損得勘定を見直したら、いろいろめぐって負担を請け負いたくなった。
特別なことがない日常にあっても見逃さず観察するとほんの小さな出来事はチョイチョイ起こっていることに気づく。
その出来事の中には良かれと思ってやったことが裏目に出るものがある。
私の良い(得)と思う損得判断は、後から自分が気づかなかったことを知ることで、了見違いであることが露呈することがある。
この了見違い、いわゆる失敗を事前に避けられないものだろうか?
この了見違いというものにどのように向き合って行ったらよいものだろうか?
失敗は糧にするもんだとよく聞くわけだが、今回の了見違いもなんとか糧にできないかと、頭を巡らしてみることにした。
まずは、最近起こったとるに足らないような了見違いのことからお伝えしていきたい。
駐輪での失敗
街中使いをしているロードバイクの調子が突然悪くなった。
徐々に、ギアチェンジするもしばらくして戻ってしまうようになった。
1段から2段にギアを上げるが、1段に戻ってしまう。
2段から3段にギアを上げるが、2段に戻ってしまう。
自転車屋さんで見てもらったところ、ハンドルから後輪までつながっているギアチェンジ用のワイヤーに問題があることがわかった。
ワイヤーが引っ張られて、ハンドルとの接続部で中身がささくれてはみ出し始めていた。
ハンドルのところのギアワイヤー
それは、徐々に引っ張られることで起こったような形跡で、駐輪場などで左右の自転車の出し入れ時に引っかかって経年劣化すると聞いた。
そこで思い当たったのが、半年前にあったマンションの駐輪場の自転車ラックの入れ替えだった。
新設された駐輪場の自転車ラック
出典:自転車ラックの種類と特徴
スライド式の2段ラックで、マンションの周りに溢れていたたくさんの自転車を収納できるようになり、スライドするから幅が広がって、以前の固定のものよりも出し入れがしやすくなった。
スライドする下段は手前と奥に固定するラックが交互になっているから、手前に入れることができれば、更に出し入れは楽なのだ。
マンションもいろいろ改善されていって、いいなあと思っていたところだったのだが・・・。
このギアワイヤーの不具合は、便利になったはずの新設自転車ラックと私の合理的選択の組み合わせから起こったことを気づかされることになった。
手前のラックに自転車を置くと両隣の自転車は奥のラックに置くことになる。
そうすると両隣の自転車のハンドルは私のハンドルの奥になって、その奥のハンドルを引き出そうとする時に、私のハンドル部分にあるギヤワイヤーに引っかかってしまいやすい。
それが積み重なったことでワイヤーが引っ張られ磨耗したことが不調の原因のようだ。
奥のラックを選んで入れば、両隣の手前の自転車を出し入れするときにギヤワイヤーに触れることはないのだが、私は出し入れの楽さを得たいばかりに、手前のラックにばかり入れていたのだった。
ナイスな選択だと思っていたのだが、全く裏目に出てしまった。
私の合理的な選択にはこんなようなことがまあまあ起こる。
思えば、そのあたりをわかっている人は、手間でも隣の自転車と擦れることのない上段のラックを使っているわけなのだ。
これまでの私は、上段のラックを使っている人を、「ご苦労なことだ。」などとクールに?見てしまっていた。
トホホ・・・。
この自転車ラックのように一般的にも新しくなることで、前よりよくなるものはあるのだが、逆に今までになかった問題が出てくることもあったりする。
そして、私が非常にわかりやすい「楽」に飛びついてしまったために、別の不具合を引き当ててしまったということになる。
ギヤワイヤーの交換は約3,000円だったから、半年間の出し入れの楽さに3,000円のコストを払ったということになる。
無理くりの計算ではあるが。
これではとても割に合わない。汗。笑。
オリンピックタクシー運転手の怒り
次は新型タクシーの話になる。
東京オリンピックに合わせて大量に投入された、次世代“JPN TAXI”(ジャパンタクシー)。
出典:トヨタ、次世代“JPN TAXI”(ジャパンタクシー)を発売|2020東京オリンピックに向け、日本人の“おもてなしの心”をデザイン
これにキャスター付キャリーカートを持って乗車した時のこと。
スライドドアの間口は広く、小さめのキャスター付キャリーカートならば後部座席の座席前に置くこともできて、すごく便利だったので、
「運転手さんにすごく乗りやすいですね!」
と声をかけたところ、意外にも「無茶苦茶使いづらい」と返ってきてしまった。
使いづらいという点を抜粋してみる。
①スライドドアのガイド(輪っか)への巻き込みが起こる。
後部ドアオープンにガイドというドアについている輪っかがある。
この輪っかはドアの下部にあるため、スライド時に乗客の足が引っ掛かり、後ろに巻き込まれることがある。
②追突時のリスクが高い。
後ろのトランク部分が薄い構造のため、追突された時の被害が大きい。
③後部座席のスイッチを運転席で操作できない。
後部座席の天井にあるライトを乗客が点灯させたままにすると、運転手が後部座席に回ってオフらないと消えない。
④車椅子を乗せる場合20分くらいかかる。
車椅子を乗せられるという触れこみだったが、とても実用的ではない。
等々。
運転手さんは、そこからメーカーと国のズブズブな関係、現場への皺寄せ、それは資本主義のようで社会主義だ!などというところまで展開して話は目的地まで続き、かなり怒り心頭のようだった。
私がどうもスイッチを入れてしまったようだ。
私は私に見えている(乗車し安い、キャリーケース持ち込める)ものしか気づけない。
見えるものだけで判断していることがよくあることを再確認する。
このタクシーの構造のトレードオフを皆さんはどう評価するだろうか?
巻き込みも追突も起こる確率が少ないのだから、目をつぶれるものだろうか?
タクシーは今後全部このタイプに替わっていく予定とのことで、一方のセダンタイプの運転手さんに聞くとオリンピックタクシーが人気でセダンは見向きもされない、と言っていた。
この一件も駐輪ラックの件同様に、ひとつに新商品、新サービスがすべてにおいて以前より良くなっていることはないということに突き当たる。
そして、同時に自分の見映えや安易な楽(得)に飛びつくという安直さを露呈する一件となった。
自分の損得判断を見直す
新しい物に出会った時の了見違いを減らすにはどうしたらよいのだろうか?
まずは便利!と新しい利点に食いついて興奮しないように、むしろ疑う感覚が必要ということなのだろう。
新しいものには改悪もあってその改悪は今回の改善よりも優先順位が低いとして、切り捨てられるというトレードオフが行われている可能性が高い。
この時代は、便利なものが昔よりもかなり飽和していて、みんな昔より戦略高く賢くなっているから、どれだけ手を抜いて利益率を高くするかを考え抜いているわけだ。
これらからは以前より、簡単に興奮してはならない時代なのだ。笑。
私のような変わり者になれば、みんながいいと思うものなんかよりも別のものの優先順位が高いなんてことも大いにある。
例えば今のスマホはハイスペックすぎて不要。
昔のバージョンでいいのにそれはサポートがだんだんと切れて、ハイスペックな選択肢に追い込まれることを懸念している。
みんなこれがいいで一律になれば異端は淘汰され、主流も一極に支配されることになる。
そんなことを考えながら、新商品が優先順位を落とした隠れているポイントを見落とさないこと。
言うは簡単なのだが、実施するには鋭い観察眼が必要だ。
見抜くのではなくて、逆に便利を追いかけないようにするのもれっきとした方法のひとつだ。
もうそんなに楽にならなくてもいいのではないか?
手前ラックを必ず選び、上段を冷ややかに見る合理性は、なんと怠惰なことなのか。
キャリーケースはトランクに入れればいいではないか?
便利の追求はそこへの依存を生み、弱体化させるものだ、と再度自分を引き締めよう!
ところで損得とはなんなのだろうか?
絶対的な損得なんてものはなくて、ある目的が置かれた時にその目的に照らして損得が言えるようになる。
それでもその目的が人生において追いかけるものなのかは非常に怪しいものだ。
「何でも楽になりたい」を目的にすると人が弱体化してしまうように。
お金の支出を抑えることが目的だとする。
確かに大切なひとつであるがそれだけが人生の目的になるのは違うだろう。
そして、自分の人生の目的だけでなくて社会とのかかわりに関しても目的設定しないと片手落ちのように感じ始めた。
八方良しの視点で豊かになる
商品提供側に対する要望としては、自転車ラックはもっと両隣とこすれないようにはならないのだろうか?
オリンピックタクシーのガイドの輪っかはドアの上部に取り付けられないのだろうか?
近江商人の三方良し
更には
八方良し
あらゆる側面から見て好もしく判断されるさま、非が見当たらないさまを意味する表現。
などという。
八方良しは大変な労力がかかる。
だからといって利益のみの追求にとどまって、八方良しを提供者が追求しないならば、自転車のラックやタクシー運転手の利用者のように、どこかに皺寄せがくる。
それを誰が負担するのか?
その負担の押し付け合いがあるのに、我が責任ではない、ってな顔で平気でいる狡猾な社会はなかなか緊張感が高い。
商品サービスの新しい利点だけを拡散する広告にはなかなか現れないポウズではない企業の本当の八方良しの動きをなんとか知りえないものだろうか?
逆に利用者もどこまで積極的に負担に協力していけるのだろうか?
そもそも隣の自転車にこすらないように出し入れするというごく常識なこと、それが利用者の単純な協力のひとつと言える。
さて、この新商品や新サービスの話を通して、八方良しという概念は一般生活に通底するもののように感じられてきた。
話を聞き、共感したり、アドバイスしたり、できることをサポートし合ったり。
商品は提供者だけでなくて、利用者とつくるという一部の企業がやっているスタンス同様に、イベントは主催者だけでなく、主催者と参加者で出来上がるものであり、店は店員だけでなく、店員とお客さん両方でつくるものである。
それを例えばお金のやりとりだけで済ましてしまって、一方的になっているようでは、人としての喜びが不十分で終わる。
社会とは永遠にキレイには整理できないのだろうが、負担をどうし合ってそれにより愛と安心・安全を感じるものなのだと思う。
これの有無で圧倒的に豊かさや幸せの度合いが変わって来る。
今回の話は、自転車ラックへの文句から始まったのだったが、行き着いたのは八方良しから学び、自分のできる負担をすることもプラスして社会を豊かにして、得を取ろう!ということだった。
小さくてもいい。
何かの負担を受け持つ覚悟。
今回でいうと
商品改善という提供者への負担を要望する
(運転手さんの不満を周りに知ってもらうことだったり。)
あるいは
自転車を擦らないようにと住民への働きかける
あるいは
自分で上段に自転車を上げること、
などなど受け持つ負担はいろいろなものがある。
自己完結した損得勘定によって負担をしないということは、結局自分が損をすることになる。
どこか、社会に対して仕事をして稼いで税金を支払っていさえすれば十分、と線引きをしていた自分がいる。
それだけではない幸せがまだそこにあるのだから、これで終わってはもったいないことなのだ。
少しずつ負担して、それはある役割を演じることでもあるが、それで社会が豊か=みんな得になるはずなのだ。
私の今後は以下の3つの相矛盾するベクトルを共存させてうまくバランスさせていきたい、と整理できた。
・皺寄せの被害に合わないか常に観察し批判的であること。
・安易な欲にあまりこだわらないようにすること。
・社会に対してできる負担をしていくこと。
どれが欠けても面白くないと感じた。
UnsplashのAdli Wahidが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
書き終えて、自分がなんてケツ穴の小さい損得勘定男だったのだろう!と思いました。汗。
久々の旅行でいろいろなコミュニティに参加させてもらったことも刺激になって、やっとこんな心境になり始めました。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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