「自分のダメな部分」もダメであればあるほど、他人にとっては面白いコンテンツになる。
結構前に以下の記事を書いた。
自分がいなくても社会は何事もなく回るが、いるからには「誰かの役に立とう」と思う。
今も不特定多数の方に読んでいただいているのだから大変有難いことだ。
この記事を書いた時点から現時点で2年以上が経つ。
しかし、今のところ私の中でこの考え方は変わらない。
自分がいなくても今の社会は何事もなく回る。
ただこの社会にいる以上、誰かの役に立つことをしなければ腐って害になっていくだけだ。
最近、経営者の白木夏子さんが「FIREには興味がない、私は仕事が好きだからいつまでも仕事をしていたいから」という話をしていたが、思うにこういうタイプの人はいつまでも腐ることはない。
私がFIREに全く興味がない理由を民俗学的に分析&収入源は複数持つべしアーカイブ
人間が腐っていく要因として大きいのが「誰かの役に立つことをしないと自らの価値を実感できない」からだ。
映画監督の押井守さんもどこかの著書(メモを失念してしまった)で「誰からも必要とされない人間ほど寂しいことはない。人は誰かから必要とされて、本当に生の喜びにひたれる。」と述べていた。
かくいう私は、以上のようなことを踏まえても「誰かの役に立とう」と現在進行形で思い続けているわけである。
そして、そのベースとなる現時点での行動指針が「自己中心的利他」だ。
これは「やりたい」「得意」「喜ばれる」の3要素が重なる部分を磨き、それを用いて困っている人の役に立とうとするスタンスのこと。
関連記事:「他者のために」働きかけることができるのは、「自分のために」が満たされている人だけ。
具体的に言うとその一つが「プロジェクトデザイン」であったりする。
しかしながら思うのは、誰かの役に立つための道や手段というのはこればかりではない、ということ。
山の頂に登るためのルートが複数あるように、誰かの役に立つためのルートも複数ある。
私の経験則では「自分のダメな部分で役に立つ」もそのうちの一つだ。
付け加えると、そのダメな部分というのはダメであればあるほど、自分以外の誰かにとっては面白いコンテンツになり、それによって結果的に役に立つことができる、といった考えでいる。
*
私の「ダメな部分」とそれが他人にとっては面白いコンテンツになった二つのエピソードをご紹介したい。
まず「人生で蒙古タンメン中本に100万円近く突っ込んだ」という話だ。
この話、先日私が参加しているコミュニティ内での対話会の中で「実は・・・」と口火を切ったところとても面白がってもらえた。
「1時間後に死ぬと言われて食べたいと思うものはなんですか?」
こんな質問を受けたとすれば「蒙古タンメン中本です」と答える可能性は極めて高い。
そのくらい好きなラーメンである。
大学1年の時にその存在を知ってから30代前半まで毎週のように食べ続けた。
新宿、高田馬場、池袋、吉祥寺、渋谷、目黒、上野など、店舗によるメニューの違い(新宿のインド丼、吉祥寺飯など)もだいぶ満喫したと思う。
高田馬場店で「北極ラーメン」を食べていた時、中本を展開する誠フードサービスの社長白根誠さんに偶然出会し、「いつもありがとうね」と声をかけられ、右肩を「ポン」と叩かれた時は「もうこの世界から出ることはできない」と心から思った。
その後、30代前半で結婚して、東京から埼玉に拠点を移したことで、単純に店舗までの距離が遠くなったこと、更には自分の身体の健康についてケアする意識が芽生えたことで、食べる回数は激減した。
とはいえ。
今も数ヶ月に1回くらいは東京に出た際に店舗まで赴き、そうでない時もカップラーメン版中本を時折食べたりしてしまっている。
100万円近くのお金を注ぎ込み、食べ過ぎは間違いなく健康にも悪影響で、自分のことを客観的に見ると「マネープラン皆無のダメな人間」と思わざるを得ない。
しかし、この話は他人にするととても面白がってもらえるのだ。
「全然イメージと違いますね笑」と。
*
二つ目は「成田空港で出発ターミナルを派手に間違えた」という話。
つい最近、出張で長崎県壱岐市にいく機会ができた。
私はこれまでの人生で、福岡空港まで「LCC」で行ったことがなかったため、初めての経験を求めて成田空港から福岡空港まで行くことに決めた。
ちなみに成田空港の利用回数は片手で足りる、そんな人生である。
予約したのはPeach航空で、Peachに乗る場合は第1ターミナルに行く必要があった。
しかし、事前によく情報をみていなかった私の中には「LCC=第3ターミナル」という固定観念がガチガチに出来上がっており、当日自信満々で第3ターミナルに向かってしまったのだ。
陸上トラックをイメージしてデザインされた通路を抜けて第3ターミナルに到着してみると、あると思っていたPeachがどこにもない。
当然だ。
Peachがあるのは第1ターミナルなのだから。
余裕を持って動いていたからよかったものの、第1ターミナルまで急いで移動して、手荷物を預けるなどもしたため、結果的に搭乗前ギリギリのチェックインになってしまった。
時間に余裕を持って動いていなかったら完全にアウトコース。
私は自分のダメさに一人機内で肩を落とした。
そしてその日はドミノを倒すように、自分のダメさを痛感することが不思議と続いた。
世阿弥の「風姿花伝」の中で、男時・女時(おどき・めどき)という言葉が出てくるが、この日は完全に女時(何事もうまくいかない時)だったのではないか?と後から思ったほどだ。
しかし、この自分のダメさを痛感させられるエピソードに関しても、後でこの話を他人にしてみたら思いの外とても面白がって聞いてくれた。
「全然イメージと違いますね笑」と。
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以上は個人的な経験であるため、他の人の参考になるかどうかはもちろん分からない。
ただ少なくとも私は、他人の役に立つ方法として「自分のダメな部分で役に立つ」もあると考えている。
だからこそ、今では「ダメだなあ」と思うことをしてしまった場合にも、情けない自分に落ち込むことはあってもそれで極端に塞ぎ込むようなことは無い。
むしろ「誰かの役に立てるネタが仕入れられた」とポジティブな考え方をすることによってその状況からサクッと気持ちを切り替えてしまっている。
もちろん、同じことが次に起きないように対策も考えてだが。
私にとっては一つの処世術と言っていい。
最近知って目を通したばかりの本に「私小説のすすめ」というものがある。
この本で、著者である小谷野敦さんは「私小説の本道は自己暴露」だと言う。
書くことによって自分の名誉を危険にさらす、恥をかくことが多いもの。
そんな私小説は情けない話ほど面白い、ということだった。
この話、まさに我が意を得たりだ。
最後に、以下に私が今思う自分のダメな部分を開示することのポイントをまとめておきたい。
●自分のダメな部分は他人にとっては面白いコンテンツになり、それによって役に立つことができる
●公開してみると意外と自分も気持ちが楽になり、救われる
●同じダメな部分を持った人がいれば、その人にとっては人生の参考になる
こんな具合だろうか。
「自分のダメな部分」というのは「失敗」という経験によって明らかになるものだと思う。
こういう考え方をしておくと失敗に対して恐れる気持ちは結構、減じられるのではないだろうか?
少なくとも私はそういう実感がある。
今回の話が何かを考えるきっかけになれば嬉しい。
UnsplashのAyo Ogunseindeが撮影した写真
【著者プロフィールと一言】
著者:田中 新吾
プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスクと時間を同時に管理するメソッド)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|座右の銘は積極的歯車。|ProjectSAU(@projectsau)オーナー。
●X(旧Twitter)田中新吾
●note 田中新吾
20代の頃は自分のダメな部分で他者に貢献するなんて発想は全くありませんでした。万物流転ですね。
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