RYO SASAKI

歴史に学ぶこと、学べないこと。

タナカ シンゴ

前回の記事では社会心理学を知って、その感想を書いた。

引き続き、何冊か本を読んで見ると、社会心理学という分野に自分の興味が重なっていることを感じる。

社会心理学:個人に対する社会活動や相互的影響関係を科学的に研究する心理学の領域の一つ。

今回も、前回に引き続き、社会心理学者の主張に感じたことを書いてみたい。

その内容は、私がかねがね感じていた、

「昔の日本人から学んで現代の生活に活かすことはなんなのか?」

「歴史に何を学ぶべきなのか?」

という疑問につながることになった。

今回の著者は、社会心理学者 山岸 俊男氏だ。

『日本人という、うそ』山岸 俊男 著

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『きずなと思いやりが日本をダメにする』長谷川 眞理子・山岸 俊男 著

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ノスタルジー、ないものねだり

映画『ALWAYS 三丁目の夕日』は大ヒットしたが、その映画を日本人がいいと感じるのはなぜだろうか?

懐かしい、という感覚、当然ながら当時の自分が今より若かったから、自分も活気に溢れていて、それを思い出しては非常に気持ちがよくなる、というところなのだろうか?

人情味溢れている時代で今に足りないものを感じるのかもしれない。

「今は昔と変わってしまった」

とは、以前よく聞いた言葉だ。

はたして、日本人は当時より人情味がなくなってしまったのだろうか?

あるいは、道徳心をなくしてしまったのだろうか?

日本人の心が劣化してしまったのだろうか?

この疑問に対する山岸氏の主張を私なりの解釈で一言にすると、

「人間というものは環境に適応して生きるものであって、劣化とか心をなくしたとかではなく、現代において当時の道徳心と言われるようなものの必要性が薄れただけだ」

となる。

今の時代に道徳心がなくなったのでも道徳心が不要になったのではなく、必要に応じて形を変えた、程度が変わった、というような意味合いである。

例えば、昔の日本人が武士道などの影響も受けて、道徳心に優れているなどと言われるものは、日本人という種族だけが保有しているものなのではなく、世の中のシステムや環境よって構築された、という主張である。

江戸時代などは、一律の道徳により統制され、農耕中心の村社会は互いに監視し合い、村の都合のためにそこからはみ出るものは村八分として排除された。

日本人が決まったルールに従順に従ったー道徳心が高かった(ように見える)ーのは、道徳心がある(=村のルールに従う)、ことを演じる方が、自分に得になる(演じないと損になる)と判断したからにすぎない。

機械化されていない農村では、農業というもの自体が、そして、災害対策なども助け合いが必然だったから村が共同体としてひとつのルールに従うことで人々は得をする面が多かった。

このような社会への適応によって、人間は種を残してきたのだ。

これは分類すれば、先天論ではなく後天論(環境論)と言えるだろうか。

日本の縄文時代が争いがなく平和だったという情報があるが、これは温暖で食べ物が豊富だったことに対して、人口が限られていた(島国で外部からの移民が限定的だった)から、いわゆる需給バランスという環境要因が大きいのではないかと私は思っている。

地続きのヨーロッパなどで食料が不足すれば、戦って奪うことが生きるために必要だった。

ヨーロッパの人はどこか好戦的で交渉上手のように見える。

豊かな環境に育つと競争力が失われる。

たまたまそういう環境だったから、異なる資質が現れたのだ。

そんなことを私は思っていたから、この環境論には共感するところがある。

そういう視点でながめると、昨今の日本人の心の荒廃?に対して「心を変えないと、道徳心を教育しないと」というような変革の声は、確かに宙に浮くように感じられる。

種の適応に対する妨害でしかないようにすら感じる。

山岸氏は、「心で変革はできない、システムの変革が必要だ」と主張して、国民の心の変革を強いるような政治を無策だとして批判している。

環境(≒社会システム)を変えないと心は変わらない。

種の心が、無意識にも環境に適応しようとする動きは種である以上、止められないのだから。

また、このことは、同じ社会心理学の小坂井敏晶氏の、「人間は反射で生きている」という意味合いのこととリンクする。

人間は、全体のことを論理的に合理的に考えているようでそうはなっていない。

少しは計画的に未来のことを考えるようになったが、未だに多くは目の前のことに影響を受けてそれに反応している。

一瞬一瞬に条件反射をして生きている。

その反射には感情によるものが多く含まれ、その反射が生き残るためのものである。

この先、人間の論理脳が更に発達して、人間が感情を凌駕するように進化した時には、2つのことが起こるのではないだろうか。

・本来の人間から乖離するので、過程において苦しくて、不健康になる。

・種の適応力が弱まり、繁殖力が弱まる。

これらのことからも、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代に比較して、今に足りないものがあるからといっても、それを現代に取り戻すということができないことがわかる。

環境を当時に戻さないと戻らない、と言える。

不足したから分かち合えた。

ひとりでできないから協力した。

不足しなくなった状態で分かち合うことは偽善に見える。

ひとりでもできるようになったら、協力はおせっかいにもなる。

不足とひとりでできないという環境に戻らないとあの時代の心を再現することはできない。

そういう意味で歴史は不可逆なものである。

そして、人はないものねだりなものだ。

(この貪欲さは素晴らしい。)

ビクビクして道徳を守る日本人

山岸氏は、日本人は村(組織)からはみ出た行動をすると周りから叩かれるから、叩かれないようにビクビクしながら、そのルール(あるいは道徳)を遵守して生きてきたという。

このような監視社会が、日本人の発想や行動を制限して、イノベーションが起こらない原因であり、世の中のグローバル化に遅れをとる原因であるともいう。

では、この村のおきてによる同調圧をなくした時に、道徳やルールを何で担保するのか?

山岸氏は「法」によるものだと言っている。

夏目漱石は、「個人主義」であると言った。

御上(武士)のルール、それは外から強制された一律のものから、個人の中のルールに移行する必要があると。

漱石の志は素晴らしく共感もするが、全員が個人主義への移行がうまくいくとは思えない。

そうすると、山岸氏の「法」は納得がいく。

しかし、「法」という結論はまた全く新鮮味のないものだと思える。

日本的な一律の価値観で監視するようなあり方と、法治とは何が異なるのだろうか?

ルールの広さ、細かさの違いだけなのではないだろうか?

日本の一律の価値観は、法の範囲を超えて、新しいこと、発想すべてに対して抑制してくるような広さをもっているように思う。

それによってイノベーションは起きづらい環境になる。

法の範囲は罪と罪でないものを文章でしっかり分けているだけで範囲が狭い。

法だけを用意して遵守すればいいのかというとそれ以外にマナーやエチケットがないと不快でもあって不足を感じる。

そして、法は新しいものに対応できず、古いものが改変されずらいので、常に不整備で万能ではない。

抑制範囲が広ければ広いほど一律の価値観で安心する。

しかし、制限されて生きづらく、イノベーションは起こりづらい環境になる。

抑制範囲が狭ければ狭いほど自由であり、一方で、イノベーションは起こりやすい。

しかし、周りは不快を感じることが増える。

一律ではないことによる不快に対して、寛容になればなるほどイノベーションが起こりやすい、という傾向になるということだ。

まるまるの両取りはできない。

文章があり罰則がハッキリしている法の方が新しい人がこの社会に入ってくる上でわかりやすいのは明確だ。

それでも法以外のマナー・エチケットの共通認識、監視が必要な面もある。

それによってイノベーションが生まれないのはまた問題でもある。

両取りできる範囲の落としどころは?あるいはどうバランスさせるか?に尽きる。

日本人は、村のおきてに従わないと生きていけない、という時代ではなくなっているが、世の中の顔色を見て出る杭にならないように、とする習性が色濃く残っていて、抜け切れずに適応に時間がかかっているように思う。

だから保守的になる。

監視して叩く方もその習性が残っている。

また、監視を誰が担うのか?という選択。

監視を国民相互で行うのか?政府が行うのか?

国民での監視は、手間に煩わしさを感じ、その徹底具合に怪しさを感じる。

政府の監視となると「支配」という言葉を含む、また別の苦い感じが現れることが否めない。

また、別のベクトルでは、日本は少子化の局面でもあり、農山漁村が壊滅に向かっている。

それを避けるためには、今まで不要だった新たな村のおきてによる新しい監視、抑制がないと村は生き残りができない、という局面が浮上しているように思う。

これに関しては、ここまでにとどめておく。

成り行きでは決して生き残れず、たくさんの農山漁村が生き残りに尽力しているとだけ。

ビクビクして道徳を守る日本人のいいところと悪いところが共存する。

最後に

私も最近歴史から、日本人の優れていることをあらためて学んできた者でもあり、逆に事実を歪め貶めるプロパガンダが世の中にはいろいろあったりもするから、日本人(自国民)が日本人(自国民)に誇りを持つことは大切なことだとは思っている。

しかし、一方で環境適応というものもあわせて認識しておくことも大切なことだとあらためて確認できた。

そして、その認識によって、日本人の心、資質を意図的に方向づけようとすることは、北風を吹き付けてコートを脱がせるような力技の愚策であり、ナンセンスである、ということに大いに共感するところであった。

しかし、今回、それ以上の何かの結論が見えたわけではない。

環境(システム)をどのようなものに整備していくのがいいのか?

これが大切なことではあることは理解できるのだが、そのシステムには安定(抑制)した環境と、変化(自由)しやすい環境があり、この2つにトレードオフがあるということが確認できたにすぎない。

村のおきてや武士道が解かれれば自由になり、自由を知ってしまった人間は、おきてや武士道に抑制された社会に戻ることはできない。

そして解かれたことによって、新しい不安や恐怖を仲間に入れて生きることになる。

日本は安定(抑制)側に振れ過ぎているのかもしれないが、監視社会による、一律の価値観による安定(抑制)は、殺人などの凶悪犯罪の少なさの原因のひとつであったりするようにも思う。

自殺者は少なくないが。

どちらかに傾き過ぎれば逆への反動が起こるのだろうと思う。

傾きすぎるとは、何かひどいことが誰の目にも明らかになる時であって、ひどい現象が現れないと反動が生まれないということになる。

人間には慣れというものが起きるから、反動にはタイムラグがある。

そのタイムラグが100年以上で長かったりと。

もう一つ、歴史に学ぶことについて。

この前の京都旅行で、数々の重要文化財を案内してもらった時に感じたものだ。

これを言っていいのだろうか?と一瞬思ったが・・・

「これらの立派で大きな仏像を見て、自分は何を感じればいいのだろうか?」と口をついてしまった。

その意味は・・・

もちろん、その美しさ、迫力、精巧さ、そこに使ったエネルギーなどを感じることはできる。

日本人はすごかった、と思うこともできる。

でもそれは上っ面なことだと感じたのだ。

何でこんなものを何年もかけて造れたんだろうか?

何で今は造らないんだろう?

何で今は造れないんだろうか?

身分が分かれていて、そこに支配と被支配があったから多くの作り手の犠牲のもとに作れたのではないだろうか?

貧富の差があったからこそ、富が権力者に集中できていたからこそ、できたのではないのだろうか?

これだけのものが製造できる社会を今自分は望むのだろうか?

それは、支配と被支配、貧富の差を望むことになるのではないのだろうか?

そんな心のうちを話したら、案内いただいた方から、こんな反応があった。

「昔は、健康や病気の治癒、その他の願いなどを仏像に込めたところもあったと思います。

今でいう医療費が祈祷にまわっていたとも言えますね。

医療が今のように進歩していなかったので、祈るしかなかったところがあります。

その金額は、莫大だったのだと思います。」

なるほどと思った。

支配されているということを当時の人はあまり感じなかったかもしれない。

人生とは生まれついたところでのもの、そういうものなのだと思っていたのだろう。

そして、自身もその祈り、信仰にまっしぐらだったのかもしれない。

「今の医療のお金の使い方、それはそれでいろいろ問題がありますけどね。」

とその方は続けた。

私は、科学の限界と非科学の限界、そして科学と非科学のバランスというものに思いを馳せた。

この仏像に思うことの最後は、意外にも現代の医療の金のかけすぎ(特に日本の)を再確認することに着地した。

この話は、仏像から何を学ぶのか、歴史から何を学ぶか、ということのひとつであると思う。

どうも私は、何年に誰が造らせたか?に全く興味がない。

その時の人々の心理に興味がある。

だから、社会心理学に惹かれるのかもしれない。

『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』

という言葉は参考にはなるが、これだけで真理を語りきっているとは言えないものだと感じる。

「過去にこうしたことが失敗だったから、別の選択をして失敗を繰り返さないようにする」というだけではあまりにも単純すぎる。

過去の正解を現代に高らかに叫んでも「笛吹けど踊らず」になってしまう。

現代や未来は、過去の判断と異なった環境において下さないといけなくなることがある。

そして、その判断は見えない種の適応(これは平たく言えば人間のもつ欲望)に寄り添うものでないと不快が増加し、頭だけのものでは、結局定着しないようにも感じる。

自由を得たから、不安と恐怖が増えた。

自由を抑制していた時代よりも、自由な現代の方が、明らかに難しい時代になっているのだとも思う。

抑制と支配を実行すれば事は簡単なのだ。

どこまで自由にして、どこまでの恐怖や不安に寛容であるのか?

例えばこんな風に、歴史の何をどう学び、何を現代に活かすのか?

それは、正解に簡単に飛びつけるようなものではなく、たくさんの知恵を総動員していろいろな角度から考えることによって折り合いをつけていくものなのだろうと思う。

Photo by olaf on Unsplash

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

「自由」と「抑制」、この共存もまた、社会が複雑系に向かっている、ということなのでしょうか。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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