今更、古い脳を鍛えよ!と言われても・・・いや鍛えましょう!
ここ最近の私の読書の傾向は、紹介してもらう本を数珠繋ぎに読んでいったり、読んだ本の著者が紹介している本を読んだりと成り行きに任せているところがある。
もちろんそのキッカケと自分の興味がありそうなものとの交わりで選んではいるのだろうけれど。
そんな流れで出会った今回のこの本は、2011年に出版された少し前の本なのだが、私にとっては、今年一番という面白さで、面白い本は世の中にまだまだたくさんある、けれど出会えてないんだろうなあ、人生飽きることはないなあ、とあらためて思ったりもした。
「生きる力」の強い子を育てる 著:天外伺朗
この本の著者天外氏は、ソニー在籍中に犬型ロボットの「AIBO」を開発した方だそうで、そんな方の教育論は何とも面白そうだと最初は思ったのだが、はるかにその予想を上回った。
ひとつひとつ噛みしめていくといろいろなものとつながっては腑に落ちて、それによって一回おっさんが一人取り残されたみたいになってしまったのだが、何とかそこからまた立ち上がってみたいと思ったのだ。
古い脳を育てろ!
この本の最も重要なメッセージは、お子さんを育てる上で、
「古い脳(大脳新皮質以外の部分)を鍛えよ!」
というものである。
出典:大脳新皮質系、前頭連合野(新しい脳、知識、知性、生きる手段)
現代の教育は大脳新皮質を鍛える教育に偏り過ぎるため、生きる力が失われる。
生きる力を育てるには、まずは古い脳を育てないとならないというものだ。
脳は中心部の古い脳があり、そこが情動をなどを司り、その一方で、大脳新皮質は論理性などの知恵を担う部分である、という内容はどこかで習って記憶している。
読み書き、算数などは大脳新皮質が請け負う部分なので、ここを急ぎ過ぎると人として不安定なまま、知恵だけが押し込まれるという状態になると言うわけだ。
これに関して目から鱗の説明があった。
生まれた子供が絵を書くようになって絵が成長とともに変わっていくものだ。
最初はママやパパの顔をただの丸で書く。
そしてそのうちに顔に目や鼻や口を書くようになり、その顔から四方に棒が生えるようになる。
この棒は両手と両足を意味している。
さてここからである。
「顔からおててやあんよが生えてないでしょ?お腹があるよねえ。」
などと親はアドバイスしたくなるもので、確かにそのアドバイスによって胴体を書いて、そこから手足が生えているように書けるようになるわけなのだが・・・。
そうすることで、子供の大脳新皮質が働いてしまい、古い脳の抑制が入ってしまうという。
好き勝手に思うままに描かせる、表現させるのが、古い脳を育てることになり、外から教えることは感じたまま、ありのままを表現する、という感性を削いでしまう。
教えるは成長を止めるということらしい。
親が思うことは人並み描けないと知恵遅れなのではないか?と心配し、早くうまく(写実的に?)書く能力をつけて欲しいと願う。
焦って教えるのは当然と思えるわけなのだが・・・。
親は一般的に才能だと言われている常識的な才能(写実的)なるものを子供に押し付けてはいけないのだ。
子に宿っている神性を信じて我慢、我慢なのだそうだ。
ヌオーなんていうことだ!
この話は多くの子供を見てきた方の経験に基づいており、大脳新皮質の育成は12歳くらいからで十分ということ。
古い脳が最初に活性化すれば、そのあとに驚くほどのスピードで大脳新皮質は育っていくらしいのだ。
このお絵描きの例でも言える、何よりも大切なことは子供に対するすべてのことの許容であって、こうではない、こうしようと正義を外から押し付けてはならないと言うのだ。
そうすることで自分はいけないのか?できないのか?などと自己否定感が育ってしまい、トラウマになってしまうからだ。
子供が強く育つには、自分と周りへの信頼、このままでいいのだ、という安心感が大前提にある。
そう、例えば倫理観についてもこうあるべきを強要することで出来上がるのではなくて、安心感をもって満たされれば、自然に内発的に育つものなのである。
安心感が育たずに出来合いの倫理観を大脳新皮質に押し付けられると大脳新皮質による狡猾な倫理観で着飾った人間を造ってしまうことになる。
更に正しさや常識をもっている大脳新皮質からの抑制によって、いろいろなところでの創造力の発揮ができないようになるらしい。
これは特にこれからの時代にはほおってはおけないことだ。
大人にあてはめてみると
確かに、言われてみれば古い脳も大脳新皮質という部位も存在するのは生きるために必要だからであって、それをバランスよく育てるのが王道のように感じるわけなのだが、とても気がつかないものだ。
言われてみればそう思うから、そこかで気づいてはいるが言葉にできないということなのかもしれない。
私はここ数年で大脳新皮質を抑えることが大切だと思うようになって、だからお酒は飲んだ方がいいんだ(抑制が緩くなるから)、などとお酒を飲むことを正当化していたわけだが、この本とつながってやはり間違ってなかったんだ、と思うのと同時にこんな深い意味合いがあったんだと、単に酒の言い訳に使おうとしていた自分の浅はかさを恥ずかしく感じた。
さて、私の子供の頃はどうだったろうか?
小学校の4年生くらいだったか、見事な写実的な絵を書いて佳作に選ばれたことがあった。
アドバイスに従順な子供だったので、これは見事に正しさを植え付けられた結果ではなかったのだろうか?
古い脳を育てるには身体性も必要のようで、田舎だったからこちらは自由に十分に身体を動かせたし、ピアノがいいと親が習うように押し付けてきたが、嫌ならやめていいよ、という親だったので、こちらはまた良かったんだと思う。
それでも、大脳新皮質をすくすくと成長させてきた私が、人生の後半に入って今更何ができるというのだろうか?
大脳新皮質優位人間というものは、情動を司る古い脳の感情やわがままを大脳新皮質の理性が抑制し続ける、という構図のままにほとんどの時間を生きているように思う。
大人たるもの大脳新皮質制御が効いた常識的な者であらねばならない、抑制できることこそが立派な大人なのだ、という呪縛の中にあるのではないか?なんてことも思ったりして。
確かに自分に当てはまるところがある。
古い脳が満たされない中では、大脳新皮質での理性の抑制に限界が出て健康バランスを壊すことにもなる。
古い脳が満たされない分、快楽に過剰に走ったりもするらしい。
これでは出したいものに蓋をし続ける大変な人生になってしまう。
大人だって満たされないとならないと思うんだが・・・
でも既に遅きに失しているんじゃないの?
そんなことを考えると、ひとりおっさんは呆然と立ちすくんでしまった。
これからの子供のために・・・なんて偽善っぽいことを昭和のおっさんは言えない。
面の皮が厚くできているのだ。
自分をどうするんだ!立ち上がれ!立ち上がるんだ!
あがいているうちに、私はこの本から希望を読み取った。
古い脳を鍛える方法はある。
子供の教育がそうならば、大人が異なるはずがない。
【古い脳を鍛える(=大脳新皮質を抑制する)方法】
・フロー状態(何かに夢中になること)の時間をもつ
・瞑想する(→古い脳が活性化する)
・祈る、歌う、踊る(代用としてスポーツ)
・自然の中で過ごす(→ペルソナ=周りの目を意識して装った自分が薄まる)
なんと、これらはなぜか引き寄せられて、まがいなりにもやってきたことばかりだった。
これは自分なりに、大脳新皮質をある程度抑制して古い脳を満たそうとしてきた現れなのかもしれない。
そう思うと自分を少し誇らしく思う。
上の要素に更にお酒も加えていることが、何とも自分がたくましい、ん?都合がいいなあ、とも思うわけだ。汗。
瞑想すると脳の中心部がジリジリと感じることにも符号するように思う。
大脳新皮質の管理下にいる私
この本を読み始めた時に、紐づいたことがあった。
どうも私は私に管理されているのではないか?
ふと自分を眺めた時に、あれをしないとグダグダしてはいけない、なんてルーズなんだ・・・
などと自分の一挙手一投足を客観視して分析している人がいる。
そして反省する、をルーティンのように繰り返しているのだ。
その管理に油断も隙もない。
常に正しい方向に自分を方向付けようとしているもの、それが大脳新皮質君の正体だ。
これは合理的に物事を運ぼうとするもので、仕事なんかでは問題点をいち早く想定して事前につぶせるなどの素晴らしい面を持っている。
私がここまで培ってきたものだろうと思う。
ところがである。
それが四六時中、仕事以外のプライベートにも知らず知らずに入り込んでいたようだ。
遊ぶにも休憩するにも大脳新皮質が決めた何らかの正しさを求めるような癖がついている。
私はこうして一生大脳新皮質に管理され続けなければならないのだろうか?
この疑問がこの本の内容とつながって、取り入れ始めたことがある。
大脳新皮質の監視が始まった瞬間に、「大丈夫、大丈夫、これで問題なし」と心で唱えることだ。
こうすることで私の場合、心が穏やかになる。
こうして私は、古い脳を満たすことも忘れずに大脳新皮質と古い脳のバランスをとって生きようとし始めている。
もう一つ最近こんなこともあった。
目の前のことに集中してしまって時間の経つのを忘れ、約束をスッポかしてしまったことと、それから約束をスッポかしそうになってしまったこと。
自分では大人になってからなかなかすることがなかった失敗だ。
このことは周りに迷惑をかけていて、いい大人としてはあるまじきことである。
もちろんいつも通り大脳新皮質に見守られながら反省するわけなのだが、一方では大脳新皮質の監視を潜り抜けて集中をし通したことには、一旦アッパレと言って自分を許容してあげようと思ったのだ。
こうして、また私は脳の折り合いをつけていこうとしているのだ。
スッポかしてしまった方には大変申し訳ないことに変わりはないのだが。
私は、この年からもこうしてまだまだ抵抗してバランスをとろうと試みている。
ここで「長生きするだろうね、兄貴は・・・」と迷惑そうに言った妹の顔が思い浮かんだ。
こういうところにその原因があるのかもしれない。
著者天外氏の本を更に追っていくと、最新の本では「能力」や「行動」が重んじられる社会から、「在り方」が問われる社会への大転換期に入っている!というところまで行きついてしまった。
自己否定感というもの、それはトラウマであり、人類はそれを数千年の間背負って来たのだという。
その自己否定感を拭い去る時代へ転換するのだ、と・・・。
このことは今回の古い脳、大脳新皮質と大いに関係している。
次の機会にこのことについて書いてみたいと思う。
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
さて、私はどうしたものか、幼児を今まさに育てている幾人かの親御さんにこの本をメチャクチャ推し始めてしまいました。
保育士さんにも推したら、すぐに購入してくれました。
どういう反応がもらえるのか、愉しみです。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
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