人間の意識進化を辿ってみて、私の新常識が鮮明になっていく!(前編)
前回記事の新常識のお勧め、そこで紹介した私の新常識は「未来に禁酒法が設定される」というかなりつたないものだった。
他の新常識の候補があまりにも希望的なユートピアで、私の中のふてくされた子供がそれを拒否してしまった。
確信できないものを中途半端に書くことを許さなかったようで。
あっさりと引いてしまって禁酒法の話に逃げてしまったのだった。
ちょうどこの記事を書き始めた頃だった。
ある人が一冊の本を紹介してくれた。
聖なる予言(日本の単行本の発行1994年)
この本には、人間の意識進化が9ステップの気づき(Insight)として示されている。
私はこれを読み始めて、この人間の意識進化は、まさに私の言うところの新常識のことを言っている!と直感した。
そしてその最終形が、私が書けなかったユートピア的な新常識とよく似ているではないか!
んっ?いや違う、この本はもっともっと鮮明に、そして説得力をもって新常識を示してくれている。
興奮してしまって、盛ってしまった。汗。
ともかく、その内容が今の自分にビシーッと嵌まって、府に落ちるものだった。
そんなことで、今回はこの興奮のままに本の意識進化を紹介していきたいと思う。
ところで、なぜ私の新常識とリンクして、かつ、腑に落ちるものがこうもタイムリーに現れたんだろうか?
ここまでの意識進化
私は意識進化という言葉に、「私欲がなくなる」とか「人のためになることばかりをするようになる」とか「悟る」とか、そんな漠然としたイメージを持っているだけだった。
「急にお釈迦様になれるわけでもないし。」などと、私の中のふてくされた子供が開き直っていたところもある。
そんな私が、まずこの本を読んで「確かに!」と思ったこと。
それは、未来の意識進化を考える前に、まずは、人類のここまでの意識進化を知ることが必要だ、ということだ。
言われてみると当たり前なのだが・・・。
まず最初に目を奪われたのは、歴史からの意識進化の過程の切り取り方だった。
気づき(Insight)2 『千年紀を知ること』
千年紀とは西暦1000年~2000年のことで、この本には西洋の歴史のことが書かれている。
16世紀の宗教改革まで、人々は物事のすべてを神の所業か悪魔の仕業の二択で捉えていた。
神の教えに背くものは罪人であって、とにかく神が絶対だった。
そして、それを指導していたのが教会だったわけだ。
人間は自分の外の教えに従う存在だったと言っておこうと思う。
この、いわゆる当時の常識というものが、教会の不正が明るみに出たことで、16世紀の宗教改革に発展し崩壊し始めたのだ。
人々は教会がホントのことを言っているのか疑うようになった。
宗教改革の後には、科学の進歩がそれをまた後押しした。
それまでは、森羅万象の不思議というものは神による創造物であるとされていたものを、科学は人間にも見えるもの、説明できるものにしていった。
科学するブッダ 犀の角たちでは、それを人間化のプロセスと呼んでいる。
理解が及ばない神のものを人間の理解できることに落としていくという意味合いのようだ。
この人間化のプロセスは、教会にとって非常に都合が悪いものだった。
例えば、ダーウィンの進化論。
進化論では、人間が他の植物、動物と同様に進化してきたとされる。
人間が、他の動物と同じ進化の流れにあって横並びになったのだ。
人間は、神が特別なものとして造られたはずなのに、特別な存在ではないという解釈ができてしまった。
この千年紀は、宗教改革や科学の進歩などによって、神の教えが揺らぎ教会の権威が失墜する方向に変化していった。
これに拍車がかかり、世の中のすべては科学で解明できるであろうという気運が人々の間に高まった。
そして、人間が生きる目的さえも科学で解き明かせるだろう、という考えが生まれた。
こうして、人類は外に従う者から自らが理解する者へ意識進化してきたと言えるだろう。
この教会(神)という指導者とその他の人々=教え子のいる構図、実はこの構図が解除されたということが、非常に大きな意識進化である。
指導者は支配者へ、教え子は被支配者に簡単になってしまう。
この支配と被支配がこの後に出てくる大きな問題であるからだ。
その後は科学への期待に反して、人々の生きる意味はなかなか解明されなかった。
そこで、科学技術の進歩を使って人生の目的を物質的に豊かになる、便利になる、という方向に仕向けて(仕向けざるを得なかった)、一旦はその場を凌いできたということらしい。
これが現代でもまだ、この物質的な豊かさが生きる目的のままになっていたりする理由でもあるわけだ。
なるほど!
こういう切り取り方があるのか!
このようにみると、ここまでの見えない神というものから見える科学へと進んだことの反動によって、現代に見えないものを極端に拒否する力が残っているのだ、と感じられたりもする。
こんな授業が子供の頃に欲しかったぁー。
このようにして歴史を人間の意識進化のプロセスとして見せてくれるならば、子供なりにも自分の意識進化を考えたことだろうと思う。
年号を覚えるだけの退屈な授業が一変して、授業に食いついてもいただろう。
「なんだよ、遅すぎるよ!」私の中のふてくされた子供が騒ぐ。
「ここで知って良かったじゃないか。」と私の中の大人がそれを慰める。
この先の意識進化
ここからはこれからの意識進化のための気づき(Insight)をいくつかピックアップしていく。
この気づきは、すべてがエネルギーで説明されていて、まず前提は物質はすべてエネルギーであるというものである。
これは近年、引き続き人間化を進める量子力学の内容と見事に符号するものだ。
※量子力学では、物質はすべて波(粒でもあるがここでは詳細は割愛する)であり、つまりそれはエネルギーであって、波だから干渉し合うことがわかってきている。
この本の発行はおよそ30年前のもので、かなり先取りしていると言わざるをえない。
気づき(Insight)4『社会はエネルギーを奪い合う闘争である』
物質はすべてエネルギーであって、人々はそれを互いに奪い合っている、という。
人というものは、物事を上手く運ぶためにその場をコントロールしようとするものだ。
コントロールができる人が仕事ができるとされ、また、出世もするわけなのだが、このコントロールすることが、人を支配して人のエネルギーを奪うことになる。
支配もピンからキリで手口によって様々なものかあるだろうけど、わかりやすい例で言えば、最近の「マウントをとる」というのもこれに当たるのだろう。
そしてまた、何事にも相手に「いや、」と否定から入る人も、相手からエネルギーを奪う方法である、と見れば辻褄が合う。
まずは、人は支配することでエネルギーを奪い合う、という気づきが意識進化の入口になる。
次では、このエネルギーの奪い合いが具体的になっていく。
気づき(Insight)6『コントロールドラマを知って過去を清算する』
コントロールドラマとは、相手からエネルギーを奪うために人間が無意識に演じているドラマのことである。
以下の4者がエネルギーを奪うためのドラマの配役で、人間は必ずといっていいほどこの4者に分類される。
脅迫者・・・相手を言葉や暴力で脅すことでエネルギーを奪う人
尋問者・・・相手の何かの誤りを見つけて批判することでエネルギーを奪う人
傍観者・・・自分の言いたいことを言わなくなり、相手と会話しなくなり、反応がないことで相手を不快にさせる、相手に気を使わせる、それによって相手からエネルギーを奪う人
被害者・・・周りから受けた被害をアピールして、同情を買うことで相手からエネルギーを奪う人
※複数の配役を使い分ける人もいる。
人は能動的だろうが受動的だろうが、節操なく役を選んでコントロールドラマを繰り広げる。
相手のエネルギーを奪い取ることに躍起になっているというわけだ
この4者間は奪い合いの悪循環を起こしていて、
脅迫者が被害者をつくり、尋問者が傍観者をつくる。
傍観者がそれだけではエネルギーが枯渇して尋問者に回ることもある。
被害者が爆発して脅迫者に回ることもあるのだ。
エネルギーの奪い合いはもちろん親子でも夫婦でも起こる。
配役は親との関係から設定されるのがほとんどだから、子供の頃の親との関係を観察することで自分の配役がわかるらしい。
これは一般的に言うトラウマのこととも合致してそうだ。
私の場合はどうだったのだろうか?
両親共に軽めの尋問者だったかもしれない。
私のミスをいつでも指摘して矯正しようとしていたように思う。
確かに私は指摘を受ける度に、口数が減って最低限のことしか話さない子供になっていたように思う。
ふてくされた子供はここで生まれたのか?笑。
私は、傍観者だった。
社会人になっても人の話は何とか聞くようにしたが、自分の話はあまりしなかったような記憶がある。
今は機関銃のように話してしまっているが・・・。汗。笑。
脱線をしてしまったが、配役は解消してコントロールドラマをやめることが意識進化だというのだが、その解消方法は本には詳しく書かれていない。
人それぞれだから説明が難しいのだろう。
それでもとりあえず、自分の配役に気づくことは大きな一歩のように感じるのだった。
エネルギーを奪い合うのはなぜか?
人は人を支配することでエネルギーを奪い合っていた。
私の中に「支配されるのは怖い」「支配者は嫌だ」という思いがあって、それを遠くに悪い奴がいる、として眺めていたわけなのだが・・・
なんと自分も自分の周りも、すべての人が支配者だった。
確かに、一瞬の会話の中に支配を感じて不快になることが多々ある。
言われてみれば後から思い当たることだらけで、衝撃的な内容であった。
ではなぜ、人はエネルギーを奪い合うのだろうか?
愛し合っているはずの親子が、あるいは夫婦が、なぜなのか?
本の中のヒントはこの言葉だけだった。
「人は人を支配すると気持がいい」
これは自分にあてはめてみるとわからないではない。
ここからは私の中のふてくされた子供に物を言わせてみよう。
「支配は恐怖から起こる。」って聞いたことがあったなあ。
「怖くて支配しないではいられない」
そのわけは支配しないと支配されるから、いや支配されると思っているから、そんな思いが根っ子にあるんじゃないだろうか?
そうだ、僕らは昔から食料や土地をそして最近で言えばお金や権利やいす(組織の役職)をずーっと奪い合ってきたんだ。
僕らの社会は奪い合わないと生きていけないんだ、いや、奪い合わないと生きていけないと思っているんだ。
そう言えば、僕らのからだは、生きるためにやるべきことをすると気持ちよくなるように設定されてるらしい。
僕ら人間にとってもっとも重要なエッチが一番わかりやすいかな。
支配することが気持ちいいのは、生きるために有利だったからなんだよ。
僕らはしっかり継承してきたDNAによって、無意識に支配推しにされてるんだ、たぶん。
僕らがこの4つの配役を演じながら何としてでも支配しよう、エネルギーを奪おうとしていることは、何とも健気じゃないか?((´∀`))。
だから、安易に僕らを否定なんてできやしない。
僕らの生きている社会が奪い合わないと生きていけないしくみであるならば、僕らは奪い合って生きながらえようとするのが当たりまえ。
僕らは環境に適応しようとがんばっているんだから・・・。
人間の支配癖に立ち向かう(次回)
社会が奪い合うしくみだから、人間が奪い合う。
人間が奪い合うから、社会のしくみが奪い合うようにつくられる。
卵が先かひよこが先か、というような壁に突き当たってしまった。
この気持ち悪さのままではとても終われない。
ここまでわかったことを、この先どのように役立てるのがいいのだろうか?
まずは、ここまでの私の変化をまとめておきたいと思う。
なくならない紛争や昔の勇者を聞くにつけ、人間は同じ失敗を繰り返していて、変化はするが進化はしないものなのではないか?
私はそんな風にみているようなところがあった。
「そんなんではやってられないんだけど!」と、また、ふてくされている子供が登場する。汗。笑。
しかし今回、千年紀の意識進化のストーリーを知ることで、決してそうではない、と勇気が湧いたように感じる。
人類は確実に進化しているのだ。
その進化は千年単位と長いから、注意深くないと埋もれて見えてこないものなんだろう。
この認識は、社会は急には変わらないから自分の人生には関係がないと落胆することもできるのだろうが、確実に変われるという大いなる期待をもたらしてくれるものである。
急に変わらないものだと腹を括ると日々の一喜一憂の波風が小さくもなる。
ここまでは、自分自身の変化にだけ注目してきたところもあるが、これからはむしろゆっくり変化する社会全体にも注目していきたいものだと思う。
それでも、私はここからの百年紀を待ってはいられないから、次回もこの続きで、生きている間に、エネルギーの奪い合い、人類の支配癖を克服する方法になんとか立ち向かってみたい。
そしてまた、私の都合の良い新常識と照らし合わせて未来と今をつなげてみたいと思う。
それができた時には、私の中のふてくされた子供は機嫌よくシューっと萎んでくれるんではないか、そんなことを期待しながら・・・。
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
支配は生きるための必然だった。
そしてその必然に人は苦しめられる。
言われてみれば納得、目から鱗でした。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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