新しい視点を獲得し、それを養うことの重要性を今あらためて実感している。
唐突ですが、ここ1ヶ月の間で新しく私に養われた「視点(物事の見方)」を抜粋してご紹介するところから話をさせていただきます。
神は完成を急がない
諸君 明日はもっといい仕事をしよう
これは生前のアントニ・ガウディが「1日の終わりに共に働く仲間たちに毎日のように語りかけていた言葉」だそうです。
相手に触発されて、おもいもかけないことをしゃべってしまう
その新鮮な感動が、対談や座談会に出席することの魅力なのである
私が大好きな山好きの文化人類学者梅棹忠夫さんは対談や座談会に出席することの魅力をこのように語っています。
収穫することに意識を支配されていると「現在」を失います
「現在」に意識がないと、時間がないと感じます
こちらはタスクシュート協会理事のJさんが明らかにした「現在」と「時間がない」の関係性について。
最近、東さんの「訂正する力」を読んでいるのですが、本書の中に出てくる以下も最近得た新しい視点です。
対話は終わらない
以上の簡単な説明でわかるとおり、訂正する力とは、そもそも生きることの原点にある力です。
そして、あらゆるコミュニケーション、あらゆる対話の原点にある力でもあります。ミハイル・バフチンというロシアの文学理論家がいます。『ドストエフスキーの詩学』という有名な本を書いているのですが、そこで対話が重要だと述べています。
ただ、それはふつうの対話ではありません。バフチンによる対話の定義がどういうものかというと、「いつでも相手の言葉に対して反論できる状況がある」ということです。
バフチンの表現で言うと「最終的な言葉がない」。つまり、だれかが「これが最後ですね。はい、結論」と言ったときに、必ず別のだれかが「いやいやいや」と言う。そしてまた話が始まる。そのようにしてどこまでも続いていくのが対話の本質であって、別の言いかたをすると、ずっと発言の訂正が続いていく。それが他者がいるということ
であり、対話ということなんだとバフチンは主張しているわけです。これはとても重要な指摘だと思います。よくひとは、対話が必要だ、話しあってくださいと言います。でもそれはたいてい、なんらかの合意や結論に達するための手続きにすぎません。バフチンは、そういうものは対話ではないと言っている。
まだ他にもあるのですが、ここで何が言いたいかと言いますと「新しい視点を獲得し、それを養うことの重要性」を今あらためて実感しているということなんです。
今まではなかった視点を獲得し、それを養うことは、世界をより美しく、より楽しく捉えることにつながる。
新たな視点を獲得しそれを養うことは、様々な問題のトラブルシューティングにつながる。
新しい視点は人生をより豊かに感じさせてくれます。
というわけで「視点」について現時点で考えているいくつかの視点を、ここであらためて言語化しておきたいと思います。
視点の力
私は以前以下のような記事を書きました。
私が仕事の現場から学んだ「クッション言葉」の二つの必要性についての話。
記事を要しますと「クッション言葉を上手く使えば、言いにくいことを言えて、聞きにくいことを聞けて、お願いしたいことをお願いできる」という内容になります。
これも獲得した視点の一つ、ということが言いたいのですが、この視点を持つ前の私ともった後の私では見た目は同じでも中身はまったく違う私に変わりました。
この視点を持つことができていなかった私は仕事において、
・言いにくいことはなかなか言えない
・聞きにくいことはなかなか聞けない
・お願いしにくいことはなかなかお願い
このような状態だったのですが、この視点を獲得した時からこの問題は一気に解決されました。
他にもあります。
だいぶ前のことですが「不便益」という考え方を紹介する記事を書きました。
この視点も私にとっては本当に大きなものになりました。
「不便が生じるところには必ず、その状態ならではの思考が浮上する」
「不便によっても、人生の質は上がる」
不便益という視点を持つ前と後では事象の捉え方が明らかに変わり、人生の質が大きく変わったのです。
「視点の力」は本当に計り知れません。
人は新しい視点を持つことができた瞬間に、今までできもしなかったこと、考えもしなかったことが突然できるようになったりするということ。
「男子、三日会わざれば刮目して見よ」という慣用句がありますが、人が変わる時というのは割と一瞬のことだと私は思います。
複数の視点が集合したものが「視野」
「よく見えていたね!」
「君は視野が広くて助かるよ」
この社会の中には「視野が広い人」のことを「視野が広いね!」と褒める人が多くいます。
誰もが認める重要な能力の一つと言えるのではないでしょうか。
「サッカーを知らない人が見ても面白い」と高い人気を誇るサッカー漫画「アオアシ」の主人公(蒼井葦人)も、「視野」というサッカー漫画でフォーカスされるのは珍しい能力を武器にして、ライバルや強敵達と闘っていきます。
人間の視野は正常な人で、片目では鼻側と上側で約60度、下側に約70度、耳側に約90~100度と言われています。
とするならば、周囲から「視野が広いね!」と褒められている人は、これに「プラス10度〜20度の視野」を持っているということなのでしょうか?
当然そういう人のことも「視野が広い」と言うのかもしれませんが、社会の評価対象となっている「視野が広い」の本質はそこではないと思います。
ではその本質とは一体なんなのでしょうか?
私は「視野が広い」ことの本質は「視点が多い」ことだと考えています。
つまり「複数の視点が集合したもの」が「視野」であり、
視点が多ければ多いほど「視野が広い」と言われる、ということです。
それに、よくよく考えてみると人は複数の視点(=視野)で物事を捉え、認知しているということに気づきます。
例えば、顔、ヘアスタイル、洋服、歩き方、身長、体型、持っているバッグ、歩き方、などの複数の「視点」で同時に捉えているからこそ、
私たちは「向こうから来るひと」を遠目からでも「友達」であることを特定することができているのです。
この作業を、私たちは意識的にではなく無意識の内で、しかももの凄いスピードで行っているため自覚ができないだけで、人間はこのように様々な視点を使ってあらゆる物事や事象を特定している。
そして「視点」が多ければ多いほどより鮮明に、本質的なものとして捉えることができるようになっていきます。
「視点の解像度」を高めると見えるレベルが変わる
「視野」は「視点」を複数持つことによって見える範囲がつくられるものですが、見える深さをつくるのは「視点の解像度」です。
ここで一つ「解像度」についての個人的なエピソードをご紹介します。
私が「コンタクトレンズ」をつけはじめたのは中学生の時のことです。
私は小学校2年生の頃からサッカーコーチをしていた親父に連れられ「サッカー」をはじめました。
ところが、生憎小学校低学年から視力が悪く、サッカーをするときはメガネを外していたので、ボールも人の動きもぼんやりとしか把握することができませんでした。
そんな状態なので、試合に出ても、ボールをうまく扱うこともできないし、人の動きもよく分かりません。当然監督やコーチ(親父)にも怒られ、決してサッカーを楽しんでいるとは言えませんでした。
ところが、中学校にあがりコンタクトレンズを付けると、それまではぼんやりとしか見ることが出来なかったサッカーボールや人の動きがはっきりと見えるようになり、急激に上達しました。
そして、サッカーをするのがとても楽しくなったのです。
私の世界はコンタクトレンズの力で急変しました。
ボールがはっきりと見えるから、次のプレーのイメージが湧いてくる。
ボールが見えるから、余裕をもって周りの味方の動きを意識することができる。
大袈裟かもしれませんが、見るものすべてが色鮮やかに見えたのです。
この当時の感動は今もまだハッキリと覚えていて、私の見ている世界の「解像度」が高まった瞬間でした。
私たちの身の周りには「見ているんだけど、よく見れていないもの」つまり「解像度が低いもの」が大変多く存在していると思います。
これはつまり、視点は持っているけれど、解像度が低いためよく分からないという状態です。
例えば「言葉は知っているんだけど、どういうことか説明することができない」というのは、その言葉に対しての解像度の低さを表す身近な例だと思います。
2018年頃に遡りますが、あるインフルエンサーのこんな発信を見かけたことがありました。
天才の本質はアウトプットではなくインプットにある。
彼らは世界に対する解像度が圧倒的に高く、普通に生きてるだけで普通の人の100000倍くらい感じたり気づいたりする。
だから、アウトプットも圧倒的にすごいものになる。
しかし本人にとっては普通に生きて普通に気づいたことを普通に表現しているだけ。
「視点の解像度」の力を思い知らされる内容だったので、メモしておいたものです。
今回書いておきたかったことはこんなところです。
引き続き新しい視点の獲得と、それを養うことをコツコツやっていきたいと思っています。
UnsplashのAnika Huizingaが撮影した写真
【著者プロフィールと一言】
著者:田中 新吾
プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車
現在は「RANGER」という名前ですが前身は「視点」を冠した名前でした。自分にとって大事なことの根本は変わっていないのだなと今改めて思います。
●X(旧Twitter)田中新吾
●note 田中新吾
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