「いいパス」を出すためには「そのパスはチームをより好ましい状況にするのか?」という本質的な問いかけが欠かせない。
出だしから自分の話になってしまい申し訳ないが、他者からの仕事のフィードバックとして以下のようなものを時々もらうことがある。
「田中さんはいいパスを出してくれるんですよね」
つい最近もいだだくことがあった。
私は20代後半の頃、どんな種類、どんな規模のプロジェクトであっても「いいパス」が繋がっていくことでプロジェクトサクセスに結びつく、という考えをそれまでの仕事経験をふまえて強く持つようになった。
今もなお仕事において大切にしている心がけの一つだ。
だからこそ「いいパスを出してくれるんですよね」という他者からのフィードバックは私にとって最大級の褒め言葉になる。
自分の大切にしているものが認められた時というのは何とも特別な感情が湧いてくる。
ナリフリをよく見てしっかり評価して下さる相手には本当に感謝が尽きない。
いいパスを出す。
いいパスを繋いでいく。
こういう表現が今の自分にフィットしているのは、幼き頃から経験を積んだ「サッカー」の影響がだいぶ大きい。
今となっては自分でプレイすることは皆無となってしまったが、欧州プレミアリーグを中心としたサッカー観戦は日常生活の一部となっている。
そんなサッカー観戦においても注目しているのはやはり「パス」だ。
決定機を演出するパスを筆頭に、いいパスが繋がっていくチームの試合は観ていて本当にエキサイティング。
観戦中はいいパスを出すための「パスを受ける動き」にも注目している。
ここまで散々「いいパス」という言葉を使ってきてからで申し訳ないのですが、では仕事における「いいパス」とはどんなパスのことを指すのか?
相手からのメールに対して素早くメールを返すのがいいパスなのだろうか。
資料提出を求められた時、ある程度誰が見てもわかるような資料を提出することがいいパスなのだろうか。
外注先に依頼したい内容を丁寧に整理して、仕事を依頼することがいいパスなのだろうか。
思うに、いずれもそのチームの状況によってはいいパスになりえる。
というのは、私は「そのパスによってチームがより好ましい状況になる、それがいいパス」だと思うからだ。
ミスターラグビー平尾誠二氏の本質的な教え
話は変わるが「平尾誠二」という名前をご存知だろうか?
ラグビー好きや経営者ならこの名を知らない人はきっと少ないのだと思う。
平尾誠二。
1963年生まれ。
同志社大学大学院総合政策科学研究科修士課程修了。
中学からラグビーを始め、伏見工業高校で全国大会優勝。
同志社大学で大学選手権3連覇、神戸製鋼で日本選手権7年連覇を達成。
ワールドカップに3大会連続出場。
日本代表キャップ数35。
日本代表監督を務め、1999年ワールドカップにチームを導く。
神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーも歴任。
そんな平尾誠二氏の別名は「ミスターラグビー」。
日本ラグビー界を背負い、その将来を切り開くスター人物として知られる人物だ。
ところが、2016年10月20日。当時53歳。
若くして胆管細胞癌でその命を落としてしまう。
大変恥ずかしながら、これほど偉大な人物である平尾氏のことを知り、関心を寄せるようになったのは私に関してはつい最近になってからだった。
それはちょうど「リーダー」というキーワードで図書を探していたタイミング。
山中伸弥さんや松岡正剛さんとの間柄などが私の関心を強く引いた。
試しに早速いくつか平尾さんのご著書に触れてみると驚いたのはその経験からくる数々の「教え」。
そのどれもが本質性を感じるものだった。
例えば、
「意味を理解するかどうかで成長の度合いは格段に変わる」
「自信は経験からしか育まれない」
「何かを変えられたと実感できたら、その人間はひと皮むける」
「不確実なことにこそ、幸せの可能性がある」
「愛嬌ある人間や素直な人間は、他人の力を引き出すことができる」
などなど。
挙げればキリがないのだが本の中に登場するそのどれもが、人の成長あるいはチームや組織の成長につながる本質的なものだと私には思えた。
そして平尾さんの考え方が「ビジネスに効く」と様々なところで評されていることにもとても納得がいった。
遥かに的確で分かりやすい「いいパス」についての解説
そんな平尾さんの著書「人は誰もがリーダーである」を読んでいた時、「いいパス」の解説としてこれぞ我が意を得たりと思えるものに偶然にも出会うことに。
それは、私が今まで考えていたことより遥かに的確で分かりやすい「いいパス」についての解説だった。
本当に素晴らしい内容だと思ったので、以下に引用してご紹介させていただきたい。
私たちがラグビーを始めた頃は、ラグビーを指導する場合、まずパスの放り方から教えるのがふつうだった。
それはいいのだが、そのとき多くの指導者は「手首を返せ」とか「腰を入れろ」と、まず「型」から入ってしまう。
だから、日本人選手のパスの投げ方はみな同じ形になり、事実、それはたしかに美しい。
だが、ラグビーのパスにおいて大切なのは美しさではない。
この点を大多数の指導者は忘れている。
パスとは、Aという選手からBという選手にボールが移動することである。
そのときもっとも重要なのは、Aがボールを持っていたときより、Bにボールが渡ったときのほうが状況がよくなっているということだ。
そうならなければパスをする意味がない。よりよい状況をつくり出すためにパスという行為が存在するわけだ。それがパスの本質だ。
型を教えるのは、あくまでもパスを放る際にもっとも効率がいいからという理由にすぎない。
ところが多くの指導者は、あたかも型がパスの本質であるかのように考えている。
そのように教えられるから、ときおり日本の選手はボールを受けた瞬間にタックルを受けてそのまま病院行きになるような、いわゆる「ホスピタルパス」を投げてしまう。
自分よりパスを受ける人間の状況のほうが悪いことに注意が払われないのである。
本質を理解していないのだ。
「いいパス」の解説としてこれ以上のものはない。
私は心からそう思った。
そして自分自身の「いいパス」に対しての解像度も一気に高まった。
参考:「解像度を高める」は、間違いなく今役に立っていると思える。
「そのパスはチームをより好ましい状況にするのか?」と常日頃から問う
前出した「チームの状況によってはいいパスになる」という幾つかの例も今ならよりピンと来るのではないだろうか?
相手からのメールに対して素早くメールを返しても、それによってチームがよりよい状況になっていなければそれはいいパスにはならない。
資料提出を求められた時、ある程度誰が見てもわかるような資料を提出したとしても、それによってチームがよりよい状況になっていなければそれはいいパスにはならない。
外注先に依頼したい内容を丁寧に整理して、仕事を依頼したとしても、それによってチームがよりよい状況になっていなければそれはいいパスにはならない。
といった具合だ。
思うに「いいパス」を出すためには「そのパスはチームをより好ましい状況にするのか?」という本質的な問いかけが欠かせない。
そしてこれを日頃から問い続けるスタンスがとても重要になってくるのだと思う。
型を追い求めるのは決して本質ではない。
仕事においては、パスの出し手になるばかりではなく「パスの受け手」になることも多々ある。
個人的な経験則だが、自分がいいパスを出すことを心がけていると不思議といいパスが回ってくるようになる、という実感もある。
いいパスがいいパスを呼び込んでくれる、そんなイメージだ。
いいパスを出すためにも。
いいパスを呼び込むためにも。
「そのパスはチームをより好ましい状況にするのか?」という本質的な問いは、この先も常日頃持ちながら生きたい。
【著者プロフィールと一言】
著者:田中 新吾
プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車
●X(旧Twitter)田中新吾
●note 田中新吾
ChatGPTに代表される大規模自然言語AIの盛り上がりがとんでもないことになっていますが、そのおかげで多くの人が今まで以上に「いいパス」が出せるようになる。使っているとそんな実感を得ます。
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