田中 新吾

人間が「質の高い学問的活動」を行うために重要な鍵は何なのか?

タナカ シンゴ

唐突ですが、私は以前「知的生産の技術」という本に出会ってから「梅棹忠夫さん」という方の本をよく読むようになりました。

30代半ばになって偶然、自分にあった「日記の書き方」を見つけた、という話。

梅棹忠夫さんについて少し触れると、

梅棹さんは、日本における「文化人類学のパイオニア」と呼ばれ、今では当たり前になった「情報産業」という言葉を日本で初めて用い、「情報産業論」という本で日本中にセンセーショナルを起こした人だと言われています。

「知的生産の技術」は、そんな梅棹さんが多くのフィールドワークの経験から導出した情報整理法がまとめられベストセラーになったものです。

そんな梅棹さんは、青年期から登山と探検(=フィールドワーク)にとにかく精を出されたそうで「日本探検」「山を楽しむ」といったタイトルの本も出されています。

それぞれ読みましたが個人的にはめちゃくちゃ面白かったです。

どちらも読んだ上で「山を楽しむ」の中にあった「山と学問」というパートに書かれていたことが、個人的には特に学びが多かった箇所になるので以下で抜粋してご紹介させてください。

2001年に行われた信州大学人文学部教授の中嶋聞多さんとの対談の中でのお話です。

すべての学者が山をいつくしむことはありません。

しかし、山は学者を育みます。育てます。

学問というのは体力を伴うものです。

全人格的、全人間的なものです。

体、肉体の運動を伴うわけです。

それを伴わない学問、そんなひ弱なものはだめなんです。

(中略)

肉体的な行動を伴わない学問というのはだめなんですが、同時に文献を踏まえていない学問は、全くだめなんです。

学問には両方いるんです。

わたしはフィールド派として出てきた人間ですから、山というフィールドで学問をやってきた。

京大の中でも、やはり二つの派がありました。

フィールド派はどちらかというと新しいんです。

学問といえば本を読むことだと心得ている人が実に多いんですが、そうではないんです。

学問は確かに本を読む必要がありますけれど、自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える。

そしてアウトプットを出す。これが一番大事なことです。

自分自身の人生経験もふまえて、とても納得のいくお話でして「質の高い学問的活動」を行うために、何が鍵なのかが自分の中で明確になった瞬間でした。

以来「肉体的な行動」と「文献」の両方をふまえることを強く意識するようになりました。

そして最近になり、ふと「質の高い学問的活動」を行う鍵についてGPT先生はどう考えるのか?聞いてみようと思いました。

以下、GPT先生から返ってきた内容です。

1.基礎知識とスキル

理解力: 学問の基礎となる理論や概念をしっかりと理解している必要があります。

研究技術: 実験デザイン、統計解析、プログラミングなど、特定の研究活動に必要な技術的スキルも重要です。

2.問題解決と創造的思考

分析力: 問題を独自の視点で解析し、複雑な情報から本質を見抜く能力。

創造性: 既存の知識やデータから新しいアイデアや仮説を生成する力。

3.精度と慎重さ

データの整合性: 研究データが正確であり、誤りや偏見が含まれていないかを常に確認する。

詳細な文献調査: 学問の歴史や既存研究を十分に理解し、自分の研究がどのように貢献できるのかを詳しく知っている。

4.コミュニケーションと協力

明瞭な表現力: 研究成果を他者に明確かつ簡潔に伝えられる能力。

チームワーク: 研究はしばしばチームで行われるため、協力とコミュニケーション能力が求められます。

5.倫理と誠実性

研究倫理: 研究の進行過程での倫理的な検討や誠実な報告は必須です。

6.持続性と情熱

継続的な学習: 学問は進化し続けるものであるため、新しい情報を常に吸収し、スキルをアップデートする必要があります。

情熱: 長期間にわたる研究活動には、そのテーマに対する深い興味と情熱が不可欠です。

以上のような要素が総合的に備わっていると、質の高い学問的活動が可能になるでしょう。

なるほど。

この回答に対して反論できる余地はほとんどないのではないでしょうか?

いずれも質の高い学問的活動を行うための鍵と言って間違い無いように思います。

しかし、です。

前述の梅棹さんのいう「肉体的な行動」についてはどこにも記述が見当たりません。

去年の秋ごろから生成AIに関する話題が急激に増え大騒ぎになりました。

最近ではその騒ぎもだいぶ落ち着いているように思います。

しかし、社会への浸透の流れはもう不可逆なのでしょう。

ここで個人的にしっかり考えておきたいと思うことは、自らは一度も経験したことがない、そんな身体性を持たないAIが、この世で誰よりも一番わかりやすく詳細に説明できてしまう世の中に日々向かっているということです。

身体的な納得感を持たないAIが、それを知らない人間に教えを諭す世界がもう間近にきている。

AIは「学習をする」ことは本当に得意です。

しかし、人間と同じような「質の高い学問的活動」はきっとできない。

というか、身体がないのだからAIには「学問をする」こと自体ができないのでは?

彼らには身体がなく、肉体的な行動が取れないからです。

高度AI時代を生きるからこそ、人間である以上は「肉体的な行動」を中心にした学問的活動を行っていきたい。

そんな思いです。

Unsplashjose aljovinが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車

引き続き梅棹さんが書かれた本には触れていきたいと思っています。

●X(旧Twitter)田中新吾

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