田中 新吾

やりたいと思ったことにチャレンジする場合、その環境を整える要素として必要なことについて。

タナカ シンゴ

日立製作所のフェローであり、幸せの研究で知られる株式会社ハピネスプラット代表の矢野和男さんは数多くの人間、組織、社会行動の研究から「行動の結果にかかわらず、行動を起こせば幸せになれる」という研究成果を以下の本の中で報告している。

これは本当に大きな成果だと私は思う。

先にその内容についてざっくりとだが触れておきたい。

まず「幸せ」というものは「生まれ持った遺伝的な性質」に影響されることが分かっている。

地道な双子の研究から見出されたことで、幸せのおおよそ「50%」は「遺伝的に決まっている」ということで、生まれつき幸せになりやすい人と幸せになりにくい人がいる。

頭で考えると「すべては努力で変えられる」と信じたいところであるが、実際には遺伝が影響していおりこの状況はどうにも変えられそうにない。

しかし、大事なのはもう一方の「遺伝的な影響を受けない残りの半分の幸せ」の方だ。

矢野氏は、この残り半分の幸せというのは「後天的な影響」によるもので、努力や環境の変化で変えることができるものだと述べている。

この報告は私たちにとってなんとも喜ばしい知らせではないだろうか。

そして、後天的な影響をさらに分けてみていくとそこには遥かに大きな発見があったという。

「環境要因」は幸せに「10%」程度しか影響しない

私たちには、一般的な観念として、結婚してよき伴侶を得たり、新しい家を購入したり、多くのボーナスをもらったりすると幸せが向上するというものがある。

一方で人間関係に大きな摩擦が生じたり仕事で失敗するなどがあると不幸になると考えがちだ。

しかし実際のところはこのいずれもが小さな効果しかないという。

環境要因による「幸せ」に関しては、それが不幸であったとしても、私たちは自分が想像するより遥かに短期間のうちに環境要因に慣れてしまうというのだ。

環境要因による幸せは一時。

そして不幸も一時なのだ。

環境要因に含まれるものは、人間関係、お金、健康まで幅広い。

しかし、これらの環境要因をすべてあわせても幸せに対する影響は全体の「10%」に過ぎないという話は、私にとっては大きな衝撃となった。

「本当かよ?」と思う人もいるかもしれないが、これは大量のデータに裏付けられ、慎重に統計解析された結果だと矢野氏は述べている。

多くの人がこうした環境要因を変化させ向上させるための努力をしているのは、頭の中では、その結果が「幸せに結びつく」という共同幻想を持っているからだろう。

矢野氏が行ったデータ分析によれば、この努力は決して無駄ではないが幸福にはそこまで影響がない。

あっても「10%」程度だ。

結果にかかわらず行動を起こすこと自体が人の幸せ

そこで気になるのが残りの「40%」の幸せは何が影響するのか?という話である。

結論を言ってしまえば、残りの40%は「日々の行動のちょっとした習慣や行動の選択の仕方に影響する」。

特に「自ら主体性を持って積極的に行動を起こしたかどうか」が重要な要素になり、行動を起こしたかによって人間は幸福感を得るというのだ。

例えば、人の好意にしっかりと感謝を示す、道端に落ちているゴミを拾う、公共交通機関でお年寄りに席を譲る、というような一見簡単なことでも幸せは格段に高まる。

そしてさらに重要なことは、その行動の結果が成功したか失敗したかは関係がないという。

まとめれば「結果にかかわらず行動を起こすこと自体が人の幸せ」と言えるだろう。

これはなんとも有難い話ではないだろうか。

なぜなら「成功」というものはランダムで非線形に訪れるため、そんな簡単に得られるものではないからである。

私たちの脳は非線形性を扱うようにはできていない。

たとえば、二つの変数の間に因果関係がある場合、人は、原因のほうの変数が安定していれば結果のほうの変数も必ず安定しているものだと思う。

たとえば、毎日勉強していればそれに比例して何かが身についていると思う。

進んだ気がしないとやる気が出ない。

でも、現実は厳しく、線形で正の進歩なんてめったにない。

一年勉強してなんにも身につかないけれど、結果が出ないことにうんざりして止めたりしなければ、ある日突然何かか訪れるのだ。

従来的な考え方では「成功という幸せ」を得るためには、長い道のりと忍耐の時間が必要だと考えている人の方が多いように思う。

少なくとも私に関しては「データの見えざる手」を読む以前まではこういう考えがゼロではなかった。

ところが矢野氏がデータから導き出した結論は違った。

極端に言ってしまうと、今この瞬間にも幸せを得ることができるかもしれないのだ。

これを前提とすると幸せを得るための発想は全くもって変わってくる。

幸せの40%というのは、その結果、成功しようとしまいと、行動を積極的に起こしたかどうかによって決まるからである。

この考え方は、私がそれまで感覚的に捉えていた「幸せ=変化度」とも結びつき、その解像度を上げてくれるものにもなった。

関連記事:自分一人でも製造できる「幸せ」と、自分一人では製造できない「幸せ」の取り扱い方について。

そして、この「40%」が「予測不可能な時代を生き抜く鍵になる」ということで矢野氏の最新書籍「予測不能の時代:データが明かす新たな生き方、企業、幸せ」にも繋がってくる。

この本については以前の記事でも取り上げているため読んでみていただければありがたい。

関連記事:「面倒くさい」を乗り越えるために、本当に重要なことは「幸せでいる」ことだった。

やりたいと思ったことにチャレンジする人、チャレンジを続ける人はどのくらいいるのか

以上のような話をふまえると「じゃあ、やりたい!と思ったことにはどんどんチャレンジしよう」と考える人が沢山出てくるのではないだろうか?

チャレンジした結果にかかわらず行動を起こせば幸せを感じることができるのだから。

報酬はすぐそこまで来ている。

しかし、私のこれまでの経験則でいけば「やりたい!」と思ったことにチャレンジする人というのは、実際にはかなり限られる。

その人にとって難易度が高いものの場合は100人いたらそのうちの1人くらいの割合だ。

チャレンジを続けられる人はさらに限られていくといった実感も強い。

少し前にこんなツイートをみかけた。

したい人が100人、はじめる人が50人、続ける人は10人。

言われてみるとこの割合は確か納得がいく。

何かをしたい人の手前には数多くの何もしたくない人もいるのだ。

それにしても、だからこそ「やりたい!と思ったことにチャレンジできる人、チャレンジし続けることができる人」は貴重な存在として周囲からも高く評価されるのだろう。

以前の記事にも書いた私の知人女性は間違いなくそのうちの一人である。

関連記事:思っていても実際に行動する人間は少ない。だからこそ、行動には大きな価値がある。

「今すぐ行動を起こせば幸せになれる」という矢野氏が導出した刮目すべき研究成果を知れば、前出のツイートの割合も多少ポジティブに変わってくるのかもしれない。

しかし、もしそうだとしても始めたチャレンジを続けられる人の割合はそれほど変わらないのではないだろうか。

このような具合に私の中では長らく「矢野氏の研究成果の他に一体何があれば、人はやりたいと思ったことに前向きにチャレンジすることができ、そのチャレンジを継続することができるのか?」という疑問があった。

「やる気」があればいいのだろうか?

もちろん「やる気」がなければチャレンジは始まらないが「やりたい!」と思うことにやる気がないわけがない。

「やる気」を継続させることの方が課題ではないだろうか。

そんな私の中には一つ、誰かがチャレンジを起こしそのチャレンジを続けるためには「自分のことを見てくれている、伴走支援をしてくれる存在が必要なのではないだろうか?」という仮説があった。

例えば昔の話になるが、2000年シドニーオリンピック金メダリストで、国民栄誉賞を受賞した「Qちゃん」こと高橋尚子選手でいうところの「小出監督」のような存在である。

「安心安全の土台」と「伴走者」

そんなようなことを思っていた今年の秋口頃、私に納得にいく答えを提示してくれる一冊の本に出会った。

子どもが心配 人として大事な三つの力」という、解剖学者の養老孟司さんと4名の識者による対談本である。

私に納得の行く答えを提示してくれたのは、医療少年院で非行少年の認知能力の低さに愕然とし、子どもの認知能力の向上のために努めてきた宮口幸治先生という方との対談だった。

以下、引用にてご紹介したい。

親は「安心安全の土台」と「伴走者」になることが求められる

宮口 ありがとうございます。もっとも「やる気」があるだけでは十分ではありません。

やりたいと思ったことにチャレンジする場合、その環境を整える要素として、「安心安全の土台」と「伴走者」が必要です。

子どもを電気自動車にたとえると、親は充電器に相当します。

子どもが外でいろんな経験をすれば、当然、エネルギーを消耗します。

そうしてなくなった分を、帰宅してから親に充電してもらう。親という充電してくれる存在が、「安心安全の土台」になります。

ただ問題が一つ。親が安心安全の土台になっているつもりでも、子どもにとってそうなっていない場合があるんですよ。

電気自動車の充電器で言えば、電圧が違うとか、ある場所が一定しない、気まぐれに動いたり止まったりする、機械自体が壊れているなど、充電器としての機能がちぐはぐだと、ほとんど充電されません。

親としては充電の仕方がトンチンカンになっていないか、確認が求められるところです。

また「伴走者」は、車の助手席に乗っているイメージです。

「一人でやりなさい」と突き放すのは、教習所で運転を学んだあとにいきなり首都高速に乗れ、というようなもの。

子どもが新しいことにチャレンジするときは不安ですから、最初のうちは伴走者として見守ってあげるのがいい。とはいえ口出しは禁物です。

「そこ、早くブレーキを踏みなさい」「もっとスピードを出しなさい」「早くハンドルを切りなさい」などと言ってはダメ。

そっと見守り、何か困ったときにアドバイスしてあげるといいでしょう。

そしてさらに、このような「安心安全の土台」と「伴走者」が必要なのは認知機能の弱い子供だけでなく「一般の子供」「大人」でも同じという話もあった。

このことは、認知機能の弱い子どもだけではなく一般の子ども、ひいては大人でも同じ。

「安心安全の土台」と「伴走者」がなくては、チャレンジがうまくいかないのです。

難しいかもしれませんが、挑戦する者の気持ちになって考えてあげることが大切ですね。

「電気自動車」という喩え方も秀逸で、この箇所は私にとって本当に大きな収穫となった。

人が「やりたい」と思ったことにチャレンジする場合、その環境を整える要素として「安心安全の土台」と「伴走者」が必要。

この考え方はこれまでの人生経験とも見事に結びつき、綺麗に腹落ちもする。

最後に宣伝的な話になってしまい恐縮だが、今年11月初めに当メディアRANGER上で「NEWD」というサービスをリリースした。

これは個人の方の「これをやりたい!」を一緒にプロジェクト化して、進行を伴走支援することで、やりたいことの成功確率を高めることを目的とした内容である。

「個人のプロジェクト(趣味、学習、習慣化など)」のお手伝いをイメージしてリリースしたものだが、蓋を開けてみると、これをきっかけに「法人のプロジェクト」のお手伝いもスタートしたりしている状況。

参照:山岳業務実行ベンチャー/経営改善プロジェクトの伴走支援

そして前述した「安心安全の土台」と「伴走者」についての話は、NEWDをリリースする本当に直前に偶然得た知見で、サービス開始に至る最後の一押しになったことは紛れもない事実である。

「これをやりたい!」と思うことに取り組めずに困っている人。

「これをやりたい!」と思うことをやっても中途半端になってしまい困っている人。

このような方々にとっての電気自動車の充電器、および助手席的存在になり「挑戦という行動」による、幸せ形成の一助に少しでもなれればという思いでいる。

何かあればお気軽にご相談ください。

UnsplashMulyadiが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスクと時間を同時に管理するメソッド)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

ハグルマニの週報

NEWDをリリースしてから早いこと2ヶ月になりますが、この行動によって得られた「幸せ」は間違いなくあるなとしみじみ実感しています。

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最後まで読んでくださりありがとうございます。

これからもRANGERをどうぞご贔屓に。

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