RYO SASAKI

「コミュニケーション」こそが人を幸せにする。

少し前のタナカシンゴさんの記事

仕事の飲み会における「くだらない会話」にも大きな価値があることが、ようやく分かった。

この記事が今までにない枠を示してくれて、いろいろな思いが湧き上がった。

以下は、記事の中の印象深かった言葉。

・毛繕いしている時に脳内麻薬が出て大変気持ちいい。

・毛繕いしている時間が長いと大脳新皮質が厚い。

・毛繕いの代わりが人間ではコミュニケーションに当たる。

・コミュニケーションの意義とは、共有される情報にあるのではなく、コミュニケーション自体にある。

会社員の頃は、残業後の遅い時間から飲みに行くのがほとんど日課といっていいくらいのものだった。

新入社員の時代は、東京生活も初めてだし、私にとって免疫がなかった関西出身者を筆頭に、全国から様々な人間が集まってきていた。

見るもの聞くものがすべて新鮮で、周りを知るために飲みに行ったものだ。

仕事の後に飲みに行くことを『のみにケーション』などと言って、会社全体で「必要なもの」のように言われたりもした。

確かに、飲み会における話のテーマの7~8割は、毎日仕事のことで、その中で会議さならがの意見交換が行われたりもした。

その中から解決策やアイディアが生まれたこともなくはなかった。

それを含めると労働時間は半端なかったなあ、と後から思ったりもした。

もちろん、仕事の話と言っても、何の解決にもならない愚痴もあったとは思うのだが。

昔話はここまでにして・・・

コミュニケーションの意義について

記事を読んで、コミュニケーションの意義をいくつかに分類してみた。

【意義1】自分の気持ちを整えること。

  ・思ったことを話す

  ・情報交換によって起こる感情や思い(喜怒哀楽、励ましと反省)

【意義2】環境を整えることと、自分の能力を高めること。

  ・信頼を得て、協力関係を作る

  ・情報交換の内容(起こった事実、知識や人の感情を知ること)

  ・問題解決がうまくなる(大脳新皮質が厚くなる→直観、アイディア)

人は思ったことを話すだけで、気持ちよくなり、喜怒哀楽を感じることでストレスを発散する。

それらを通して、自分を励ますなど奮い立たせて、人生に立ち向かう。

これらが気持ちを整える【意義1】だ。

また、コミュニケーションをすることで「信頼できるやつ」と思ってもらい、協力関係を築く。

人は一人では生きていけないから協力関係が必要だ。

そして、情報交換の内容、これはみんなが常識的に捉えている物理的な意義になる。

情報や知識を生活や仕事に活かすこと。

最後に、毛繕い=コミュニケーションによって、大脳新皮質が厚くなるという話。

このこと=課題解決がうまくなること、なのではないか?と私は感じた。

これについては後半に少し書いてみたい。

上の分類はあくまでも整理のためのものにすぎないのだが、こうしてみると、やはり、コミュニケーションの中に、生きるために必要な要素が複合的に含まれているように感じる。

【意義1】と【意義2】は、因果関係もある。

生きるために必要なことだから気持ちよくなるようにできている。

持ちいいことは生きるために必要なこと

「話すと気持ちよくなる」ことについて。

このように人間に「脳内麻薬」が出るケースは、他にいくつも存在する。

自分の正義で、人を批判することが気持ち良かったりもする。

『人は、なぜ他人を許せないのか?』著者:中野信子

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私は、「脳内麻薬」が出る行為を、人間がちゃんとやるように設計されていて、そう設計されているのは、すべて人間が生きながらえるためである、と理解している。

この理解が正しいとすると、「話すこと」が生きながられるために不可欠だったということになる。

協力関係をもたないと一人ではいきていけないから、話して信頼を得ること、何かを懇願することが必要だった。

生きるために、自分から意志表示をすることが必要だったから、話すようにできているのだろう。

事実を元にした映画「イントゥ・ザ・ワイルド」が思い出された。

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主人公は、裕福な家庭を出て、自由を求めて、自然を求めて、ひとり山に入る。

そして、主人公の最後にこの言葉を放つ。

『幸福が現実となるのは、それを誰かと分ちあったときだ。』

 HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARED..

主人公は誰かに話したかったのだと思う。

記事と重なるものがある。

DNAに培った生きながらえるための設計ならば、それに則って気持ちよいことをちゃんとやって生きよう!

というのが最近の自分の結論になっている。

私の酒場放浪記

そんなことを考えていると、酒の席でのコミュニケーションを思い出した。

これらは、以前に、飲み屋でたまたま隣合わせになった初対面の人との話だ。

①カラオケスナックでご馳走になる。

寿司屋のカウンターで一人飲んでいたある夏の日、隣の人が急にガクッと倒れ込んだことがあった。

私はなすすべなく驚いていただけだったのだが、逆隣の男性が倒れた男性の脈をとるなど、病状を手際よく確認し始めた。

倒れた方は熱中症だったらしく、意識も戻り、救急車で病院に運ばれて、結果、大事に至らずに済んだ。

これをキッカケとして救急車が去った後、脈をとった男性と一緒に飲むことになった。

話を聞くとその男性は医療機器関係に勤めているので、病人への対応が比較的スムーズだったようだ。

話が進んでいくと、何か相当のお金持ちっぽくて、今後の目標のひとつが、海外に小学校を建てることが目標であることがわかった。

まるで、インド映画「きっとうまくいく」の主人公、天才自由人のランチョーのようだ。

子供の頃から、深田恭子の知り合いであり、サポーター。

その日は、芸能人とのゴルフの帰りだったようだ。

写真を見せてもらった。

最初は信じなかったが、どうやら本当のようだ。

そこから何を話してどのくらい時間が経っただろうか?

「カラオケスナックに行こう!お代は全部ご馳走するから。」と誘われた。

後で確認したら、私よりかなり年下だったようだが、ご馳走になる流れになった。

半信半疑でついていくと非常に雰囲気のいいカラオケスナックで、散々楽しんで本当にすべてご馳走になって別れた。

私はそれまで、カラオケスナックなどに通うことはなかったが、それがキッカケでこの店をちょいちょい使わせてもらうようになった。

②家に招かれる。

明治時代からやっている老舗の居酒屋に初めていった時のこと。

その雰囲気に落ち着かず、恐る恐る飲んでいたら、隣の男性との会話が始まった。

その男性は、証券会社やファイナンシャルプランナーを経て早期リタイアをされているらしい。

少し年上、ほんの少しのやりとりで、ものすごく頭が切れる方であると感じられた。

どこに言っても歯にきぬ着せぬ方のようで、正直に言われたら図星すぎて、受け入れられないという反応になる人も多いんだろうなあ、と思う瞬間がある。

私ならば、まだそれを聞いて怒って感情的になるような、世の中にある王道の不条理なども当たり前のようにサラッと口から出たりもした。

「まあ、そういうもんだからね。笑」

他には、

・警察署の前で警官の同僚に間違われて会話が進んでしまった話

・高校時代に山の往復ランニングが必須だったようだが、その時に高校生ながら既に一升瓶をもって山に入り、飲みながら走っていたという話

・宗教についてディベートをした同級生が、宗教批判されたことを苦にして自殺した話

などなど、ここには書ききれないが、本当に面白かったり、驚いたりする話ばかりだ。

一番印象深かったのは、当時、この先輩が勧めていた金融商品を購入したクライアントがあまり儲けられなかった、ということがあったようで、それを今も悔やんでいる様子だったことだ。

私は「自己責任だからそんなに気にしなくても・・・」と精一杯が浅いフォローだったが、そんな言葉はもちろん届かなかった。

これらの話は、初回にすべて聞けたわけではなく、その後に何回かその店で偶然に会って聞いたものも含まれている。

初回のその日は、「じゃあ次行くか?」と言われ、歩いたその先はお店の近くのマンションだった。

私は、男性の自宅マンションに招かれた。

私は、パートナーの女性に少しビックリする感じで迎えていただいた。

特製のカクテルが美味しく、つまみと一緒にいただいた。

その後、偶然に道端で会って(普通は会わない場所だが)、翌日時間を合わせてこのお店にいったり、メールでいろいろなアドバイスをもらったりしている。

③帰らないでくれ!と懇願される。

仕事で山梨に通っていた時のこと。

仲間と食事を終えて、お酒も入っていい気分になって、ホテルに向かっていた。

その通り道に「ラウンジ」(女性が横に座ってお酌とお話をしてくれる店)があった。

ある時、酔いにまかせてひとり入ってみた。

そうすると、カウンターのひとりの男性を相手にしていた女性が私のボックス席にスライドしたため、男性はひとりになった。

私は、乾杯をして一通りの自己紹介をし合った後に、気になったので、

「あの男性はひとりで大丈夫ですか?」

と聞いてみた。

そうすると店の女性から、男性に対する意外な言葉が返ってきた。

どうもその男性は常連らしくよくこの店に来ているのだが、いつも絡むような感じの酔い方になってしまうようだ。

女性は、少し辟易している感じで、

「いいんですよ、ほっておいて」

と言った。

確かにその日も酔っていて、ひとりになって背中が揺れているようだった。

30代中盤くらいの男性だと思う。

私は、その後、女性からその男性は、水道会社の社長の息子で、管理職を任されている、という話をなぜか聞くことになった。

そうしているうちに、その男性は私のボックスに入ってきて「一緒にいいですか?」と言ってきたので、OKを出して一緒に飲むことになった。

どんな会話をしていただろうか?

とにかく私はこの男性に何か言ってやりたい衝動が生まれた。

私のこの男性に対する想像は、以下のようなものだった。

親が優秀な創業社長。

そして、親は愛をもって息子を二代目に据えたいのだろう。

その流れでこの男性は親の会社に就職、若くして管理職になった。

その慣れなさ、社員の見る目などから会社の中に忌憚なく会話できる人間はいない。

ましてや、社長に対して弱音を吐くこともできない。

それによってストレスが溜まっているのではないか?

あくまでも勝手な想像だ。

これを前提にして私は、

「一体何がしたいんだ!」

「親は親だろう!自分は自分だ!」

と失礼ながらかましてみた。

違うなら否定するだろうからそこをとっかかりとして、理解していけばいいと思いながら。

ところが、どうもビンゴのようだった。

「親の顔色を気にせずに、やりたいことをはっきりさせて自分の道を進むべきだ。独立を考えるべきだ。」

などと無責任に強い口調で私は続けたと思う。

店の女性は私を制することもせずに、何も口を挟まず、神妙に話を聞いていた。

男性も静かに聞いている。

もっと言って欲しかったようにも感じた。

叱られることもなくなっている、そして、相談する相手もいない、のかもしれない。

小一時間も経っただろうか・・・私が帰ろうとした時に、

「帰らないでくれ!」

と懇願された。

なぜ、このような出来事に出会うのだろうか?

何かの縁?いやひとり飲んでいる回数がただ多いからなのかもしれない。笑。

コミュニケーションは難しい

たとえくだらない話でも、コミュニケーションは頭を使う高度な行為だと思う。

高度なだけあって、若い頃は全くうまくできなかった。

まずは、自分の話をすること、これだけでも難しい。

包容力のある聞き手がいないと萎縮して話を止めてしまう。

以前、私のブログの記事に書いたが、話が上手くなるには話をするしかない、とは思う。

どうやったら話がうまくなるのか?

そして話を聴くことも難しい。

相手の話をただそのまま聴くのではうまくいかない。

相手の言葉を理解できなかったり、不十分な言葉だった時に、訊き直す。

いや、訊き直すだけでもない。

自分の理解に基づいて、相手の話について、言い替えたり、言葉を追加したりして、自分なりに反復してみる。

話し手はその通りであれば、「そう、そう!」という反応になるし、間違っていれば訂正をもらえて、会話は続き、話の本当の理解に近づく。

相手の話を引き出すために、敢えて間違えて観たり、自分の意見を言い放ってみたりして、反応を確かめる。

これが一番早い。

話を聴いていると、表面的な話の内容以外にも、周辺や奥にある大切にしている価値観、心に残っている思いなどが感じられることがある。

誰もが多かれ少なかれ持ち合わせている、この「直観」というもの。

どうも、自分の年とともに相手が「こう感じているのではないか?」という直観が鋭くなっているようにも感じる。

それは、言葉自体だけではなく、言葉尻から、あるいは、表情など、相手の全てから感じるものだ。

人は長い経験(コミュニケーション)で引き出しが多くなっていくものなのかもしれない。

引き出しが多いことで一つに固執せずに、柔軟に考えられるようにも感じる。

この「経験から引き出しが増えること」が、毛繕いに当たり、大脳新皮質は厚くなる、ということなのではないだろうか?

直観によってキャッチした相手の思いに敬意を示すように、その思いに寄り添うように会話する。

これは、相手に表面的に合わせる、という単なるテクニックではない。

その考えがいくら自分の考えとは異なる意外なものであっても、しようもないと思われるものであっても、背景が異なるので良い悪いなどの判断はできない。

同じような出来事があったとしても、細かいところは異なるし、生まれた個性が異なり、生きてきた道が異なるので、その時生まれる感情もそれに対する対応は同じものはない。

「自分はその人の経験した同じ道を絶対に歩けない」ということだ。

だから、その時の感情も含めた、経験、そしてそこから得られた智慧は、その人唯一のものだ。

このような相手に対する敬意が前提にあって、相手を知ろうとする好奇心が自然に出るのだと思う。

「自分だったらうまくこうする」などと言って、マウントを取って悦に入りたいところだが、それは机上の空論で何も意味しない。

だから、どうも私は、相手が「なぜそう感じるのか?」というその人の奥の唯一無二の部分をもっと知りたくなるようだ。

コミュニケーションの前提に別の価値観への寛容性があり、そのコミュニケーションによって他の人の経験や思いを知ることで、更に別の価値観への寛容性が育まれる、そんな風に感じる。

ここに上げるだけでは全く説明が足りないほど、コミュニケーションとは、細かく高度なものなのだと思う。

そして、人はそれを多かれ少なかれ無意識にやっているのだと思う。

最後に

話のテーマについて。

コミュニケーションでは、「懇願された」男性の時のように、自分が想定もしないテーマに踏み込んだり、あるいは、自分が興味のないテーマに、強引に持っていかれることがある。

その時は、頭に負荷がかかり、何かをひねり出さなければならなくなる。

これが、またくだらない話(何も生まない、自分には興味のない話)の意義でもあると思う。

自分にとってくだらない話でも話す方は、話したいことを話すのが気持ちいい。

愉しい話もそうだが、くだらない話も聴き手にとっては、苦痛だが脳のシナプスをあらぬ方向につながらざるをえない。

これも、思いもよらぬ発想やアイディアが出る土壌を作るのではないだろうか。

もちろん、くだらない話はリラックスさせて何でも話していいという雰囲気を作り上げる面もある。

(アイスブレーキング)

このことは、「くだらない話があってからの仕事の話」という順番に通ずる。

好きな話をすることもその話を聴くことも、まさに、頭を活性化するトレーニングになる。

そして、好きな話を聴くことは、話し手の幸せをサポートすることにもなると言える。

いろいろな難しさ、煩わしさがあるのがコミュニケーションなのだが、コミュニケーションによって、人は気持ちがよくなるし、知識や智慧がつくし、賢くなる。

すべてのことは人の幸せに通じている。

生きながらえるために、いろいろな課題を解決するために、幸せになるために、様々な角度からの言い方があるが、人間にいいことづくしの行為なのではないかと思う。

私の酒場のことも、くだらない話と言われればそれまでで何かを生み出しているかと問われれば、これだというものは言えないのだが、いろんな意味で意義があり、幸せな経験なのだと思う。

ちなみに、酒の場でのコミュニケーションは、またタガが外れて、違う次元のものになると思う。

リスクも増えるが。笑

先ほど、コミュニケーションの経験により、課題解決のための「直観」が立ち現れる、と書いたが、この「直観」とはAIが作り出せないものだそうだ。

メモリー量と計算スピードがとんでもないAIのことだから、多くのメモリーから最適なものを瞬時に選択できるのだろうが、限定された解に絞り込まれ、直観が出てくるという人間のしくみがAIでは再現できないらしいのだ。

そうだとすれば、この直観はまた人間らしい行為であり、人間らしい能力なのだとも思う。

この人間らしさを愉しんで、コミュニケーションを積み重ねていきたいものだ。

好き勝手に話したいことを話す、そんなことを許す友をつくり、そんな機会をつくる。

気持ちがよくなって、柔軟にもなって、幸せを感じていきたい。

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【著者プロフィール】

RYO SASAKI

好き勝手に話すと言っても、誰と話しても何らかの制限があるのがコミュニケーションですね。

時に興味のないことに引きずられながら、時には、あるテーマについてはこの人、あるテーマについてはこの人、という具合にテーマを分けて、できるだけいろいろなテーマを話せるような状態でいることが、豊かなことだと思います。

外に飲みに行けるようになるのが待ち遠しいです。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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