人生あっという間に過ぎてしまっては、長生きだとは言えない!?本当に長生きする方法。
夏が終わって、急に寒くなった。
「このままだと、秋や春がなくなって夏と冬だけになってしまうんじゃない?」
最近の気候変動を憂う声が聞こえてきた。
確かにここ数年は、夏の暑さ具合といい、急な寒暖差といい、昔とは違ってきているように感じる。
とは言うものの、ホントに秋や春がなくなるんだろうか?
また、変に物事を疑り始める。
人の暑いあるいは寒い、といった不快感は、その感覚をアラートとして危機に対応するために授かっているものである。
人は生きていくために、暑いなら冷やさないとならないし、寒いなら暖めないと健康に生きられない。
つまり、不快な瞬間は気がつかないとならないから、印象に残るようにできていて、逆に快適な瞬間は放っておいていいから、印象に残らないようにできている。
その結果、感覚的に、不快な夏と冬は長くて、春と秋の快適な期間は短く感じられるはずなのだ。
それで、春、秋は実際よりも少なく見積もられているんだろうと私は感じるのだ。
「快適だと何も残らない。」
この変な疑りから、似たような人の感覚に関することを思い出した。
時が早く過ぎる
私は年を重ねる毎に、話の合う人とばかり食事をするようになってきている。
当たり前のようだが、昔に比べればずいぶんワガママに、そしてずいぶん贅沢になったものだ。
そのせいなのか食事が楽しくて、食事の時間があっという間に過ぎてしまう感覚が最近また強くなったように感じる。
掛け合いが楽しくて、話が密になればなるほど、話に集中すればするほど、時間が早く過ぎる。
「この前は楽しかったねえ・・・、あれ?あれはもう夏のことかあ・・・。」
すぐに時間が過ぎてしまうから、またすぐに先の予定を組まないとならなくなる。
この時間があっという間に過ぎるという感覚は、誰もが経験していることだろう。
どうやら、楽しい時に出てくるドーパミンという脳汁が、人の主観的な時間感覚を制御しているらしい。
それで、脳汁が出ると時間が早く過ぎるように感じるというのだ。
その他にも、年をとると時間が早く過ぎる、と言うのがある。
私が、時間が過ぎる感覚が最近強まったのは加齢のせいもあるのだろうか?
年をとると時間が早く過ぎる、にはいくつかの解釈がある。
「ジャネーの法則」
人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する、という法則。
要するに、年をとるにつれて自分のこれまでの人生における「1年」の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が早く過ぎると感じるのだという。
「アインシュタインの相対性理論」
速い乗り物の中では時間が伸びる。1秒が長くなる。
遅い乗り物の中では時間が短くなる。1秒が短くなる。
つまり、速い乗り物の1秒は、遅い乗り物の1秒よりも長い。
この時間が伸び縮みするという理論から、自分が加齢とともに頭の回転が悪くなると、周りがすべて速く感じられる、という仮説を立てた人がいる。
恐ろしい仮説だ。
これがホントならば、これからの私なんかは更に頭の回転が悪くなる一方だから、この先、もっと時が早く過ぎてしまうということになる。
ウーン、困ったものだ。
年をとるということは、これらが重なって倍々で時が早く過ぎる!?ということなのか・・・。
年齢の余命以上に感覚的余命というものは短いのかもしれない。
そこに上乗せで脳汁なんかを出してしまったら、トリプルパンチで更に余命が短くなってしまっているのかもしれない。
長生きしたい
私は、健康で長生きするために時間とお金を使ってきた健康オタクの一人である。
そんな私にとってこれは衝撃的な内容だ。
仮に100歳まで生きられたとしても、快適に過ごす時間が長ければ長いほど、そして楽しい時間が多ければ多いほど、感覚的に人生はあっという間に過ぎてしまう。
長生きしたいと言っても、何も100歳まで生きたという称号が欲しいからやってるわけではない。
人生を可能な限りじっくりと味わって終えたいのだ。
ならば、ホントの長生きとは、この感覚的時間が長いことであって、それがあっという間というのはまことにもったいない。
健康オタクとしては、もう一度生き方を見直して、ホントの長生きを手に入れねばならないのだ。
まずは、日々快適であってはならない。
春は、まだ雪深い、北国に旅行しよう!
秋は、まだ暑い沖縄へ。
暑い、寒い、の苦痛を一瞬一瞬に刻みながら我慢していると時間がなかなか過ぎていかない。
そして老いてから、脳汁を出すなんてのはもってのほかだ。
だから、話の合う人との食事は厳禁!
早く終わらないかなあ、とたいそう退屈して時間がゆっくり流れる人とだけ食事をする。
私はこれまでは大好きな食べ物(卵焼きなど)を最後まで取っておくタイプだった。
前回記事では、その癖を止めにしてこれからは好きなものは真っ先に食べることにしよう!と書いたのだが、早速前言撤回。
食べたいなあ、早く食べられないかな、と待ち焦がれれば待ち焦がれるほどその時はなかなかやって来ない。
自分をジリジリさせれば、同じ10分という時間を引き伸ばすことができる。
感覚的な長生きのために人生を長引かせるのだ。
そうだ、小学生の6年間は長かった、という感覚。
あれは、6年間のあの兵隊のような授業が退屈で苦痛だったからではなかったのか?
ジャネーの法則によるものジャネーんじゃねぇの?(ダジャレ)
そうか、このことをわかっている人が護摩行やら滝行やらをやってるんだ!
これから何かの苦行を始めてみようか。
「暑いねえ、今日は・・・」
「寒いねえ、やだやだ・・・」
「いやー、北海道は春でも寒さが厳しくて風邪ひいて帰ってきたよ~」
「護摩行は、苦しくてあんなもん二度とやらない・・・」
世間話を不快感の愚痴で埋める。
苦痛を経験すると後日談も充実する。
快適だった話なんてものは犬も食わない。
人生は、不快と苦労だらけで、大変だった!と振り返ることで、人生の長さを実感できるものなのだろう。
これこそが本物の長生きなのだ!
人生に快適や楽しみを敷き詰めて生き急いではならない。
・・・
この結論に落ち着こうとした時、また別の解釈を見つけてしまった。
夢中になって楽しんで、時間があっという間に過ぎている人は、その体感通りに時間が経過してないから、フケないんだという。
ダメージが少ないと120歳までもつように人間はできているとも・・・。
確かに、寿命にはストレスが影響するから、夢中で楽しんでいるとストレスは少ないように思うが、フケないとはホントだろうか?
イメージしてみよう!
例えば、あっという間で50年くらいに感じる120年間と、しっかり味わって80年に感じられる80年間ではどちらがいいだろうか?
ウーン、わからなくなってきた・・・。
ここでやっと我に返る。
やっぱり今となっては退屈な食事も耐えられないし、護摩行も滝行も勘弁。
情けないかな、年をとると何事においても我慢できなくなってくる。
どうやら消去法で、あっという間の120年間を選ぶしかないように思えてきた。
ということで、またもや前言撤回!
私は、不快を避けて、快適と夢中を貪りつくしながら、脳汁を出してこれからのあっという間の人生を駆け抜ける!
・・・感覚的に短かろうが、駆け抜けるしかない!
と、妥協の産物のような結論が出たところで、ここまでの自分を眺めてみると、年齢での長生きにケチをつけるところから始まって、最後には上から目線で、MAX寿命?の120年間を当たり前のように選ぶ。
どうやら私という者は、自分が長生きした時の周りの迷惑を考えることもなく、どこまでも身勝手で欲深い人間のようだ。
UnsplashのAnaya Katlegoが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
120年間をどこか普通に選ぶ私。
その変な自信の根拠を探したら、私の太くて長い生命線のようでした。
ホンマか??という感じです。笑。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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