タナカシンゴ

仕事の飲み会における「くだらない会話」にも大きな価値があることが、ようやく分かった。

私は、仕事の飲み会における「くだらない会話」があまり好きではなかった。

前の会社に勤務していた頃の話なので、もう結構前のことである。

その頃はまだお酒をよく飲んでおり、毎週のように同僚やお客さんとの酒の席があったと記憶している。

しかし、どうしても退屈で仕方なかったのは「くだらない会話」が多くを占める飲み会だった。

「上司や同僚への悪口」

「会社への悪口」

「自慢話」

「以前にも聞かされた話」

「その場の誰かを対象にいじって笑いをとる」

これらは「くだらない」と感じる会話の代表格だった。

そして、少数の人物が飲み会の場を支配し、このような話が延々と展開される場は心から退屈で仕方なかった。

これは私が求めていたものがハッキリとあったからだろう。

「仕事における面白いエピソードや失敗したエピソードについて議論したい」

「よかった商品や気になるサービスや事業について議論したい」

「対人関係や物事を処理するための理屈について議論したい」

「将来について、また今の問題は何かについて議論したい」

私はこんな具合に「議論」を沢山したかったのだ。

「くだらない会話」が延々と繰り広げられるのが退屈でしかたなかったのは、それが議論するに値しないと感じていたから。

だからこそ、自分が主体的にお酒の席をセットする場合は、誘う人のタイプに限らず出来るかぎり「1on1」でお願いした。

このアプローチが、私を「一枚板のカウンターのある小料理屋好き」に伸し上げたのは間違いないと断言できる。

カウンターに並んで酒を交わす時間は本当に充実していた。

結局、仕事の飲み会における「くだらない会話」があまり好きではないという考えは、前の会社を辞めて以降つい最近まで変わっていなかった。

ところが。

先日読んだ一冊の本によって、この価値観は一変した。

その本は、ニッポン放送の人気アナウンサー・吉田尚記氏の「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」という本である。

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この本を読んだことで、

「仕事の飲み会における『くだらない会話』があまり好きではない」という考えから、

仕事の飲み会における『くだらない会話』にも大きな価値がある」といったように、私の価値観は一変してしまったのだ。

「群れの数」「毛繕いの時間」「大脳新皮質の厚さ」

この本には、コミュ障だと自称する吉田アナが、20年がかりで編み出した実践的なコミュニケーション技術がいくつも記されている。

私は読後、

「対人関係と自分自身を見直すいいキッカケを与えてくれる良本だ」

「話すことが苦手な人の苦手意識がとても軽くなりそう」

こんな感想を持った。

そして、遥かに大きな発見となったのは、吉田アナが、「ロビン・ダンバー」の研究内容を参照しながら意見を展開する段落に書かれていたことである。

それが「くだらない会話が基本にあるからこそ、人間は逆に難しいことについて話あったり、コミュニケーションをとって考えたりする」というものだった。

詳しく見ていこう。

「ロビン・ダンバー」は、人間の群れはひとりにつき概ね150人くらいまで広げることができるという「ダンバー数」で知られる人類学者である。

ダンバーさんによれば、サルや人間のような霊長類の群れの大きさは、「毛繕いをしている時間」に比例するという。

つまり、毛繕いの時間が長ければ長い霊長類ほど大きな群れを作る。

さらに、毛繕いをしている間というのは、脳内に「麻薬物質」がじゃぶじゃぶ生成されるそうでめちゃくちゃ気持ちがいいらしく、「毛繕いをしている時間」は「大脳新皮質の厚さ」にも比例しているというのだ。

私は随分前から「ダンバー数」のことは知っていたのだが、

「群れの数」

「毛繕いの時間」

「大脳新皮質の厚さ」

これら3つの数字が比例しているというのはこの本で初めて知ったことだった。

私は、この知見を得ることができただけでもこの本を読んだかいがあったのだが、驚きの発見はこれだけでは終わらなかった。

「コミュニケーション」=「毛繕い」

なんと、猿よりも遥かに大きいダンバー数を持つことができる人間が「毛繕い」の代わりに発明したのものこそが「コミュニケーション」だというのだ。

思うに、一般的にコミュニケーションとは、情報や概念を相手に伝えるためにできた、と思われていることが多い。

かくいう私もそうだった。

しかし「それは違う」というのがダンバーさんの主張。

そして、彼の結論は「実は情報のやりとりよりもコミュニケーション自体の成立の方が先だった」というものである。

著者の吉田アナの「コミュニケーションの目的はコミュニケーションである」という定義も、ここが拠り所になっているようだ。

では、私たち人間にとって一番気持ちがいい「毛繕い的なコミュニケーション」とは一体何なのだろうか?

その答えはお察しの通り、

「ムダ話」

「雑談」

「バカ話」

といった類のコミュニケーションである。

結局、無意味な話を延々としたりすることは、生物的には極めて健全なことで、むしろ必要な行為だったのだ。

さらに、ダンバーさんは、

コミュニケーションとは高尚なものではなく「ゴシップ」を伝えるためのもので、人のウワサ、どうでもいい情報、誰それが付き合っている、誰と誰が喧嘩したらしいという話は絶対になくならない、としている。

このような話題は、国や地域を変えても、どんな民族、どんな文化背景でも事欠かない。

インターネットにしても、テレビのワイドショーにしても、そのほとんどが要らない情報と言っていいだろう。

でも、なぜか気になって観てしまうのは「元々人間の会話がそういうふうにできている」から。

そして、こういう「くだらない会話」が基本にあるからこそ、人間は逆に難しいことについて話し合ったり、コミュニケーションをとって考えたりする。

「くだらない会話」が基本にないと、みんなわざわざ真面目な話なんてしようとは思わない、というのだ。

私は強く膝を打った。

あまりに無意識に行っているがゆえか、人間のコミュニケーションが「くだらない会話」の方が基本だとは今の今まで意識したこともなかった。

つまり、仕事の飲み会で私が「くだらない会話」だと思っていたことの方が基本であり、それがあったからこそ「真面目な会話をしよう」と思えていた、ということだ。

「くだらない会話」にこれほど大きな価値があったとは露知らず。

今知ることができて本当に良かったと心から思うばかりである。

ダメなアイデアが続くから、いいアイデアが出る

少し話は逸れるが、ふと思ったことがある。

「くだらない会話があるからこそ、真面目な会話をしようと思える」は、「ダメなアイデアが続くから、いいアイデアが出る」にとても似ていると。

この考え方は、私がマーケティングファームにいた頃に先輩から教えていただいたもので、もう10年以上もの間、思考の拠り所にしているものだ。

それは、

「いいアイデアがすぐに出ると思ったら大間違い」

「ダメなアイデアが5個、10個と続いて初めて少しいいアイデアがでる」

「アイデアはとにかく量が勝負、ダメなアイデアはいいアイデアが出るためには絶対に必要」

というようなものだった。

「言葉ダイエット」で知られるコピーライターの橋口幸生さんの最新作は、私が先輩から教わったアイデアの考え方が、より分かりやすく、より具体的なやり方が記されたものだと言っていいだろう。

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クオリティ度外視で、とにかく100案出す。

これは鉄則です。

よほどの天才ならいざしらず、なんとなく考えた1案が優れていることなんて、ありえません。

量と質はセットなのです。

僕たちは選抜されて世に出た1案だけを見るので、このことをあまり実感できません。

しかし、いいアイデアの陰には、必ず大量のダメなアイデアが隠れているものです。

「いいアイデア」が出来た時、どうしてもそれを「独立した事象」として捉えてしまいがち。

いいアイデアはいいアイデア、ダメなアイデアはダメなアイデア、と分けて考えてしまうのだ。

しかし本当は「ダメなアイデア」が連綿と続くその延長線上に「いいアイデア」がある、と捉えてこそ本質的なのだろう。

そして、ダメなアイデアの方が基本。

「くだらない会話があるからこそ、真面目な会話をしようと思える」は、このアイデアの関係性とほとんど同一なことだと捉えられないだろうか。

少なくとも今の私にはそう思えてならない。

独立したものではなく「関係性で捉える」からこそ「価値」が見えてくる

吉田アナの本を読むまでは、私の中では「真面目な会話」と「くだらない会話」はそれぞれに完全に独立したものとして存在していた。

それがために「くだらない会話」にはほとんど価値を見出すことができていなかった。

だが「真面目な会話」と「くだらない会話」は同じ線のようなもので結ばれており、「くだらない会話」の方が基本で、くだらない会話があるからこそ真面目な会話があると分かった途端にその価値は急激に高まった。

私にはこの経験が非常示唆に富んでいるような気がしてならなかった。

キーワードは「関係性で捉える」だ。

非日常があるのは、日常があるから。

生産的な時間があるのは、非生産的な時間があるから。

便利だと感じるのは、不便だと感じているから。

会議を有意義と感じるのは、有意義でない会議を感じているから。

サッカーで得点が入るのは、得点が入らない大半時間の積み重ねがあるから。

そして、

いいアイデアがあるのは、ダメなアイデアがあるから。

このような関係性で捉えると「くだらない会話」が愛おしく思えるようになったように、今まで何の価値も感じていなかったものに価値を感じることができるようになるのだ。

新型コロナウィルスの影響で、飲み会に参加したり、企画することは皆無になった。

当然、仕事の飲み会における「くだらない会話」を耳にすることも全く無くなってしまっている。

これはこれで「不健全な状態」と考えるようになってしまったのだから、自分というのは本当に面白い存在だと私は思う。

Photo by Carl Barcelo on Unsplash

【著者プロフィール】

タナカ シンゴ

今年の終戦記念日(8月15日)は、これまでの人生の中で最も「私たちにとって戦力とはどういう存在なのか」について調べたり考えたりしたと言えるかもしれません。

理工学部卒業後、マーケティングファームに7年間勤務。国内大手企業や外資系企業をクライアントに、営業、リサーチ、コンサルティング、商品開発、集客、マネジメント、リーダーシップの現場経験を積みジョブチェンジ。

現在は一人会社とNPOも兼業で、商品開発と集客のプロジェクト運営をしたり、記事を書いたり、Podcastを配信したりしています。

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