RYO SASAKI

自分の得意の逆をやると世界が広がる。それによって、お金がなくなる恐怖を克服する。

タナカ シンゴ

縁あって、タイ在住の事業家の方(以下仮名で誠さんと呼ぶ)から、アドバイスをいただけることになった。

今年になって国内だけでなく、海外在住の方とも何回かWEBミーティングを行っているが、時間差も全くないし通信も安定していて、時代は変わったもんだと思う。

アメリカの政府の借金や、日本のインフレなどについて、その先行きはどうなるのか?自由になるわずかな貯金をどこに振り向けるべきか?

私は、これが一番聞きたくて、事前に伝えていたのだが、誠さんの第一声は、

「タイは今バブルと言ってもいいでしょう。

多分物価も日本と変わらないかもしれない。

一晩で100万円を使うなんてこともやってる人はやっていて・・・

楽しいですよ!

タイに是非来てください!」

という意外なものだった。

私が聞きたいことがはぐらかされた?

いや最初のご挨拶なだけか?

そう思ったのだが、後から聞いたところによるとこれが私に伝えるべき一番のアドバイスだったようで・・・。

それは自分にとってイヤ〜〜な指摘だったが、後から考えると納得せざるを得ないものだったのだ。

今回もまた、自分に染み付いている固定観念や恐怖が浮き彫りになった話になる。

富裕層とは噛み合わない

誠さんは事業家であり、投資家でもあって、個人や企業のコンサルティングもしているなどで、収入はとんでもない人、いわゆる富裕層のひとりらしい。

なぜタイに移住したのか?これについては聞けなかったが、ビジネスする上で日本の法的制約(税制含む)を避けたのではないか?そんなことを言葉の端々から感じることができた。

まあ、そんな人ならば確かに一晩100万円を使うなんてことは珍しいことではないのだろうけど、それを私に言うのはお門違いもいいとこだろう!?

どれだけお金を残せば老後に不安がないのか?が聞きたい人に、散財してしまう方の話をするとは・・・。

私は、どうせ誠さんが自分は凄い奴だ!と圧倒するための導入トークなのだろうと思って聞き流すことにした。

その後、私がどんな風に生きてきたのかを伝達するターンがあったのだが、その話の途中で誠さんは今度はこんなことを挟んできた。

「佐々木さんは、自分で計画を立てて自分でやりたい人なのですねえ・・・」

ん?人の話は聞かない、頑固者だと言われているのか?

自分で計画を立ててそれを着実に進めることの何が悪い?

ずーっとそうしてやってきたんだ!

そんな思いが湧いてきたのだが、それでも神妙に聞きつづけることにした。

お金がなくなることへの恐怖の遺伝

誠さんの話を続けて聞いていると、私はなぜか父のことを思い出した。

生前の父が晩年に老人ホームで過ごした時に、時々様子を観に来てくれていた叔母(父の妹)に溜めておいた洗濯物を渡して、洗濯してもらっていたことがあった。

施設で洗濯をすると1回数百円かかるので、タダで済まそうとしていたのだ。

そんなことをせずとも100歳を超えて生きるだけの蓄えは十分にあったから、叔母さんに苦労をかけるな!と伝えたものの父は聞く耳を持たなかった。

佐々木家は貧乏だったから、両親は共働きをしながら、更には父の洗濯物のように細かく切り詰めてきたんだろう。

その努力によって、私は健やかに育ったのだ。

こんなようなちょっとした困り事から、逆に父に感謝したことを思い出した。

父は、お金がなくなることへの恐怖心というものをずっと抱えて生きたのだろう。

なぜ父のことを思い出したのだろうか・・・

恐怖心を持っているのは私も一緒かもしれない。

インフレが・・・とかもっともらしいことを言っているが父をなだめておいて、100歳を超えて生きられるお金があったとしても、まだ何とかしたい、と私も思うのではないだろうか?

どうやらそう感じたから思い出したのだ・・・。

恐怖心も私に遺伝したかもしれない。

あるいは父の教育よろしく私に浸透してきたのかもしれない・・・。

そして私の中に、誰にもわからない未来のことをも計算しつくして大丈夫!とならないと安心しないような性格もあって・・・。

どうやら自分で何でもしないとならない、というところが、未来予想にまで食い込んでしまっている・・・。

未来は誰にもわからないのだから、計算することはできない。

なのでこの性格でいる以上、永遠に安心できないままにそれでも安心を追い求めるという不安な人生が続くという結果になることは明確なのだが・・・。

それでも止められない自分がいる・・・。

富裕層が伝えたかったこと

そんなことを思い浮かべながら聞いていると、誠さんの言わんとすることがだんだんと一貫したものに感じられてくる。

自分で何でもやる、ということには限界があるから、時には周りに委ねてみたらいいんではないか?

どうも富裕層の人は、その経験から人の成功というのはその人自身の才能や努力によるものではない、ということがわかっているらしい。

情報を知っている人と知らない人の違いによって差がつく。

いい情報を知るか知らないかだけの違い。

そして、その情報がどこからくるかと言えば、他人からやってくる。

誠さんは、大切なのは人脈で、自分で何でもやることだけではなくて、信頼できる筋に身を委ねることが大切なのだ、と言いたかったのだ。

ここで私の会社員時代のいくつもの苦い経験を思い出す。

筋の悪いビジネスの中でいくら考え尽くしても大したことはできずに、時間稼ぎにしかならなかった・・・。

いい筋の情報(ビジネスモデル)がないと考えたところでどうしようもないのだ。

そして、冒頭の散財の話も、お金というのはあの世に持っていくことができないのだから、所詮使ってナンボのもの。

溜めて未来のために備えるんではなくて、とにかく今使うべきだ。

誠さんは、私がここまで(父親を継いで)倹約してきたことを事前情報の段階で感じて、逆に使いなさい、と言いたかったのだ。

先に使うことで、もっと稼がないといけない、とエンジンがかかる。

・・・しかし・・・それでは先の見通しが立たず、余計に不安定になってしまう、ではないか?

安定した老後を求めていた私が反論する。

不安定なのが人生でしょ?

不安定が楽しいんだ。

今度はこう言われてしまった。

富裕層の人はお金というものがどういうもので、だからそれとどう向き合うべきか、という哲学も持っているのだ。

お金持ちになったことで破滅していく人もいると聞くが、それは哲学を学んでいないからなのだろう。

歳を取ってからそんなに稼げるワケがないし、不安定では困るんだ!

私は、誠さんに次に、そう反論しようとしたのだが、人脈があればいくつになっても関係ない、だって知ってるか知らないかだけの違いなのだから・・・と放っているようなオーラに負けてしまって、それを切り出すことができなかった。

私が求めた老後は、安定というさも良さそうな言葉で隠れた’停滞’だったのかもしれない・・・・

自分の得意の逆をいくと世界は広がる

やはり、富裕層は見ている世界も考え方も私とは大きく違っていた。

私のすべての得意分野を揺さぶられたように感じた。

倹約には散財を・・・

安定には不安定を・・・

自活には依存を・・・

思考には直感を・・・

自分の得意(得意というか気が小さくてそれしかしてこなかっただけのものかもしれないが)に必ず固定観念が付きまとう。

そして、自分の得意によって自分の見ている世界が狭くなるのだ。

両端を幅広く使えることで世界は広がる。

確かに私は、何事も自分でやらねば!そう思ってきた。

そして周りに騙されまいとしてきた。

この正しそうなことには、人脈が広がらなかったり、新しいものと出会えない、ということが包含されてしまっていたのだろう。

これまで何事も起こらなかった反面、どれだけの機会損失をしてきただろうか?

これに対して富裕層はある意味真逆で、リスクを取ってきたということなのだろう。

私は、失敗したくない男だが、富裕層は失敗のことを学習というらしい。

そんなように違いがハッキリしてくると、一生のうちで少しはこれまでと逆の行動をやってみたい、そして違う景色を観てみたい、そんな気持ちが湧いてくる。

失敗したっていい。

多少は騙されてもいい、という感覚になって身を委ねる!

私ごときがどこまで冒険できるのかはわからないが・・・

富裕層になるには遅きに失しているし、「分相応」という言葉もあるのだが、せめて富裕層の考え方に寄せることをして、お金の恐怖心に立ち向かってみたい・・・。

計算し尽くせなくても何とかなる!

いざという時は、誠さんのような人に依存すればいい!

急に図々しくなってしまった。汗。

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最近、ひとつだけ自活によって成し得たことがある。

私はこの半年、信頼できる人に勧められたものは、何でも試す、というひとりキャンペーンを実施してきた。

オススメの食べ物、オススメの店、誘われたイベント・・・・

自活をモットーとしてきたからか、こんなことでさえどこか損をするのではないか?という怖さがあったわけなのだが・・・

それでも何とか続けていくと今度はいろんな人の縁を手繰ってここ最近は出逢ったことのないような新たな人々に出会うことになったのだ。

誠さんはその6番目の人。

お陰様で最近の私は今までにはなくワサワサとしていて浮ついた不安定な状態になっている。笑。

このキャンペーンをしていなかったら、誠さんに会うこともできず、倹約・安定・自活・思考を美徳としたまま狭い世界で生き続けたのかもしれない。

キャンペーンを始めたのは、何か自分の中にこのままではいけないという疼きがあったのだろう。

このような自分の中にあるものをこれからも大切にしていきたい・・・・いやいや自活で上手くいった話はもういい。汗。

むしろ不得意な依存側にレバーを倒さなければならない。

そして散財側に、不安定側に、直感側にできるだけ(私がやるには限界があるだろうけど)レバーを入れて人生一度はそれらを楽しんでみよう、そう心に決めるのだった。

UnsplashAlice Yamamuraが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

「人に依存すればいい」

書いてみるとこれは私が本当に使いたくない言葉なんだ、ということを感じます。

それだけ自活が強かったんでしょう。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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