンジンを真っ先に思い出したものだ。

後からになるが、父はプロ野球選手にスカウトされたことがあると聞いた。

しかし、親の反対で断ったらしい。

球が速かったことに納得。

小さい頃の私は、父とは大人と子供だからと自分を納得させていたのだが、その後、子供と大人という理由では片づけられないほど父との違いを感じるようになっていた。

ところが、それでも私はその違いに対して心底悔しいと思ったことがなかった。

それは、野球というものを職業にしようと思ってなかった、ということかもしれないし、別に興味があるものがあったからかもしれない。

そんなことが合わさってか、自分と父は別物だと普通に感じていた。

私の小学校の体育の成績は、6年間オール5(5段階評価)で優秀とされていたが、父の運動神経には敵わないことがどこかわかっていて、それでも嫉妬するようなことも落ち込むようなこともなかった。

思えば、私は父以外でも、心底誰かになりたい、誰かをホントに羨ましい、と思ったことを思い出すことができない。

中華料理屋の同級生の店でかつ丼をご馳走になった時に、自分も中華料理屋に生まれれば良かった、というような軽いレベルの羨ましさはいろいろあったが、常に一過性のものに終わった。

人との比較をしないわけではないが、それはそれとして、自分のやること、自分がやれることに興味が向いていた。

この感覚は、どこかで芽生えたのではなくて、生まれつきだったのかもしれない。

何とも太々しい奴だと自分を思う。汗。

このどこか自分のすることにだけに興味があって、自分との対話が愉しい、というような特徴が、偉そうに言えば「自分に責任を持つという感覚」の下地にあったのかもしれないと感じる。

父は私を育てながら、草野球チームでもエース投手として活躍して重宝がられ、スキーは指導員の資格をとり、社交ダンスではシニアの部で優勝するなど、ある意味でその運動神経を存分に発揮した人生だった。

思えば、父もプロ野球選手になれなかったことを恨んでいる様子もなく、小さな会社勤めで会社の理不尽さによく文句を言っていたが、人を羨ましがることがなくて、自分は自分として、自分のやれることに興味があり、もっとうまくやろう、と日々自分と対話をしていたのだった。

この現状を受け入れて自分に注力するという特徴は、父から私に受け継がれていると今になってやっと感じて、あらためて父に感謝するのだった。

※この特徴は何もいいことばかりではなくて、頑固な面を持ち合わせることを是非加えておきたい。

自分の癖を知ること

私の、私ができることに興味を持つ、という特徴は、「不平等なゲーム」をする上で大切な資質なのでは?とつながった。

周りを見れば才能のある人ばかりが目立つ世の中、自分に照らし合わせると自分の才能がないことばかりが目立つ人生はやはり不平等なゲームだ。

そんな中では、どんなに才能がなくても、あるいはある才能が仮に中の上だったとしてもその中で自分のできることをやる。

このできることをやるために、自分という者の特徴、悪く言うと”癖”を見つけることが有効なことなのだと思う。

癖は悪いモノばかりではなくて、そこに自分しかできないことが、隠れている可能性がある。

そしてまた癖ゆえに不得意なものがあり、不得意なのだから、早々とあきらめてしまった方がいいというものもある。

それを早く見極められると、変なことを深追いせずにやれることに注力できる人生になるのだ。

最近、自分の癖をまたひとつ発見した。

それは飽きっぽいとでも言ったらいいだろうか。

大学生の頃のこと。

私が入っていたテニスサークルの仲間と、学祭でバンドをやろうということになった。

私は少しかじっていたギターのパートを受け持つことになった。

寝る間も惜しんで練習して感じたことは、一回弾けるようになると満足してしまうということだ。

目的は、本番で多くの人に盛り上がってもらうことなのに、そこに感心がない自分がいる。

この弾けるようになったことを、ステージで繰り返すということはもはや退屈だった。

何と自分勝手な奴!

これが当時からあった私の大癖のひとつなのだ。

繰り返しが退屈なことならば、ミュージシャンのような仕事はとてもできるものではない。

稼ぐためにある程度の我慢はできたであろうが・・・。

でも都合良く、そもそものギターも下手くそだったから、そんな気が起こることもなかった。

もし、ギターが非常に上手だという癖?と一度できてしまったら退屈するという癖、この両方が備わっていたとしたら、それはそれで苦しむことになったのだろうと思う。

これは一例だが、ある職業を天職のように愉しくやっていけるには、その職業に合ういくつかの癖が上手く備わっている必要があるのだと思う。

しかし現実は、いくつかの癖がピッタリ備わるという風になかなかならないのが、何とも面白いことだ。

そこを努力しながら、何とかやっていくことがまた、人生の難しさであり愉しみでもあるのだろう。

更に派生して、私という者はステージの上などで周りから称賛されることに、ほとんど快感を覚えないという癖も持ち合わせる。

自分で言っておいてどこか不思議で嘘くさいようにも思うところもあるのだが・・・。

その感覚どおりに、芸能人に憧れたことは一度もないから、自分の中での整合性は取れていて良かったとも思う。

いずれにしても私という者は、ひとつ癖を発見しただけで、十分に曲者ならぬ癖者であるようだ。汗。笑。

不平等なゲームを味わう

人には、湧いて出てくるくらいのいろいろな癖があって、それらが集まって自分という個性が築かれているのだと思う。

それでも、自分では当たり前だと思っていることが、他人にとっては当たり前でないことであったりするから、なかなか気づかないモノでもある。

そして、人は自分こそがノーマルだとして、心の安定を保ちたいから、私のように人生の後半に入るまで、それに気づかないままだったりもするのだ。

それを打ち破って、自分の癖に気づいて認めてみる。

そうすることで自分を責めなくなる。(簡単ではないだろうが。)

自分を責めるのは極力減らして過ごした方がいい。

そしてまた、癖を抑制するにはエネルギーが必要で、抑制のエネルギーを最小限にすることは長持ちにもつながる。

癖があってデコボコだらけの自分を、時には飽きれながら、愛でる。笑。

自分にいただいた自分の癖を活かす。

癖をやり続ける。

才能がなくともそんな自分がやれることをやる、やりたいことをやる。

これがこの「不平等なゲーム」を味わう極意なのではないか?

そんなところに思い至るのだ。

特にまた、歳を重ねると若い頃できたことが、できなくもなる。(逆にできるようになることもあるが。)

癖と同様に、自分ができないことを認めないでいる人生は何ともしんどい。

できないことを認めた上で自分のできることをして愉しむことが歳を重ねる上で必要なことでもある。

当時のウサイン・ボルトが100m走の世界記録を狙った時にボルトが感じた興奮のようなモノが、形は違えども誰にでも何歳になってもあるものなのだ、と私は信じている。

そのいただいた癖によって、私にしか味わえない喜怒哀楽があり、ボルトにしか味わえない喜怒哀楽があるのだ。笑。

なんとも大袈裟な話になってしまった。

ここで世界一早い男を出してしまうあたり、これまた私の図々しい癖なのかもしれない。汗。

ともかく、自分の癖を知って自分という癖者と向き合うことで、やっと不平等なゲームを自分なりに味わうことができるのではないだろうか?

そんな風に思うのだった。

ちなみに、飽きっぽい私は、毎日自由に違うことをしていたい。

そして、四の五のと考えるのが好き。

だから、好きに日々思ったことを書けるこのブログを続けてこれてるんだろうと思う。

これが私にとっては自分の癖を活かせる形のひとつかもしれない。

逆に同じことをやり続けないとならないようなところでは使い物にならないんだろう。笑。汗。

最後に、あらためて言葉とは素晴らしいものだ。

このわずかひとつの言葉で、ここまで思考が広がって視界が変わってしまう。

新しい言葉によって広がる新しい視界。

視界が日々変わる人生は癖者の私でも退屈することはないだろう。

こんな風にしながら「不平等なゲーム」をこれからも存分に味わっていきたいと思う。

UnsplashNubelson Fernandesが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

アナウンサーを辞めてタレントに転身したある方が、転身の理由を冗談っぽく語ってました。

「今日も35℃超え、熱中症にお気をつけください。」

と毎日繰り返すのに飽きたのだと・・・。

今はそれがよくわかります。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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