田中 新吾

「なぜ同じ人間なのにこんなにも身体の動きが違うのか?」という疑問がようやく解けた。

タナカ シンゴ

トップアスリートの驚異的な「身体運動」には心が奪われる。

最近もUCLバルセロナ×ナポリ戦でリオネル・メッシ選手がスーパーゴールを決めていたが、観た瞬間に細胞レベルで興奮した。

本当に「メッシ人間辞めてて草」である。

しかし、このような驚異的な身体運動を目にすると、興奮するのと同時に「ある疑問」が浮かんでくる。

それは「なぜ同じ人間なのにこんなにも身体の動きが違うのか?」というものだ。

今までもオリンピックや世界陸上を見る度に何度も思ってきたことだったが、最近読んだ一冊の本が、この疑問を払拭して納得の行く答えを私に提示してくれた。

トップアスリート達が持つ「究極の身体(からだ)」

それは「ゆる体操」の創始者である高岡英夫氏の「究極の身体(からだ)」という本だ。

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この本の初版は2009年。

今から考えればもうずいぶん前のことだ。

しかし、武道と現代スポーツの双方に通じ、身体の動かし方の神秘を実践と体験を通じて研究されてきた独自の「身体論」が明かされており、その考え方にはいたく感銘を受けた。

「お値段以上」とはこういう感動を伝える時のための言葉なのだろう。

この本の中で高岡氏は、タイガー・ウッズ、ミハエル・シューマッハ、マイケル・ジョーダン、ディエゴ・マラドーナ、そしてウサイン・ボルトのような「世紀の大天才」と言われるアスリート達は、

人間の身体に残されている「魚類や四足動物の身体運動のDNAを無意識に開発してしまった究極の身体」の持ち主だと述べている。

また、曰くイチロー選手のような「天才・達人」といわれるような人達の身体も、この「究極の身体」に近い状態にあるという。

高岡氏によれば、トップアスリートと呼ばれる人たちは「究極の身体を持っている」あるいは「究極の身体に近いものを持っている」から、驚異的な身体運動ができるということに尽きる。

そして、この「究極の身体」の構造は「誰もが身体の中に持っている」ものだという。

というわけで、高岡氏が語る「究極の身体」について、

1.「究極の身体」は、人間の身体が持つ 「魚類構造」と「四足動物構造」 までを利用し切ることで生まれる

2.「組織分化」が進むと「究極の身体」に近づく

という2つのポイントで紹介していきたい。

「究極の身体」は、人間の身体が持つ 「魚類構造」と「四足動物構造」 までを利用し切ることで生まれる

高岡氏は、「究極の身体」を人類の進化のプロセスから定義している。

「究極の身体」というのは、人体の中で眠っている四足歩行の哺乳類(四足動物)、あるいは「魚類」の構造までをもみごとに利用しきることで生まれるものだ。

人類が誕生するまでには、進化の過程で魚類や「四足動物」の段階を経てきているので、すべての人の身体の中にはその身体構造が残っている。

その身体構造を利用して、「四足動物」や「魚類」の運動というものを具現化することができる肉体こそが究極の身体であるというのが、私の定義だ。

要するに、

脊椎動物の進化は、魚類 → 爬虫類 → 哺乳類 → 人間、と経てきているため、人間の身体の中には「魚類が棲んでいる」、また魚からもうワンステップ進化した「四足動物も棲んでいる」ということなのだ。

そして、「究極の身体」の原点は「魚類」にあるという。

生物の基本的な身体運動能力は、簡単に言うと「移動速度を身体の大きさで割る」ことで求めることができる。

この計算でいけば、人類よりは大半の「サル」の方が高い身体能力を持っており、サルよりも「チーター」の方が圧倒的に高速で移動する能力を持っている。

時速100キロメートルで数十秒でしか走ることができないチーターよりも、より長い時間時速100キロメートルで泳ぎ続けることができる海の弾丸「マグロ」の方が優秀ということになる。

優れた運動能力は「進化の先ではなく過去にある」ということなのだ。

そして、魚類以前の無脊椎動物は、魚類よりも優れた基本的身体能力を持っていないため、身体運動能力の基本はやはり「魚類こそが原点であり頂点になる」と高岡氏はいう。

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水中での急激な方向転換、空気よりも遥かに抵抗力がある水の中での高速移動、そして、餌を見つけた時に見せる急発進力。

たしかに魚類の身体運動は驚異的なものばかりだ。

高岡氏は、魚類のこれらの驚異的な身体運動は「脊椎(背骨)」と「認知反応力」という二つのメカニズムによって支えられているという。

一つはあの運動を作り出しているエネルギーの源「背骨」だ。

正確に言うと背骨とその背骨にくっついている筋肉だ。

彼らは魚だから、手足はつかっていない。魚には「ひれ」がついているが、あれは伝達器や方向転換時などのサポートとして使うもので、向きを変える時でも出力のメインはやはり背骨を中心とする体幹部だ。

そしてもう一つは、あの強烈な運動にふさわしい「認知反応力」だ。

たとえば、トビウオを追うマグロが、空に飛び上がったトビウオを水中で100メートル以上追いかけ、トビウオが着水した時にパクッと飲み込んでしまうのが、認知反応力だ。周囲を察知しながら、的確な判断を下す指揮系統というソフトウェアの部分だ。

魚類の身体運動は、背骨の運動というハードウェアと認知反応力というソフトウェアの両面が揃って、可能になっている。

ということは、魚はソフトウェアとハードウェアの両面がリンクしながら進化してきたということになる。そして、その要は「脊椎」にあるのだ。

考えてみれば、アンモナイトやカブトガニのような脊椎動物以前の生物の運動能力は、魚類とは比べものにならないほどレベルが低い。

つまり生物は「脊椎」を手に入れたことで身体運動を格段に進化させたのだ。

そして、チーターやライオンのような「四足動物」は、この魚類から受け継いだ「脊椎」の運動エネルギーを「四肢」に送り込むことで、驚異的な身体運動を行う。

のんびりトボトボと歩いている時は「四肢の動き」で行動しているが、疾走したり、獲物を追ったり、闘争したりという激しい運動を行う時は、「脊椎」を中心とした「体幹主導系」の運動に切り変わる。

チーターの強烈な走りを目にすると、ついつい四肢の動きに目が行きがちだが体幹部に注目すると、それはまさに地上を「泳いでいる魚」のようだ。

チーターの走りの主役は「脊椎(背骨)」であり「足」ではない。

魚類と同一なのだ。

そして、どの人間の身体の中にも残留しているこの「魚類」と「四足動物」の身体運動の構造を呼び覚まして、「究極の身体を目指そう」と高岡氏は一貫して主張する。

メッシのゴールシーンも、メッシを「魚であり四足動物」として見た方が色々腑に落ちる。

「魚」のような動きで三枚のディフェンスをスイスイとかわし、倒れそうになっても「四足動物」のような前傾姿勢のままバランスを保ち、鋭い眼差しで標的を見据え、しなやかでクイックな足の振りで、キーパーも反応できないところへゴールを決めている。

メッシはまさしく「究極の身体」の持ち主と言っていい。

「組織分化」が進むと「究極の身体」に近づく

ではどうすれば身体の中に残留する「魚類」と「四足動物」を呼び覚まし「究極の身体」に近づいていくことができるのか?

高岡氏は、その絶対条件に「組織分化(=身体が組織どおりに分化していること)」を挙げる。

組織というのは「様々な性質・形状を持ったパーツが、ある機能を発揮する為に特有の結びつきをして、全体として大きな統合性を持った存在」なのだから、その組織の違うパーツごとに本人が分化し、認識している状態こそ究極の身体と言えるのだ。

実は人間の身体というのは物体としてみると個人個人であまり大きな差はないらしい。

要するに、マイケル・ジョーダンと学校や地域のバスケットクラブの選手を比べても、イチローと普通の草野球の選手を比べても、筋肉の発達が違うなどの小さな違いはあるにせよ、筋肉は筋肉、骨格は骨格としてまったく同じなのだ。

ところが「生きて機能している身体」としてみると「まったく別物」に見えるという。

ジョーダンやウッズのようにものすごいパフォーマンスを発揮する身体というのは、筋肉はより筋肉らしく、骨格はより骨格らしく動いて見える。

これに対して、ごく普通の人の身体は、

筋肉が骨のように硬くなっていて、本来弾性のある筋肉が筋肉というよりも骨格に近くなってしまっていて、骨と筋肉が癒着している人が多いという。

つまり「組織分化」がされていないのだ。

これには私もずいぶん心当たりがある。

実際、腕は腕、足は足、腰は腰、胴体は胴体というような「大きな塊」としかとらえていなく、背骨(脊椎)も26個の骨から成り立っているものとは意識したこともない。

実際の背骨はしたのように頸椎が7つ、胸椎が12、そのしたの腰椎が5つ、それから仙骨と尾骨を1つづつと考えると、合計26個の骨から成り立っている。

にもかかわらず認識は「背骨は背骨」という具合だ。

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一方の「究極の身体」の持ち主は、「身体の構造・組織のとおりに分化している」という。

それによって、肋骨の上にある柔らかい筋肉をきちんと分離して動かすような身体運動ができたり、肩関節や肩甲骨たちを踊るように動かせるわけだから、普通の人とは違う身体運動が可能になる。

高岡氏曰く、マイケル・ジョーダンの身体はイカかタコのように柔らかく、グニャグニャでベロベロらしい。

そして、長年の研究から「体幹部(脊椎、腰、肋骨)の「組織分化」が進めば進むほど、身体運動に魚類や四足動物のような反応力が生まれてくる」ことを高岡氏は突き止めている。

つまり、「組織分化」を進めれば進めるほど、「究極の身体」に近づいていくということなのだ。

「なぜ同じ人間なのにこんなにも身体の動きが違うのか?」

この疑問が解かれた今、トップアスリートたちの身体運動を観ることが余計楽しみで仕方がない。

ちなみに、高岡氏によって開発された「ゆる体操」は、全身をくまなく使いこなし「究極の身体」に近づけるためのメソッドである。

私はこの体操をさっそく日常に取り入れるようになった。

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アスリートレベルの身体を今から目指すつもりは毛頭ないが、単純に自分の身体に眠る「魚類」や「四足動物」の構造に興味がある。

できることなら少しでも目覚めさせてみたい。

それに、つべこべいわずに黙ってコミットしてみたら全然違う世界が見えるようになるのは既に別のところで実証済みだ。

結局のところ、「高度化」は「組織分化」でしかつくられない

このように「究極の身体」がどのようなものなのか、「究極の身体」にはどうすれば近づくことができるのか、について書かれた本書だが、

私が気に入ったのは、高岡氏の「高度化する方法」である。

組織というのは「様々な性質・形状を持ったパーツが、ある機能を発揮する為に特有の結びつきをして、全体として大きな統合性を持った存在」なのだから、その組織の違うパーツごとに本人が分化し、認識している状態こそ究極の身体と言えるのだ。

これは何も「身体」にだけ当てはまるものではない。

思うに、仕事も趣味もそれにおける技術や知識も何もかもが「組織の構造」で、すべてが「組織分化」によって高度化され、そして究極へと向かっていく。

というか「組織分化」することでしか、高度化もされなければ究極にもたどり着くこともない。

GoogleのCEOは全社員の声を聞いている」という話があるが、これはまさに「会社組織の高度化」を目指した「組織分化」の取り組みだと言える。

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要するに、「究極の身体」には「物事を高度化するための本質」が記されていたのだ。

高岡氏は「現代人は身体資源の20パーセント程度しか使いこなしていない。そして、残りの使われない80パーセントの身体を維持するために、地球という資源を無駄に食い潰している」という。

耳が痛い話だが本当にそうだ。

もう「地球の資源」を無駄使いするような時代ではない。

これからは一人一人に与えられた「身体という資源」を、進化の流れとは逆に発掘し直し、それを使いこなしていく時代にきている。

「究極の身体」は、「時代の指南書」にもなっているのかもしれない。

以上、何かの参考になれば。

Photo by Joyce McCown on Unsplash

【著者プロフィール】

田中 新吾

プロジェクトデザイナー/企業、自治体のプロジェクトサクセスを支援しています/ブログメディア(http://ranger.blog)の運営者/過去の知識、経験、価値観などが蓄積された考え方や、ある状況に対して考え方を使って辿りついた自分なりの答えを発信/個人のプロジェクトもNEWD(http://ranger.blog/newd/)で支援

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