田中 新吾

「長期休暇のどんなところが好きですか?」と質問されたら、どう答えるかという話。

タナカ シンゴ

唐突な質問で恐縮だが、みなさんは「長期休暇のどんなところが好きですか?」と聞かれたらなんと応えるだろうか?

忙しさから解放されてリフレッシュできるところ。

旅行に行くなどで新しい経験ができるところ。

趣味やマイプロジェクトに打ち込むことができるところ。

家族や友人との時間をたっぷり設けることができるところ。

未来の計画をゆっくり立てることができるところ。

個々のライフスタイル、あるいは価値観によって「長期休暇が好きな理由」は恐らく異なり、例に挙げたものの組み合わせもあり得るのだろう。

かくいう私に関しては、どれもが理由として挙がる。

リフレッシュ、新しい経験、人間関係の充実、趣味やマイプロジェクト、未来の計画。

まさしく長期休暇で得られる価値だ。

しかし、私にはもう一つ挙げたい重要な理由がある。

それが「思考を研ぎ澄ますことができるところ」というものだ。

実は今の私にとってはこれが長期休暇が好きな理由マイランキングの一番に、くる。

突き詰めると「未来の計画をゆっくり立てられる」や「リフレッシュできる」という理由も「思考を研ぎ澄ますことができる」の結果としてもたらされる価値という解釈。

しかし、ずっと以前からこうだったわけではなく、このような言語化ができたのは30代半を迎えたあたりだった。

それ以前は普段できない「趣味やマイプロジェクトに打ち込むことができる」あたりが上位にきており、人生は諸行無常なのだとあらためて今思う。

これ以降は「思考を研ぎ澄ますことができるところ」についての補足説明になるが、個人的な話で申し訳ないが今年のGWはどのような過ごし方をしていたのか?についてから話を進めていきたい。

今年の私のGW

今年のGWは前半は沖縄、後半は静岡県下田という普段とは異なる「海辺での暮らし」を満喫していた。

沖縄を訪れたのは大学4年生ぶりの人生二回目である。

当時は本島滞在だったのに対して、今回は石垣島、竹富島、小浜島と本島以外の島に行ったため見る、知る、感じるものの全てが初体験となった。

石垣島で食べた石垣牛の鉄板焼き

竹富島の海

小浜島の可愛いシーサー

しかし振り返れば、暮らす場所を沖縄に変えただけで、歩いたり、走ったり運動をして、本を読んで、飲食をして、ゲームをして、サッカー観戦をして、寝て、といったように日々の行為については通常とほとんど変化ナシ。

ただ表面的には同じでも、その中身が変われば感じることもまた違うことを再認識した旅になった。

そして、沖縄から自宅に戻った後はすぐさま静岡県下田へ。

下田に行くのは数えるとかれこれ十回程になる。

いずれも妻のおかげだ。

下田の海

ポップアップのハンバーガーショップ

そんな下田でも日々の行為は沖縄同様に変わらず。

本当に簡単ではあるが今年のGWはこんな形で過ぎていった。

なぜ思考は研ぎ澄まされていくのだろうか?

そして、このような過ごし方をしている中で「とあるテーマ」についての思考がものすごく研ぎ澄まされていったのだ。

そのテーマについてはここで詳しくは触れないが、個人的にはかなり満足の行く思考ができたと思う。

この特定のテーマが研ぎ澄まされていく感覚は、何も今回が初めてではなくこの前の正月休み、昨年のGWでもあったものである。

一体なぜ長期休暇中に思考が研ぎ澄まされていくのだろうか?

これは思うに、デイリーと比較して頭の中の「考えごと」がガクンと減るから。

人間には「質問をされるとその質問内容を考えてしまう性質」があると言われる。

これは経験則からも納得がいく。

であるから、考えてほしければ「質問」をすればいいわけだ。

私たちの日常というのは、仕事に家庭に、様々な質問や問いが生じる環境に常に囲まれている。

そのためいつも大量の「考えごと」が私たちの頭の中には発生していると言えるのではないだろうか。

これに対して、長期休暇中は当然ながら普段のように仕事は行わない。

多くの質問や問いを発生させる環境が一時的にでも減るのだから、頭の中で処理しなければいけない「考えごと」も劇的に減る。

以前も記事にしたとおり「人間は意識では仕事とプライベートをはっきり区別しているつもりだが、実は人間の脳はそうはなっていない」とあるとおり、人間の脳はオンオフを切り替えることができない。

参照:「ワークライフインテグレーション」は脳からしても理にかなっている?

そして、脳は止まることなく常に動き続けている。

参照:「脳は疲れない」という知見を知って、「時間の使い方」を見直した。

これらをふまえて思うのが、「考えごと」が著しく減った頭の中で、それでも残った「考えごと」について脳が働き、その「考えごと」について思考が研ぎ澄まされていくのではないか?というもの。

脳の専門家ではないため本当のところは分からないが、長距離ランニングやトレイルランニングをしている最中に、頭の中から沢山の考えごとが削ぎ落とされていき、それでも残った考えごとについて凄まじく研ぎ澄まされ、それが重大な決断につながったという経験も何度かしたことがある。

長期休暇で得られる経験はこれとも非常に似ている。

共通しているのは、それをしている最中は頭の中の考えごとが一時的にでも劇的に少なくなるというものだ。

大事なのは思考力ではなく「思考量」

話は少し変わるが「思考力があるのかないのか?」という話を時々耳にする。

これについて私の持論を述べると、大事なのは「どれだけ考えたか」、つまり思考力ではなく「思考の量」。

この世の中には「思考力の高いひと」と「思考力の低いひと」がいるわけではなく、「何にも考えていないひと」と「すごく考えているひと」がいるだけ。

そして、全てのひとは「何にも考えていない」と「すごく考えている」を両極に置いた、同一直線上のグラデーションのどこかしらに存在している。

例えば、ひとの話のおもしろさというのもこの思考量に比例している。

同じテーマであったとしても「5分考えたことを5分話すひと」と「100時間考えたことを5分話す人」がいるからおもしろさは違って当たり前。

今、5分かけて話したことは、一体何時間かけて考えたことなのか?

思うに、これが話していて面白いひととそうでないひとの差になっているだけでとてもシンプル。

思考に限らず、あらゆる行為のクオリティは「量が規定している」というのが経験からくる私の主張だ。

そして思うに、長期休暇で思考が研ぎ澄まされていく現象もまさにこれ。

頭の中にある考えごとの全体量が減り、少ない考えごとについてとことん考えることができるため、研ぎ澄まされていくといった理屈だ。

逆に言えば、普段は考えごとが多すぎるゆえに、本当に思考を研ぎ澄ますことができていないのではないだろうか?という考えも生まれ、それが自分の戒めにもなる。

一つに対してとことん考えるのはいいこと。

それを妨げる「考えごとが多過ぎる状態」というのは思考的にはよくない。

今回こうして文章化してく中で、この先の人生ではQOLの向上のためにも「頭の中の考えごとを減らす工夫」については意識をして取り組み、今以上に積極的に試行錯誤していきたいと思うにも至った。

以上が「思考を研ぎ澄ますことができるところ」という理由についての補足である。

今回書きたかったことはこんなところだ。

みなさんにおかれては、長期休暇のどんなところが好きだろうか?

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車

初めて小浜島の「はいむるぶし」にステイしてたのでですがゆっくりできる良いところですね。オススメです。

●X(旧Twitter)田中新吾

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